東天の獅子 第四巻 天の巻・嘉納流柔術 夢枕 獏 ------------------------------------------------------- 【テキスト中に現れる記号について】 《》:ルビ (例)新垣世璋《あらがきせいしょう》 |:ルビの付く文字列の始まりを特定する記号 (例)通称|蠱物《マジムン》 [#]:入力者注 主に外字の説明や、傍点の位置の指定 (例)わたし[#「わたし」に傍点]と言う ------------------------------------------------------- [#挿絵(img/04_000.jpg)入る] 〈帯〉 実在したスター武術家たちの青春群像活劇、堂々の完結!! 格闘する人間の体と心の動きをかくも鮮やかに活写できるとは! 夢枕さんは凄い。僕は実際に闘っているような興奮とスリルで熱く燃えて読んだ。 児玉清氏(俳優) [#改ページ] 東天の獅子——とうてんのしし—— 第四巻 天の巻・嘉納流柔術 夢枕 獏 双葉社  目次  十五章  拳盗人  十六章  外道拳  十七章  獅子と獅子  十八章  獅子吼  十九章  前夜祭  二十章  宴  二十一章 祭  二十二章 四郎出奔  転 章  西郷四郎・武田惣角・前田光世  補 章  あとがき [#改ページ]  ●登場人物紹介● 嘉納治五郎 講道館創設者。学習院教頭 横山作次郎 講道館四天王の一人。警視庁柔術世話係 西郷(保科)四郎 講道館四天王の一人 山下義韶 講道館四天王の一人 富田常次郎 講道館四天王の一人 宗像逸郎 講道館 有馬純臣 講道館 武田惣角 大東流。のち、ヤマト流を興す 保科近悳(西郷頼母近悳) 元会津藩家老。西郷四郎の養父。御式内の伝承者 勝海舟(安芳) 幕末、明治の政治家。嘉納家と縁がある 三島通庸 第五代警視総監 奥田松五郎 起倒流。警視庁柔術世話係 市川大八 天神真楊流道場主 久富鉄太郎 関口流。久留米の人。警視庁柔術世話係 上原庄吾 良移心頭流。久留米の人。警視庁柔術世話係 中村半助 良移心頭流。久留米の人。警視庁柔術世話係 おふじ 半助の亡妻 仲段蔵 関口新々流。久留米の人。警視庁柔術世話係 矢野広英 熊本の竹内三統流道場主 矢野広次 竹内三統流。広英の息子にして高弟 佐村正明 竹内三統流 戸塚彦介英俊(一心斎) 千葉の揚心流戸塚派道場主。既に死去 戸塚彦九郎英美 一心斎の息子。道場を継ぐ 西村定中 揚心流戸塚派。大竹の義兄 大竹森吉 揚心流戸塚派 照島太郎 揚心流戸塚派 好地円太郎 揚心流戸塚派 金谷元良 揚心流戸塚派。警視庁柔術世話係 中田仙二郎 揚心流戸塚派 新垣世璋 沖縄の那覇手師範 島袋安徳 那覇手。新垣の門下生 東恩納寛量 那覇手。新垣の門下生 金城朝典 那覇手。新垣の門下生 中曽根安趙 首里手 具志川朝敏 沖縄相撲 松村宗棍 手の達人。琉球国王の武術指南役を務めた、生ける伝説 ウメ 宗棍の妻 井深彦三郎 四郎の竹馬の友。会津の人 八重 講道館で働く。四郎と同郷 前田栄世 のちの前田光世 [#地から1字上げ]題字 岡本光平 [#地から1字上げ]装幀 高柳雅人 [#改ページ] 東天の獅子 第四巻  ◎天の巻・嘉納流柔術◎  十五章 拳盗人 (一)  壮漢であった。  歳の頃ならば、四十一、二歳であろうか。  新垣世璋《あらがきせいしょう》は、泰然として、惣角の前に座していた。人の形をした自然石のように見える。長い歳月、風雨にさらされた石だ。しかし、まだ角が全てとれてはいない、荒々しさの如きものが、そのたたずまいの裡《うち》に残っている。  口髭を生やしている。  無刀——どのような武器も身に帯びてはおらず、部屋のどこかに武器が置かれているわけではない。  もし、武器がこの部屋にあるとすれば、それは、世璋自身であった。  そこに置かれた、人の形をした自然石——それがまた、実は極めて剣呑《けんのん》な武器、抜き身の刀のごとき気配を合わせ持っている。  隙がない。  惣角の左に並んで座しているのは、金城朝典《かなぐすくちょうてん》である。  朝典が、今日、自分の師である世璋の所へ、惣角をともなってやってきたのである。  さらに、この部屋には、もうふたりの人物がいた。  年齢は、いずれも二十七、八歳ほどと見える。そのふたりは、惣角たちとは少し離れた場所に、一本の柱を背にするかたちで座していた。  その家に、壁は、ほとんどないといっていい。  柱と柱の向こうに、陽光を受けて光る那覇の海が見えている。  大きな風が、そのまま家の中に入り込んでそのまま出てゆく。  本土ではまだ春であるが、ここではもう初夏の風だ。  風には潮の匂いがあった。  すでに、紹介はすんでいた。  惣角と朝典を横から見るかたちで座しているふたりは、名を、それぞれ島袋安徳《しまぶくろあんとく》、東恩納寛量《ひがおんなかんりょう》といった。  ふたりとも、朝典の兄弟子にあたる人間たちである。 「武田くんと言うたな——」  新垣が、惣角を見やりながら言った。 「はい」  惣角は、浅く頭を下げる。  しかし、視界から、完全に新垣の姿が消えてしまうほどではない。一番頭が下がった状態で、新垣の腰から下は見えている。そこまで見えていれば、仮に新垣の上半身が何かの動きをしたとしても、それとわかる。  惣角には、沖縄の言葉は、ほとんどわからない。話す方は、多少気を使って、薩摩の言葉や江戸の言葉を交ぜ、いくらかゆっくりしゃべってくれるので、何が話題になっているか、そのくらいはわかるが、しかし一部だけだ。細かいところは、横にいる朝典が、通訳してくれてはじめてわかることであった。 「きみは、沖縄で手《ティー》を学びたいということなのだね」 「そうです」 「しかし、それは、極めて難しいことだ。わかるね」 「はい」 「沖縄手にも、色々ある。わたしのやってる|那 覇 手《ナーファーディー》、泊手《トマイディー》、首里手《スイディー》、それぞれの土地、それぞれの家に、手がある。この沖縄の中でさえ、他の土地の人間には、めったなことでは家の手は教えぬものだ」 「はい」  惣角はうなずいた。  それは、惣角もよくわかっている。  あたりまえのことだ。 「朝典、それは、おまえもよく承知していることのはずだ」 「承知しております」  朝典は、床に額をあてるほど頭を下げた。 「では、何故、武田くんを連れてきたのだ」 「わたしが、負けたからです」 「それは、すでに聴いた。しかし、野試合をして負けたおまえがどうして、武田くんを沖縄へ?」 「わたしが、お願いいたしました」  朝典に代って、惣角が言った。 「誰かから頼まれたから、というのは理由にはならないよ。頼まれたら、何でもいうことを聴く人間には、わたしは理由を訊ねたりはしない」  惣角に向けていた視線を、新垣は朝典にもどした。 「手《ティー》が、こんなものであると、思われたくなかったからです」  頭を下げたまま朝典は言った。 「負けたのは、わたしであって、手ではありません。手というのは、もっと強く、もっと奥が深いものであるということを知ってもらいたかったからです」  その声にかぶせるように、 「盗みに来たな……」  低い声が響いた。  その声を発っしたのは、島袋安徳であった。 「その眼を見ればわかる。それは、盗《ぬす》っ人《と》の眼じゃ。ぬしは、沖縄へ、手を学びに来たのではない。盗みに来たのであろう」  惣角は、安徳を見やった。  安徳と眼が合った。  その双眸に、火の色が宿っている。 「惣角とやら、ぬしゃ、朝典と闘い、勝ったものの、その怖ろしさが身に染みたのであろう。それで、手を我がものにしようと考えたのであろう」 「その通りじゃ……」  惣角は、拍子抜けするほど迷いのない声で言った。 「わたしは、手を盗むためにやってきた。しかし、学ぶというのは、もともとそういうことではないか——」 「ヤマトンチューがぬけぬけと——」  安徳は言った。  ヤマトンチュー、つまり本土の人間ということだ。これに対して、ウチナンチューと言えば、これは沖縄の人間という意味になる。  しかし、口で言うほどの殺気は、安徳からは感じられない。  あるいは、惣角を挑発しようと、わざとそういう言い方をしているのかもしれなかった。 「朝典は、わが門派でもそこそこの実力を持つ者です。朝典が敗れたというのは、武田さんも相当の腕であるということではありませんか——」  それまで黙っていた東恩納寛量が言った。 「先生、思えば、わたしも他《よそ》の人間ということでは同じです」  落ち着いた声であった。 「うむ」  東恩納寛量——やがて、那覇手中興の祖と呼ばれる人物であり、もともとは、那覇西村の薪売り商人の家に生まれている。  童名、真牛。  父の寛用《かんよう》は、慶良間《けらま》から山原《やんばる》船で薪を運び、これを売って生計を立てていた。寛量は、父の仕事を手伝い、新垣の家に出入りをしていた人間で、東恩納の家は元々士族であったが、この頃は平民として薪を商っていたのである。  那覇手は本来士族のみに教える手であり、それも久米士族以外には門外不出の術《じゅつ》であったのだが、家に出入りする寛量の並ならぬ才に新垣が気づき、特別に弟子入りを許したのである。  寛量の弟子には今日の剛柔流の宮城長順、東恩流の許田重発、糸東《しとう》流の摩文仁《まぶに》賢和がおり、後の空手の基礎を作った人物と言っていい。  明治一〇年に、清《しん》国へ渡り、ルールーコウから唐手《トウディー》を学んで、明治十三年沖縄に帰ってきた。  今、惣角の眼の前にいるのは、大陸から帰ってきたばかりの東恩納寛量であった。 「本日、清より帰った御挨拶に、先生のところへうかがい、こうしてこの場に居合わせたのも、何かの縁でしょう」 「縁か……」 「わたしも、平民の身ながら、新垣先生に学び、異国の人間であるにもかかわらず、大陸に唐手を学びました。わたしも、朝典の右腕を折ってのけたという、武田さんの腕を見てみたい……」  寛量の眼が、静かに惣角を見つめている。 「先生、武田さんさえよければ、わたしがそれを試させていただいてよろしいですか」 「武田くん次第じゃ」  新垣が言った時、 「待て、寛量——」  そこへ、声をかけてきたのは、島袋であった。 「おれがやろう」  島袋が、腰を浮かせた。 「あの面構《つらがまえ》、それなりの覚悟あってのこと、自分が試しましょう」 「やめなさい、安徳。おまえでは試しにならなくなる」  新垣がとめると、浮かせかけた島袋の腰が途中で止まった。 「立ちませんか、武田さん」  寛量が言った。  惣角は無言である。  口を一文字に結んで、押し黙っている。 「武田くん、断わっていいのだよ」  新垣が言った時、惣角は、すうっと立ちあがっていた。  横から、朝典がしきりに眼を合わせようとしてきているのはわかっていたが、惣角は、わざとそちらを見なかった。  死ぬ覚悟ができた。  だから立ったのだ。  遅れて、寛量が立ちあがった。 「庭へ出ましょう」  寛量が言った。 (二)  陽光の中に、惣角は立った。  海からの風が、惣角の頬をなぶっている。  いい風だ。  手《ティー》に興味を覚え、この沖縄までやってきたのだ。  それを知る機会をここで逃がしては、何のために来たのかわからない。  生命を落とす——その可能性を秘めた場所に自分が立ったことを、惣角は自覚していた。  もともと、西南戦争で死ぬ運命にあった生命だ。自分が西郷軍に加わったとて、西郷の敗北は避けられない。加わっていれば、十中八、九は死んでいたはずだ。  寛量も、惣角も、素足で土を踏んでいた。  一間ほどの距離を置いて、向き合っている。  寛量は、痩身であった。  五寸ほど、惣角より丈がある。  鋭い頬骨と、頬の左右に向かって、唇の端がきりっと下がっている。  向きあった惣角と寛量を、新垣、島袋、朝典の三人が並んで眺めている。 �試す�  と、寛量は言った。  その�試す�が、どういう意味のものか、惣角にはわからない。  わからない以上、惣角がとる態度はただひとつしかない。  その�試す�を、�果たし合い�と同じに考えることだ。�果たし合い�というのは、惣角にとっては�殺し合い�のことである。  すでに、これは�殺し合い�であると惣角は覚悟を決めた。  決めたら、すでに心は静かにおさまっている。  緊張はあるが、心の置き所がないような状態ではない。  黙って、惣角は寛量を見つめている。 「惚れ惚れするほど潔い方だなあ、武田さんは——」  寛量がつぶやいた。  その言葉の意味を、もう、惣角は考えない。  寛量が、これからどういう動きをするのか、どう動いてくるかに意識を集中させている。よく研いだ刃を、頬にあてているのと同じだ。  ぴりぴりと、肌にその刃が触れているのがわかる。わずかでも動けば、皮膚が切れる。  自分から動く手はない。  自分から動くのは不利だ。  寛量が、どのような術を持っているかわかっていないからである。  すっ、  と、寛量が前に出た。  続いて、もう一歩。  すっ、  と寛量の足が出る。  迷いのない、滑らかな動きだ。  惣角が、死を覚悟してここに立っているのを、もちろん寛量はわかっている。わかっていながら、そういう動きができるというのはこれは並の人間ではない。  二歩目と共に、寛量の腰が、すっと沈んだ。  それに合わせるように、惣角は膝を地に落としていた。  寛量の動きが止まった。  両膝を地に着き、両の爪先を地に置いたかたち——御式内の基本姿勢である。  自然に、惣角はそのかたちをとっていた。  何をしてくるにしろ、それは、いずれは当て身を主体としたものであろう。立っていれば、手か足か、どちらかの攻撃を受けることになるが、こちらが膝を着いてしまえば、手の攻撃はまずないといっていい。  足か、膝か、いずれにしろ脚を使った攻撃に限定されることになる。  一度、朝典と闘った経験が、役に立った。  どちらも動かない。  ただ、ふたりの間を、潮風が吹き抜けてゆく。  やがて——  すっと寛量が退がった。  充分な距離をとって、 「お手間をかけました」  頭を下げた。  空気の中に張りつめていたものがゆるんでいる。  寛量が、惣角に対して仕掛けてきたものが、それで済んだということらしい。 「殺し合いまでするつもりはありませんよ、惣角さん」  東恩納寛量は微笑した。  惣角は、ゆっくりと立ちあがった。  怒ったような表情をしている。  死を覚悟してそこに臨んだ自分の思いを、そこですかされたような気がしているらしい。 「武田くん、好きなだけ、この家に滞在してゆくといい」  新垣が言った。 「わたしの手《ティー》を、勝手に盗んでゆけばいい——」  新垣は、笑ったが、まだ、惣角は緊張を解いていなかった。  張りつめた気を、周囲に放ちながら、東恩納寛量を睨んでいた。 (三)  武田惣角というヤマトンチューが、新垣世璋のもとで手《ティー》を学んでいるという噂は、ほどなく、首里一帯の関係者の間に知れ渡った。 「何故、新垣はヤマトンチューに手《ティー》を教えるのか」  関係者の中には、そういう者もいたが、 「ほうっておけ。いずれ、音《ね》をあげて逃げ出すわ」 「|小さい《グマサン》ヤマトンチューじゃからの」  このように笑う者もいた。  手《ティー》の修行は厳しい。興味半分で学ぼうとしても、学べるものではない。  沖縄の人間で、手《ティー》のことを多少でも知っている者は、手《ティー》を学ぶことがどれほど過酷なことかよくわかっていた。  しかし、この小さいヤマトンチューは、音をあげなかった。  ふたつの一斗瓶《いっとがめ》の中に砂を入れて、この口を手の指だけで掴み、左右の手で持ちあげて、立つ。持ちながら歩く。これが、砂の量を増やせば、瓶ひとつが六貫に余る重さ(二〇キロ以上)になる。  これを、一時間、二時間、ただ持ち、ただ歩くだけの修行である。  大きな器に、小砂利や砂を入れて、その小砂利や砂を叩いたり突いたりもする。  あるいは、板に藁を巻きつけ、それを地に立てて、拳で打つ、突く。樹の幹を蹴る。血が滲んでもやめない。皮膚が破れてもやめない。やがて、使っている部位に、タコができる。そこの皮膚が爪のように角質化して硬くなる。拳の骨も、太くなり、中が詰まり、さらに硬さを増す。  一斗瓶の鍛錬では、惣角は一番重いものを持った。  そういう鍛錬の他にやったのは、形《かた》であった。  ピンアン、シーサン、スーパーリンペイ——  手《ティー》の形を、ひたすら学ばされた。  実戦はなく、乱取りや試《ため》し合いもない。  島袋安徳の場合、この拳や身体の各部位の鍛錬が、他のどの門下生よりも凄まじかった。  拳にしても、指のつけ根の外側の硬いところでばかり打っているわけではない。拳のあらゆる場所を使って打つ。手の甲。指先。掌。全ての部位を打ちつける。それも日常的に打つ。稽古でない時でも、それをするのである。机の角。椅子の角。鍋。棒。樹。土。岩。石。目に入るほとんどのものを打つ。それも、凄まじい力で打つ。見ている者が恐ろしくなるような力がこもっている。  最初は、掌が腫れあがり、膨らんで血袋のようになった。それでも、安徳は打ちつけるのをやめなかったという。  朝典から惣角が聴いたところによると、ある時、師の新垣が、安徳の独り稽古を眺めていたことがあったという。  岩を拳で突いていた時だ。  師の視線を感じた安徳は、それまでよりさらに強い力で岩を叩きはじめた。  皮膚が破れ、血が流れ、その血と肉片までが、岩に付いた。それを新垣は見守っていた。  すると、島袋安徳は、岩に背を向けて立った。  ひと呼吸、ふた呼吸、息を整えると、安徳は岩を振り返りざま、 「きやあああっ!!」  雄叫びをあげて、渾身の力を込めて岩に拳を打ち込んだ。  拳のタコがちぎれて落ち、そこから白い骨がのぞいた。  思わず、新垣が顔をそむけた。  この時、 �勝った�  安徳はそう思ったというのである。  師の視線を感じた時、安徳は、師から、�自分が挑戦されている�  と考えたという。  それだけか。  それだけの力を込めてしか叩けないのか。  新垣の視線が、そう言っているように感じられた。 �負けてたまるか�  さらに力を込めて岩を叩いたのだが、本気の力を込められない。心のどこかに岩を怖がっている自分がいる。 �いっそ、岩を見なければ——�  それで、安徳は、いったん岩に背を向け、振り向きざまに岩をおもいきり叩いたというのである。  後になって、安徳が語った話である。  似たような鍛錬を、惣角もやった。  惣角は、逃げ出さなかった。  鍛錬と型——この稽古に惣角は日々明け暮れていたのである。 「おい、明日、辻《つじ》へ行かぬか」  安徳が、惣角に声をかけてきたのは、一年半ほどもたった頃であった。  明治十五年(一八八二)の三月になっている。  辻というのは辻町のことで、首里にある遊郭街のことである。大通りが四っつ。小路が十二あって、千人に余る娼妓が、この一画に集まっていた。  惣角も、沖縄に来て一年半——そのくらいはすでにわかっている。 「わかった」  惣角はそう返事をした。  安徳の姿が消えた後、 「知ってるか、惣角」  朝典が訊ねてきた。 「何をだ」 「辻が、どんなところかをだ」 「遊郭ではないのか」 「それだけではない」 「それだけではない?」 「|おまえ《プバ》、仕掛けられるぞ、惣角」 「何を仕掛けられるんだ」 「|掛け試し《カキダミシ》じゃ」 「カキダミシ?」 「辻はな、腕を試したい連中が、集まっているところだ」 「何?」  辻は、昔から、手《ティー》を学んでいる者が、腕試しをするところであった。  手《ティー》を学ぶ者は、自分に自信がついてくると、皆辻に出かけてゆく。  そこで、手《ティー》を学んでいるものに喧嘩をふっかけて闘うのである。  顔つき、ものごしを見れば、その人間が手《ティー》を学んでいるかどうかはわかる。その人間に、闘いを仕掛けるのである。名のって仕掛ける場合もあれば、時には出会った途端、いきなり仕掛けることもある。しかし、いきなり仕掛けられて負けた場合でも、後でそれをとやかく言うのは恥とされている。  これが、|掛け試し《カキダミシ》である。  名のある者どうしの|掛け試し《カキダミシ》となった時は、遊郭中から客が集まって、これを見物した。役人——つまり警察も、負けた方が訴えたりしない限り、これを黙認した。 「つまり、そういうことじゃ」  朝典が、惣角に言った。 「安徳が、おれを試そうとしているということか——」 「手《ティー》を学んでいるヤマトンチューのことは、多くの者が知っている。ヤマトンチューを憎んでいる者も多い」  朝典の言ったことの意味は、惣角もわかっている。  琉球王国が琉球藩と名前を変え、明治政府が尚泰《しょうたい》を藩王となして爵位を与えて華族としたのは、明治五年(一八七二)のことだ。その七年後の明治十二年(一八七九)三月に、廃藩置県が通達され、琉球藩は沖縄県とあらためられ、尚泰は華族として東京へ居住することとなって、ここに約五〇〇年続いた琉球王朝は滅んだのである。  このおり、多くの者が、大和人《ヤマトンチュー》に抵抗しようとした。新政府に従わぬという密約書を交し、血判書まで作った集団もあった。  これは、宮古島での事件だが、そういう集団の人間、下地利社《しもじりしゃ》が、平良《たいら》に新設された警視派出所の通訳兼小使いに雇われた。これに、仲間の者が怒って、皆で下地利社を惨殺してしまうという事件がおこった。  これは新政府に賛成《サンシイ》したものを私刑《リンチ》した事件であったため、今日的には�サンシイ事件�と呼ばれている。  惣角が、安徳から辻に誘われた明治十五年は、このサンシイ事件からわずか三年しかたっていない。  いかに憎いヤマトンチューとはいえ、街中で襲ったり、殺したりすれば、これは事件としてあつかわれる。しかし、これが辻でのこととなれば、たとえ死んでも事件ではなく|掛け試し《カキダミシ》での事故ということになる。 「やめておけ。惣角。おそらく、安徳は、明日、ヤマトンチューが辻にゆくと誰かに話しているであろう。一人に言えば、噂はあっという間に広まる。腕に覚えのある者は皆、|あんた《ウンジュ》をねらって集まってくるだろう——」 「おもしろそうじゃ」 「行く気か」 「ゆく」  惣角は、おもしろそうじゃと言った時も、ゆくと言った時も、表情を変えない。 「ならば、おれもゆこう」 「おまえも?」 「見物じゃ」  朝典は、にいっと微笑した。 (四)  無数の灯りと、賑わいの中を、惣角は歩いている。  惣角を先導するかたちで、島袋安徳が少し前を歩いてゆく。惣角のやや後方を歩くのは、金城朝典であった。  辻ノ前道——  左右には、二階建て三階建ての妓楼がそびえている。  灯りの点いた二階の部屋から、着飾った娼妓たちが、通りを見下ろして、声をかけてくる。  上から注いでくる蛇皮線の音——男や女たちの嬌声。  辻のこの一画は、紅灯《こうとう》に照らされて、那覇の海に泡の如くに浮かんでいる。闇の中に生じた猥雑できらびやかな泡だ。  その泡の中を、惣角は獣のように歩いている。 「おい、朝典——」  惣角は、前を向いたまま、後ろを歩く朝典に声をかけた。 「なんだ」  朝典が言う。 「気を使わんでくれ」 「何のことだ?」 「あまり近づくと、間違えそうになる。かえってわずらわしい」  惣角には、朝典が、自分の後方を守ってくれているのだとわかっている。誰かが、いきなり後ろから惣角に仕掛けてこないように、わざと惣角の後方を歩いているのである。  しかし、惣角には、かえってそれがわずらわしい。  朝典が、周囲に向かって放っている気配は、抜き身の刃《やいば》のようなものだ。その気配が、仕掛けて来る者の気配と区別がつきにくくまぎらわしいのである。 「わかった」  言われた朝典も、惣角の言ったことの意味は、すぐに理解できた。 「少し離れよう」  朝典が、二歩ほど退がった。  これで、惣角と朝典との間に、空間ができた。充分に、他の人間が入ることのできる空間であった。 「どうだ」  前をゆく安徳が、ちらっと惣角を振り返った。 「気に入った女はいたか?」 「おらん」  惣角は、表情を変えずに言った。 「ふふん」  安徳が、顔を前にもどした。  そのまま歩いてゆく。  惣角が、辻がどういう場所であるかすでに理解していることを、安徳もわかっている。  ただ、互いにそれを口にしない。  妓楼に入るのも、そこで酒を飲むことも、惣角は避けたかった。  仕掛けてくる相手が、ただの酔客であれば、こちらが酒を飲んでいようが飲んでいまいがどうにでもあしらうことはできる。しかし、相手が、そこそこの実力を持った、武道家である場合、酒が入っていることは不利になる。  どれほどわずかの量であれ、酒が、身体の動きを鈍らせることを、惣角はよくわかっていた。紙一重の勝負の場合、わずかな動きの遅さが、勝敗を分ける。  馬鹿なことをしている——その自覚が惣角にはある。心の隅に、その想いを置いている。  わざわざ危ない状態に身を置くというのは、武道家としてあるべき姿ではない。できるだけ、危険からは身を遠ざけるのが、武道家である。それはわかっている。  なのに、何故、自分はここに来てしまったのか。  惣角は、知っている。  自分が、あの時悦んだことを。  朝典からこの辻の話を耳にした時、自分の中にいる何者かが、嬉しくて声をあげたことを。自分の中に、いったい何が潜んでいるのか。生の肉を見せられて舌なめずりする獣の如きものが自分の内部にいる。  明治十五年のこの時、惣角は二十三歳である。まだ、自分が何者であるかをわからない。  それを試したい。  自分を試したい。  その欲望に、身体が膨れあがっている。  自分を試すということは、己れがこれまで身につけてきたものを試すということだ。  自分が二十二年間で身につけてきたもの、術、技、力、心——それが自分だ。それを試すには、ぎりぎりのところへ、自分の肉体と精神を置いてみるしかない。  その時、自分の内部に何が生ずるのか、それは惣角自身にもわからない。  ただひとつ言えることは、それは、何もせずにいてはいつまでたとうがわからないということだ。それはどこかで、それを試さぬことにはわかりようのないことであった。  そういう理屈を、惣角は言葉にしてきちんと思考しているわけではない。  心の裡に湧いてきた自然《じねん》の欲に、さからうことなく従っているだけだ。  歩くうちに、ひときわ眩しい灯りを幾つも点した三階建ての妓楼が右側にある場所までやってきた。ちょうど、その妓楼の手前で、左右から路地がこの通りにぶつかっていた。  そこにさしかかった時、右の通りから、ぞろぞろと六人の男たちを従えて、ふたりの男が通りに出てきた。  男たちは、通りの中央で立ち止まり、惣角たち三人に身体を向けた。 「来たぜ」  朝典が、惣角の背後で囁いた。  惣角が足を止めた。  朝典、安徳が、惣角を左右から挟むようにして並んだ。  ふたつの集団の間にいた人の群が左右に割れた。  八人と三人が、遮るもののない状態で向かいあった。  この夜、何が起きるかわかっていた人間も多くいたらしく、 「始まるぞ」 「ヤマトンチューとウチナンチューの|掛け試し《カキダミシ》じゃ」  そういう声が人混みの中から飛んだ。  たちまち、周囲に人だかりができていた。  妓楼の二階から、次々に人の顔が果実のように現われて下を覗き込んでくる。  後方に、六人の男たちを従えたふたりの男のうちの一方は、小山のような身体をしていた。  丈、六尺。  二十六、七貫はありそうであった。  身長一八〇センチに余り、体重は百キログラムに近い。  しかし、その身体全体に、肉の緩んだ感じはない。  もうひとりの男は、丈五尺五寸五分(一六八センチ)くらいであろうか。  髪を、頭の右側に、隻首《かたかしら》にして髻《もとどり》を結っている。  肌の色があさ黒く、眼尻の左右が、いずれもこめかみの方へ向かって切れあがっていた。 「具志川朝敏《ぐしかわちょうびん》じゃ」  身体の大きな男がそう言った時、見物人の間から、どよめきがおこった。  名の知られた人物らしい。 「沖縄相撲の男じゃ」  朝典が、惣角に耳打ちをした。 「この一年負け知らずらしい」  沖縄相撲——沖縄に|琉球角力《シ マ》とよばれる相撲があることは、惣角もこの地に足を踏み入れてから耳にしている。学んでいるのは手《ティー》だが、武術には興味があるので、惣角も周囲の者に訊ねて、多少のこちらの武術のことはわかっていた。  本土の相撲と違って、着衣で闘う。土俵がない。闘う場所を、俵や他の何かで囲ったりはしない。  見合ってから組むのではなく、最初から右四つにがっぷり組み、相手が腰に巻いている帯を互いに掴みあった上で、行司の掛け声で勝負を始めるのである。  押し出しがなく、手や膝が地面についても負けではない。横だおしになってもまだ勝敗はつかない。勝負が決するのは、背中か両肩が地面についた時だ。  本土の相撲より、韓国相撲であるシルムに近い。  この男が具志川朝敏か——  惣角は、男を眺めた。  名は、噂で耳にしていた。  大力の持ち主で、角を掴んで牛を引き倒すことができ、針金を何重にも胸に巻きつけて、 「ウン」  と力を込めると、ばちんとその針金が切れるという。  惣角にとっては、沖縄相撲の人間を見るのは、これが初めてであった。 「中宗根安趙《なかそねあんちょう》じゃ」  眼尻の切れあがった男が言った。 「首里手《しゅりて》の使い手じゃ」  朝典が言った。  この名も、惣角は耳にしている。  首里手の安趙——通称|蠱物《マジムン》安趙。  蠱物《マジムン》とは、沖縄の言葉で、本土で言えば呪詛《じゅそ》の意である。技が速く、仕掛けられた方はどういう技でやられたかわからない。見ている者にもわからない。  たとえば、安趙と相手が向き合い、互いに歩み寄ってゆく。そのままふたりがすれちがう。通り過ぎた時には相手が倒れている。  そこでどういう技が仕掛けられたかわからない。  それで、蠱物《マジムン》の異名がある。  具志川朝敏——  中宗根安趙——  どちらも名の知られた相手であった。 「おい、惣角……」  安徳が、低く声をかけてきた。 「逃げてもいいんだぜ」  その言葉を無視して、 「武田惣角じゃ……」  惣角は名を告げた。  これで、正式に|掛け試し《カキダミシ》を受けたことになる。 「ここに集まったのは、いずれも今夜、|お前《ウンジュ》に|掛け試し《カキダミシ》をしようと集まった連中じゃ。本来なら、早いもの勝ちじゃが、この朝敏と安趙の名を聴いて、他の者は降りた。我らふたりが相手じゃ」  具志川朝敏が言った。 「どちらが先じゃ」  惣角は、落ち着いた声で問うた。  腹の底はかあっと煮えた岩を呑んだように熱くなっているのに、頭は冷えた海の如くに静まりかえっている。 「籤《くじ》で決めた」  朝敏が言うと、安趙と他の者が、後方に退がった。  そこに、沖縄相撲の朝敏のみが残った。 「このふたりとやれるんじゃ。うらやましいのう……」  安徳がつぶやいて、横手の人混みの方へ身を移した。 「おれが、もう一度、|お前《ウンジュ》とやりたいくらいじゃ。しかし、今夜は——」  朝典はつぶやき、 「見物じゃ」  惣角の耳元でそう囁いて離れていった。  惣角は、ただ独りで、朝敏と向かいあった。  それにしても、凄い男だ——と惣角は思った。  朝典のことである。  よほど、この沖縄では名が知られていたのであろう。その朝典にこの自分が勝ったという噂が流れたからこそ、これだけの人物がここに集まってきたのだろう。  惣角は、眼の前にいる巨躯の漢《おとこ》を見やった。  惣角の思考の中から、すうっと朝典のことが去ってゆく。  具志川朝敏とふたりきりになった。見物人が何人いようと、もはや関係がない。周囲のざわめきも消え去り、朝敏の呼吸音と自分の呼吸音がふたりきりとなった虚空に響いている。  惣角の丈は、四尺九寸(一四九センチ)。  身体の重さは朝敏が倍ほどもある。  大人と子供。 「あれが噂のヤマトンチューか」 「小《こま》いのう」  見物人が、あらためて向きあったふたりの体格を比較して、溜め息をつく。 「どれだけ技が立とうと、あれだけの体格差があってはどうしようもあるまい」  そういう声も、惣角の耳には届いていない。  まだ、相手は間合の外にいる。  惣角は、うきうきとしている自分の心を見つめていた。  気持ちは張りつめているのに、その緊張を楽しんでいる自分がいるのである。  相手と呼吸がそろったその瞬間—— �勝てる�  惣角はそう思った。  思った時には、  ふっ、  と身体が前傾した。  歩き出す直前の動作だ。  しかし、惣角は足を踏み出さなかった。  足を踏み出して、歩き出したのは向こうの方である。  惣角に呼吸を読まれ、操られたのである。  そのまま、朝敏は間合に入ってきた。  惣角は動かない。  朝敏は、動かぬ惣角に向かって手を伸ばしてきた。  誘うように惣角が右腕を伸ばすと、朝敏が左手を持ちあげてその袖を掴んできた。  朝敏の指が、惣角の袖を掴んだかどうかというその瞬間——  朝敏の身体は、左肩から前のめりに、もんどりうって地面の上に転がり落ちていた。  惣角は、浅く腰を落とし、体軸を中心軸にして、右肩を小さく回わしただけだ。  一回転して仰向けに転がった朝敏の顔の上に、真上から落ちてくるものがあった。  惣角の右足であった。 「かあっ」  惣角の右足の踵が、朝敏の顔面をおもいきり踏みつけていた。  めりっ、  と、鼻の軟骨が潰れる感触があった。  勝った!?  惣角の脳裏に、その思いがふき抜ける。  もうひとつ。  右足を持ちあげ、もうひとつ顔面に足を落とそうとしたその時、軸脚とした左足首を、朝敏の右手が掴んでいた。 「ひゅっ」  と惣角の口から、笛のような呼気が洩れた。  惣角の右足が、もう一度、朝敏の顔面を踏みつけていた。  しかし、浅い。  惣角は、すでに重心を失い、仰向けに倒れかけていた。  惣角は、その流れにさからわなかった。  倒れながら、自分の左足首を掴んでいる朝敏の右手首を両手で掴み、身体を丸めながら、回転した。  朝敏の腕を、足と両手の力を使ってねじったのである。  めちめちっ、  と、朝敏の右手首の靭帯がちぎれてゆくのが感触でわかった。  足首から、朝敏の右手が離れた。  しかし、惣角は、両手で握った朝敏の右手首を離さない。その腕を腹の上に抱え込み、自らは仰向けになった。  逆十字を極《き》めた。  折った。  迷わない。 「ぐむむっ」  と、朝敏は牛のように低く呻いただけであった。  朝敏の肘関節が、逆側に�く�の字に折れ曲がっていた。  しかし、そのままのかたちで、惣角の背が、地面から離れて浮きあがっていた。  朝敏が、立ちあがりながら、右肩と背筋だけの力で、惣角の身体を持ちあげていたのである。  このままでは次の瞬間には、後頭部から地面に叩きつけられる。  朝敏の右腕にからめていた脚をほどき、落とされる寸前に、惣角は地面に立っていた。  掴んでいた朝敏の右手首も、惣角は放していた。  再び、向き合った。  朝敏の鼻は、横に曲がり、どす黒い血が鼻から流れていた。  右腕は、だらりと下がっている。  しかし、血まみれのその口が嗤《わら》っていた。  殺す——  惣角は覚悟した。  殺すしかない。  殺す気で、ではない。  本気で殺すしかない。  そうしなければ、この勝負は終らないのだ。  覚悟した瞬間、身体が楽になった。  力が抜け、自然体となった。  呼吸の回数が、すうっと減ってゆく。  その時——  すうっと、惣角と朝敏の間に入ってきた人影があった。  中宗根安趙であった。 「やめとけ」  安趙は、朝敏に向かって言った。 「死ぬぜ……」  言われた朝敏は、わずかに沈黙し、 「死ぬつもりでいたんだが……」  笑みを浮かべながら、左手の太い指で頭を掻いた。 「やめとこう」  左手を下げる。 「死んじまったら、このヤマトンチューが負けるところを見ることができねえからな」  朝敏が、ちらりと惣角に視線を送ってきた。  負け惜しみでないことは、惣角もわかっていた。  今、朝敏は、確かに死ぬ覚悟をしていたのだ。  それが、惣角にはわかった。  なんという場所か。  この辻というところは。  なんというとんでもない場所に自分は立ってしまったのかとは、惣角は思っていない。  なんという場所であろうか。  背に、ぞくぞくとする歓喜に似たものが這い昇ってくる。  ざわざわと肉がざわめいている。  惣角の獣が、猛るようにして悦んでいるのである。  嬉しい。  自分は、今、まさに自分が立つべき場所に立っているのだと惣角は思った。  西南の役で死にそこない、居場所を求めて放浪したが、自分が立つべき場所はここであったのだ。  独りでは立てない場所だ。  そういう相手にめぐりあって、初めて立てる場所だ。  惣角は、初めて、自分の眼の前に立つ相手のことを、愛しいと思った。  おまえがいたから、おまえがいたからこそのことだ。  惣角もまた、朝敏を眺めながら微笑していた。 (五)  惣角は、中宗根安趙と向きあって立っていた。  間合のすぐ外側だ。  柔《やわら》の間合ではない。  手《ティー》の間合である。  ぎりぎりのぎりぎり——ふたりの鼻先に薄紙一枚ほどのゆとりもない。  どちらも動かない。  最初、安趙は、朝敏と違って、惣角の誘いにのらなかった。  動いたのは、ふたり同時であった。  どちらがどちらを誘ったというのではない。  自然に前に出ていた。  急な動きではない。  じわり、じわりと、互いに距離と間合を計りながら前へ出てきたのだ。距離が縮まるにつれて、互いに前へ出る動きが小さくなっていった。始めは、一歩ずつであったものが半歩になり、すぐに、指一本の距離となった。  さらに近づくと、次には、足の指で這うようにして、前に出るようになり、それもすぐに、さらに小さな動きとなった。  砂粒ひとつずつ。  足の親指で、じわっ、じわっ、と前ににじり寄った。  もうひと粒。  もうひと粒。  最後には、砂の粒ひとつの半分の距離を縮めて、そこでふたりは壁にぶつかってしまったのである。  薄紙一枚ほどの、しかし、分厚い堅い壁だ。  もう、前に出ることができない。  前に出たら、始まってしまうからだ。  結果が見えない動きの中に入ってしまう。相手の動きが読めない。自分もどう反応するかわからない。そういう、動きが、自分の意志に関係なく、否応なしに始まってしまう。  だから、動けない。  手《ティー》の動きをすれば、自分はおそらくこの安趙に負けるであろうと、惣角は思っている。  手《ティー》で闘おうとすれば、自分は敗北するであろう。それはわかっている。しかし、どうやって闘えばよいのか。  さっきやった、こより投げは、この安趙にはできぬであろう。  こより投げが使えるのは、相手の肉体とこちらの肉体が触れ合った時だ。できることなら、触れているだけでなく、相手がこちらの身体のどこかを握っていてもらいたいところだ。  しかし、手《ティー》の場合、触れた時には、もう、相手の技を受けてしまっている。  相手の技をかわし、くぐり、組むことができれば、こちらも色々のことができる。  それも、襟や袖を握るということでは、まだ距離がある。肘、膝など相手の攻撃を受けてしまう。  それを封ずるためには、相手に身体を密着させて、距離を完全に殺して組まなければならない。  それが、できるかどうか。  できないとは思えないが、できるとも思えない。  半年間|手《ティー》を学んで、その恐ろしさは充分に理解している。  じりっ、  と、安趙が砂粒ひとつ、前に出る。  じりっ、  と、惣角が砂粒ひとつほど、後方に退がる。  また、安趙が砂粒ひとつ出る。  砂粒ひとつ、惣角が退がる。  砂粒ひとつずつ、惣角が押されている。  このままでは、位《くらい》負けしてしまう。  位負けしたら、ひと息に安趙が出てくるであろう。  その時に、攻撃される。  足でくるか、拳でくるか。  身体のどの部位を使って、こちらのどの部位を攻撃してくるかがあらかじめわかれば、こより投げを使えるであろう。  朝典と闘った時は、いったい自分はどうやって闘ったのか。  あの時は、むしろ、何も知らぬから闘えたのだ。  知ってしまった今は、かえって動けない。  相手の拳や足は、刀と同じだ。  触れたら切れる。  そう思えばよい。  ならば、肉を斬らせて、骨を断つか——  相手の攻撃を受ける。  肉の厚みだけ、斬らせてやる。  それを覚悟すれば、打ってきた相手の腕を捕えることはできよう。  そう思った。  思った時には身体が動いていた。  じわり、  と惣角は間合をつめていた。  額の肉の厚みの分——一分《いちぶ》半ほどの距離をつめていた。  四ミリと少し——  砂粒ひとつに比べればたいへんな距離だ。  安趙が、砂粒ひとつの距離を動くのを止めていた。  安趙は動かない。  惣角の意図を読んだようであった。  先に仕掛けた方が危ないとわかっているのであろう。  ならば——  惣角は、浅く腰を落として、さらに四分、前に出た。  しかし、前に出たのは足と腰であり、頭部はもとの位置に残している。  両手を、前に出していた。  左手を先へ、右手が手前。  これで、惣角は自分の間合ぎりぎりまで近づいたことになる。  いつでも組める。  そのかわりに、自分は手《ティー》の間合に入っている。  頭部にさえ、手《ティー》の打突《だとつ》を受けなければ、組める。肉を斬らせる代りに、骨を断つことができる。  いつ安趙がしかけてきてもよい。  胆が据わった。  安趙がこなければ、先にしかけるもよい。  これで五分と五分。  すうっと肉が澄みわたって、その中に自分の意識が立っているのが見える。  安趙は動かない。  動かずに立っている。  ならば、こちらからゆくか。  自然にそう思った。自分の身の丈が、頭ひとつ伸びたような気がした。  位《くらい》をとった。  そう思ったその時—— 「おぬしの勝ちじゃ……」  安趙は低い声で言った。  安趙の肉の裡に、張りつめていたものが緩んだ。  惣角は、その声を耳にした瞬間、ふっと気が途切れそうになった。とった位が、それで消えそうになった。そのとった位を、かろうじて支えたのは、惣角が腹の底に溜めた覚悟であった。  かまわず前に出て組もうとした時、つうっ、つうっと、安趙は後方に退がった。  充分な距離が、惣角との間に生まれた。 「すまぬな、朝敏」  安趙は、大きな声で言った。 「このヤマトンチューは、わしのひっかけにかからなんだわ。わしの負けじゃ」  本当か。  本当に、この男は、自分が負けたと言っているのか。  惣角は、まだ、肉の裡に緊張を持続している。  ぎらぎらとした気の光芒を、その肉から放っている。 「おまえの勝ちじゃ、惣角——」  人混みの中から、朝典が歩み寄ってきて言った。  本当か、皆で、この自分をたばかろうとしているのではないのか!?  惣角は、炯々《けいけい》と光る眼を朝典に向けた。 「おまえが、安趙に位勝《くらいが》ちしたのじゃ」  朝典が、惣角の肩に手をかけようとする。  ぱあん、  と、音をたてて、その手を惣角が右手で払った。 「落ちつけ、惣角」  朝典は言った。  惣角は、激しく音をたてて息を吸い込み、  かあああっ、  それを吐いた。  肩を波立たせながら、惣角が呼吸を繰り返す。  ようやく、その息が整ってきた。 「ふふん」  島袋安徳が、その光景を眺めながら嗤《わら》った。  その時—— 「みごとじゃ」  人混みの中から声が響いた。  人垣が、左右に割れた。  そこから、ひとりの老人が歩み出てきた。  白髪白髯《はくはつはくぜん》——八〇歳前後であろうか。痩せて、ひょろりとした身体をした老人であった。  浅く背が曲がっている。 「いやあ、みごとじゃった、ヤマトンチューよ……」  老人は、皺の浮いた顔をさらに皺に埋もれさせて、満面の笑みを浮かべながら、惣角に向かって歩み寄ってきた。 「いったいどのような修行をすれば、その歳でそれだけのことができるようになるのかね——」  惣角のすぐ前に立ち止まり、右手を伸ばし、人差し指を立てて、 「なあ、ヤマトンチューよ」  その指先で、とん、と軽く惣角の胸を押した。 �あっ�  と、惣角は思った。  今の、その指先の軽い突き——もしも、それが刃物であったら。いや、刃物でなくともよい。そのまんまの指先であっても、この老人がその気になれば、その指先で心臓を突かれていたはずだ。  力こそこもっていなかったが、それがわかる。  不意打ちであった。  なんとみごとにこの人物は人の懐に入ってくるのか。  惣角の目の前で、その老人はにこやかに微笑している。  そこで、ようやく惣角は気づいていた。  中宗根安趙、具志川朝敏をはじめとする八人の男たちが、一様にこの老人に向かって頭を下げていたのである。男たちのみではなかった。金城朝典、島袋安徳もまた、この老人に向かって頭を下げている。  何者か、この老人—— 「松村先生、おいでとは知りませんでした」  安趙が、老人に向かってそう言い、また頭を下げた。 「あそこでやめて賢明じゃったわ。始まっていたら、死ぬか一生ものの怪我を負うていたところじゃ」  惣角が驚いたのは、そう言いながら、この老人が、平気で自分に背を向けたことであった。  まるで無防備な背が、今、自分の目の前にあった。  傍に立った朝典が、惣角に耳打ちした。 「松村宗棍先生《まつむらそうこんシンシー》じゃ」  この人物が——  惣角は思った。  惣角は新垣世璋の所で手《ティー》を学んでいるのだが、稽古の合間に、他の仲間と、話をすることが幾度となくあった。そういう時、話題は自然に手のことになる。手の技術的な話も多くしたが、話題の多くは、手《ティー》の祖となった過去の達人、名人たちの話である。そのうちでも、最も多く話題にのぼったのが、この松村宗棍の名であった。  松村宗棍——  一八〇〇年に首里山川に生まれ、武士《サムレー》松村と呼ばれた。  五十四歩《ウーセーシー》の形を得意とし、琉球国王の武術指南役をつとめた、生ける伝説そのものと言っていい。 (六)  松村宗棍には、幾つかの逸話が語りつがれている。  それは、このときより四十九年前——天保四年(一八三三)のことであったと伝えられている。  時の琉球王は、|尚※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]《しょうこう》であったが、奇行が多く、精神に異常をきたしていたことから、世子の尚育《しょういく》が、五年前から王位を代行していた。  松村宗棍は、この尚育琉球王の武術指南役をしていたのである。  時に、宗棍三十四歳——  発端は、前王尚|※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]《こう》が、いきなり、 「今年の盆踊《エイサー》で、宗棍と牛を闘わせよ」  そう言い出したことであった。  というのも、この前年、琉球はたいへんな飢饉に見まわれ、四千人に近い死者を出していたのである。重なった巨大台風の上陸と、干ばつがその原因であった。そこで、前王尚|※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]《こう》は、今年のエイサーを、できるだけ派手で大きな規模のものにして、民の心を鼓舞しようと考えたのである。  そのためには、できるだけ多くの人間をエイサーに集めねばならない。その手段として、尚|※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]《こう》が考えたのが、 �宗棍と牛との闘い�  であったのである。  宗棍の相手となる牛は、 「�角曲《つのまが》り�がよかろう」  尚|※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]《こう》は言った。  琉球では、昔から牛と牛とを闘わせる、 �牛喧嘩《うしオーラセ》�  が盛んであった。  この牛|喧嘩《オーラセ》で、このところ一度も負けたことのないのが、�角曲り�である。右の角が、どういうわけか右方向に途中からねじれ曲がっていることから�角曲り�の名がついたのだが、別名を�人突き�とも呼ばれていた。 �角曲り�は、巨大牛である。人が何人もかからねば、牽《ひ》くこともできず、気性も荒いことから、とても農耕には使えず、荷車を牽かせることもできない。�牛|喧嘩《オーラセ》�以外には使えない暴れ牛であった。  鼻緒を千切って外へ飛び出し、何人もの人間をその角で突いて大怪我を負わせたことも、一度や二度ではない。突かれた者の中には死んだ者もいる。  そこでついた異名が�人突き�であった。 「人と牛を闘わせるのは、あまりに無謀でござりましょう」  最初にこの話をされた、三司官のひとりはそう言った。 「それで、宗棍には何か武器を持たせるのでござりますか」  三司官の別のひとりが訊ねると、 「持たせぬ」  尚|※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]《こう》は、はっきり首を左右に振った。  つまり、宗棍に素手で牛と闘えと言っているのである。  人が、どれほど身体を鍛えようが、技術を持っていようが、動物に素手で勝つのは至難の業である。体重が人の半分の犬にも、まず人は勝てない。  その相手が、牛ということになれば、まず人に勝つ目はないといっていい。もしもうまくこちらの突きか蹴りが当っても、牛には効かない。  ここでは流派名を敢えて記さないが、現代のある空手流派の長が、自流派の大会で優勝経験のある弟子に、牛と闘うよう命じたことがあった。  弟子は、牛と闘う前に、まず豚で試してみたという。  豚を飼っている農家に忍び込み、餌を食べている豚を、正拳でおもいきり突いた。豚はびくともしないで餌を食べ続けている。それで、次にこの弟子は、豚をおもいきり蹴った。それでも、豚は平気で餌を食べ続けていたというのである。  結局、その弟子と牛との素手の闘いはたち消えとなったらしいが、もし牛と素手で闘い、牛の方が本気となったら、弟子は大怪我をしていたか、悪くすれば死んでいたろう。 「猫と闘うにしたって、人が武器を持ってやっと対等ではないか」  そう言った空手流派の師範もいる。  その師範が、実際に武器を持って猫と闘ったことがあるかどうかは置くとしても、実感として正直なところを口にしたのではないか。  それほどに、素手となった時、人は動物としてひ弱い存在である。  ましてや、相手が猛牛となったらどうか。 「命ずれば、宗棍も首を横には振れませぬ」  三司官のひとりが言うのを聴いて、 「では、命ずるのではなく、闘うかどうかは宗棍自身にまかせようではないか。本当にいやであれば、宗棍はこれを断ればよい」  前王尚|※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]《こう》はそう言った。  ところが—— 「承知いたしました」  宗棍は、あっさりとこれを受けてしまったのである。  いくら自由意志とは言っても、これは断れない。  前王に、素手で牛と闘えと言われれば、やると答えるしかない。  この話を耳にした現王尚育は、さっそく宗棍を呼んで、 「馬鹿な真似はやめよ」  そう言った。 「父には、余がいくらでもとりなそう。断る理由はいくらでもある。松村宗棍に恥をかかせるようなことはせぬ」  その牛をひそかに殺して、病死ということにもできる——と尚育王は言った。 「一度はお受けしたことにござります。一度受けておいて、それをやめてしまっては、尚|※[#「さんずい+景+頁」、第3水準1-87-32]《こう》様の面子を潰すことになりましょう」  宗棍は、自分の発した言葉を曲げなかった。  エイサー当日——  会場には三万人もの人間が集まったと伝えられている。  まず、悠々として宗棍が姿を現わした。  その宗棍の姿を見た時、見物に集まった三万人の人間たちの間に、どよめきがおこった。  正面桟敷の前に出てきた宗棍の姿が、あまりにも変っていたからである。  頭には白い鍔無しの帽子を被り、身体には白い芭蕉布着《ばしょうふぎ》を纏い、腹には白い帯を締めていた。  その上から、上半身には漆黒のクロチョウを羽織っていた。  鮮やかな白と黒のコントラストが際立った姿であった。  見物客の中には、 「宗棍は、死を覚悟して、死に装束を纏ってきたのだ」  そう言った者も多くいた。  闘いの場は、木の柵で仕切られている。  柵の扉が開かれ、そこから、宗棍は泰然として中へ入った。  ほどなく、�角曲り�が牽《ひ》き出されてきて、柵の中に入ってきた。  六人もの男たちが、必死で�角曲り�を誘導し、そこで鼻緒を解いて、さっと柵の外へ出て扉を閉めた。 �角曲り�は、興奮して猛っていた。  がつんがつんと頭から柵にぶつかって、それを突き壊すように、首をしゃくりあげた。今にも柵は壊れそうであった。  やがて、�角曲り�が、柵の中にひとりの人間がいるのに気がつき、そちらへ向きなおった。�角曲り�は、前脚で土を掻きながら、頭を下げ、上目使いに宗棍を睨んだ。  じわり、じわりと、�角曲り�が宗棍に近づいてゆく。  宗棍は、ただ、黙ってそこに立っている。  地面を舐めるように首を低くして、�角曲り�が、その角に宗棍をひっかけようと、頭をしゃくりあげるように突きかかってきた。  見物客から悲鳴のような声があがった。  しかし、その角が、宗棍の身体に潜り込むようなことはなかった。  宗棍は、自分に向かって突きかかってきた�角曲り�の眼と眼の間に、  ぽん、  とひと突き正拳を打ち込んで、後方へ跳んで角の攻撃を避けたのである。  と——  それまで猛々しく首を振っていた�角曲り�が急におとなしくなって、あろうことか、宗棍に尻を向けて逃げはじめたのである。  宗棍が、�角曲り�に向かって足を踏み出すと、�角曲り�は、柵に沿って逃げるように走り出した。誰の眼にも、�角曲り�が宗棍を怖れて、怯えているのだとわかる。  わあっ、と歓声があがった。 �角曲り�が、完全に戦意を失っており、この勝負は宗棍の勝ちとなったのである。  宗棍は凄い。  ただの一撃で、あの�角曲り�をやっつけた——そういうことになったのである。 「ようやった、宗棍」  尚育は、宗棍を呼び出して、これを称えた。 「お褒めにあずかるほどのことではござりませぬ」  そう言って、宗棍は、尚育にだけは真実を語った。  実は、闘いの日のひと月前から、宗棍は、�角曲り�を飼っている者の家へ行って、あることをしていたというのである。  飼い主に金を与え、�角曲り�を牽き出させ、丈夫な鼻緒をつけて動かぬよう何人もの男たちに押さえつけさせて、何度も何度も、その額を拳で打ったというのである。  それを、ひと月の間、毎日続けた。  しかも、エイサーの日に着たのと同じ装束を身につけた。  はじめは、�角曲り�も叩かれるたびに怒って暴れようとしたが、動けない。いくら猛牛とはいえ、手《ティー》の達人宗棍に繰り返し叩かれてはたまらない。何日も同じことを続けるうちに、やがて、�角曲り�は、宗棍の姿を見ただけで怯えるようになった。  これだけの準備をして、エイサーの日にのぞんだというのである。 「はじめは�角曲り�も興奮してわたしと気づかなかったようですが、額をひと打ちしてやったら、衣装を見て、すぐに相手がこの宗棍とわかったようでござります」  なんとも入念な準備をしたものである。 「しかし、�角曲り�は、最初はぬしとわからず、襲いかかってきたのであろう」 「はい」 「にもかかわらず、あの落ちつきぶりはどういうことなのじゃ」 「牛が本気で襲いかかってきた時は、殺すしかあるまいと覚悟しておりましたので——」 「では、事前に、今、そちが申したようなことをせずとも�角曲り�に勝てたと申すか?」 「もとより」  平然と宗棍は答えたというのである。  たとえ、牛とはいえ、生類をむやみに殺したくなかったので、�角曲り�が自ら逃げるよう仕組んだというのである。  逸話は、まだある。  ある時、宗棍が、若い弟子ふたりを連れて、首里の街を歩いていたところ、 「このわしと勝負せよ」  闘いを挑んできた者があった。  身体の大きな琉球相撲の力士で、これまで何度も宗棍のもとに入門を願い出てきていたのだが、宗棍はこれをずっと断ってきた。  それを逆恨みして、男は勝負を挑んできたのである。  仲間を一〇人ほど引き連れていた。 「何故、このおれを入門させなかったのだ」  と、男が問うてくる。 「それはな、おまえが、入門を断られただけで、このようなことをする男とわかっていたからじゃ」  宗棍は、動揺した風もなく答えた。 「ならば、わしとここで闘え」 「いやじゃな」 「いやなら、四つん這いになって、このわしの股をくぐれ」  言われた宗棍、迷うことなく、 「はいよ」  と答えて、 「では、おまえの股をくぐらせてもらおう」  地面に片膝をついた。  男は、 「ま、待て——」  後方に退がった。 「どうした。股を開かんではくぐれぬではないか。しかも、退がってしまっては、なおのことくぐれぬ」  さあ、  さあ、  と宗棍が迫る。 「む、むう……」  男の額からは、脂汗が浮いた。  男は、あまりにもあっさりと股くぐりを承知した宗棍を、逆に怖れたのである。もしかしたら、宗棍は、股をくぐる時に何かを仕掛けてくるのではないか。睾丸を突かれるか、握り潰されるか。もしも、そのようなことをされたら—— 「い、いい」  男は言った。 「いい?」 「股はくぐらんでよい。今日はこれまでじゃ——」  そう言って、男は、仲間をひきつれてあたふたと姿を消してしまった。  ところが、これが、ふたりの弟子にとっては不満であった。 「どうして、あの男の股をくぐるということなど承知したのですか」 「何故、あの場であの男を叩きのめしてしまわなかったのですか」  ふたりは、口々に言った。 「それがわからぬか」  宗棍は微笑しつつ言った。 「わかりませぬ」 「先生は、臆病者じゃ」  そして、このふたりの弟子は、宗棍のもとを去ってしまったのである。  事の真相がわかったのは、宗棍の妻ウメの口からであった。  他の弟子たちが、この噂を耳にして、 「何故、先生は、あんな無頼漢の股をくぐろうとしたのでしょう」  ウメのもとに真相を訊ねにきたのである。 「それは、宗棍先生に直《じか》に訊ねたらよいではありませんか」  ウメは言った。 「宗棍先生が、自らおっしゃって下さらないので、こちらまで話をうかがいにきたのです——」 「ならば、話をしましょう」  ウメはうなずいた。 「けれど、あの人は、わたしにだってその日のことは何ひとつ話しちゃくれないので、これから話すことは、みんなわたしの想像ですよ。それでも、あたっていると思っていますけどね——」  そして、ウメは語りはじめた。 「あの人はね、自分のことより、お若いふたりの方の心配をしたのですよ」 「ふたりの方を?」 「そうです。闘いになれば、男の一〇人の仲間も加わってくるでしょう。そうすると、ふたりの若いお弟子さんも闘いに巻き込まれ、怪我をしかねません。あの人は、それを避けるために、股をくぐることを決心したのでしょう——」  ああ、なるほど——と、この話を聴いた門下生はうなずいた。  言われてみれば、もっともなことである。  あのふたりでは、闘いに巻き込まれたら、大怪我をしたことであろう。 「あの人ひとりだったら、もっと人数がいたって、やってますよ」  ウメは笑いながら言った。  この話が、やめていったふたりの耳にも入ることとなり、そのふたりは、宗棍のもとにもどってきて、あらためて門下生となることを願った。  しかし、宗棍はそれを許さなかった。 「おまえたちふたりは、手《ティー》の道を学ぶのにふさわしくない。できれば、なまじ手《ティー》など学ばずに、普通の生活をする方が相応であり、幸福であろう」  結局、ふたりは宗棍のもとを辞した後、別の手《ティー》の門下に入ったが、数年後、人から恨まれることがあって、街を歩いている時何者かに襲われて、その生命《いのち》を落としてしまったという。長くなったが、松村宗棍、このような人物であった。  その逸話は、惣角も耳にしている。  惣角は、その伝説の人物を、今、眼の前にしていたのである。 (七)  惣角は、その伝説の人物に向かって、自分も頭を下げようとした。  しかし、惣角の頭は下がらなかった。  ぶるりと、自分の身体が震えるのが、惣角にはわかった。 「大東流武田惣角!」  目の前にいる松村宗棍の背に向かって、惣角は叫んでいた。  顔が赤くなっている。 「一手の御教授をお願いいたします」  その瞬間、周囲が、ざわりと音をたてた。次に静まりかえった。  惣角は、宗棍を睨んでいた。  かあっ、と、頭に血がのぼっているのがわかる。  ここは、辻ではないか。  誰が誰に挑戦してもよい、そういう場所ではないか。  しかし、周囲には、異様な空気が満ちていた。  傍にいた朝典も息を呑み、 「狂うたか、惣角」  そう言った。 「そんなことをしたら、ここにいる全員が敵じゃ。このおれもじゃ」  そんな声も、惣角は耳に入らない。  いくら、達人、名人といっても、歳をとれば身体の動きは鈍くなる。やらずともわかっている勝負を、自分は仕掛けているのか。  傍目には、自分が、この老人に対して恥をかかせてやろうと思っているようにしか見えぬであろう。  しかし、違う。  と、惣角は思っている。  さっき、この老人は、明らかに自分の虚をついてきた。  先に仕掛けてきたのはこの老人だ。  自分は、宗棍が仕かけてきたものを受けただけにすぎない。 「勝っても負けても、ぬしはここで死ぬ」  朝典が言う。  その声が、もう惣角の耳には入らない。 「一手御教授を、松村先生!!」  その痩せた背に向かって叫んだ。  さっき、いったい何があったのか、自分に対してこの老人が何をしたのか、ただそれを知りたかった。  すうっと、松村宗棍が振り向いた。 「おまえさん、爺いをいじめんでくれ……」  ついっと宗棍の右手が伸びて、惣角の肩をぽん、と叩いた。 「な」  老宗棍は言った。  まただ。  また、身体に触れられてしまった。  宗棍は、風であった。  風は、防ぎようがない。  まるで、微風が、頬や身体を撫でてゆくように、老宗棍の手が惣角に触れてくるのである。  いったい自分は今何をされたのか——それが惣角にはわからなかった。  何かをはずされたのだ。  間合を、巧妙にはずされたのと似ていなくもない。しかし、はずされたのは間合ではない。はずされたのは目に見えぬものだ。呼吸、心、気——そういうものをはずされ、その透き間に、すっと老宗棍が入ってきたのである。  一手御教授を——  その教授を、まさしく今老宗棍がしてくれたことになる。 「今夜、辻でおもしろそうな|掛け試し《カキダミシ》があるという噂を耳にして出かけてきたのだが、いや、足を運んでよかった。充分楽しませてもろうた……」  惣角に、というよりは、周囲の者たちに聴こえるように老宗棍は言った。 「では、今夜はもう帰るとしようか。|掛け試し《カキダミシ》はこれで終いじゃ。わしはもう眠うなったでな」  老宗棍のこの言葉が、惣角の無礼を、周囲に向かってとりなしたかたちになった。  その場に張りつめていたものが、それで緩んだ。  くるりと回わって、老宗棍は、惣角に無防備な背をさらした。 「愉快じゃ……」  ぽつりとつぶやいて、老宗棍は歩き出した。  歩いてゆく先の人垣が左右に割れた。その間を、老宗棍は、悠々と歩を踏み出しながら通ってゆく。  老宗棍が去った後も、まだ、惣角はそこに突っ立っていた。  ひとり、ふたり、三人と、人垣の姿が減ってゆく。  中宗根安趙、具志川朝敏のふたりも、他の六人と共に、いつの間にか人混みの中に姿を消している。  それでも、惣角は無言でそこに立っている。 「助かったなあ、惣角——」  安徳が、声をかけてきた。  しばらく惣角と朝典を見つめ、 「あとは、おまえにまかせたぜ、朝典——」  口の端に、小さな笑みを浮かべている。 「おまえは?」 「先に帰る」  安徳は、その言葉の最後を、背を向けたかたちで言い終えた。  言い終えた時には、もう歩き出している。  ざわめきながら動き出した人混みの中に、惣角と朝典が残された。  まだ沈黙している惣角に向かって、 「生命があってよかったな——」  朝典が言った。 「おれは……」  惣角は、ようやく、口を開いた。  その声が、掠れている。 「二度殺された……」  ぎりっ、  と、惣角の奥歯が音をたてた。 (八)  ぬるい風が、惣角の頬を撫でてゆく。  潮の香を含んだ風である。  このところ、手《ティー》の稽古に身が入らない。  一〇日前に、辻で体験したことが、脳裡から離れないのである。  しばらく前に、午前中の手《ティー》の稽古が終ったところであった。午後には、自分が柔《やわら》を教えることになっている。手《ティー》を教わるかわりに、柔の形や基本を、新垣の門下生たちに教えているのである。  今は、その間の時間だ。  稽古場は、新垣の家の庭である。  惣角は、その庭から離れ、近くにあるガジュマルの大樹《たいじゅ》の下に立って、眼を閉じ、気息を整えているのである。  一〇日前、松村宗棍は、いったいどのようにして、自分の懐に入ってきたのか——それを惣角は考えていたのである。  眼では、それを覚えている。  向こうから宗棍が歩いてきて、自分に近づき、指先で胸に触れた——それだけの動きが記憶として頭の中に残っている。  しかも、二度まで——  技術であるのか偶然であるのか。  偶然ではない。  これが本気だったら、おまえさん、死んどるところだよ——宗棍の眼がそう言っていた。  子供の頃に、近悳にこよりで投げられた時のようであった。あの時も、自分が、何か不思議な魔法をかけられたような気がした。  しかし、あれは技術だ。  相手の呼吸、動作、心の動きまでを読んで、相手をこよりで投げる。  自分ができるようになってみれば、不思議でも何でもないことであった。だが、一〇日前に味わったあれは、知らぬ者から見れば、どちらも不思議な術のように見えるだろうが、一方を知っている人間にとっては、似てはいるが、別のものであるとわかる。しかし、わかるのはそれだけだ。  別のもの、だが、それが何であるのか。  相手は、八〇歳を超えた老人である。  おそらく、闘って自分は勝てるであろう。それが、試《ため》し合《あ》いならば。闘いがいつ始まるかわかっている勝負。それならば、おそらく、勝てる。  しかし、それは、本当の勝負ではないと思っている。  本当の勝負というのは、いつ始まるかわからない。判者がいて、勝者と敗者を決めたりはしない。街で出会って、いきなり向こうが仕掛けてくる。後ろから刃物で突いてくる。眠っているところを襲う。  一方が、闘いの始まったのを知らなくていいのだ。一方が、勝手に闘いを始めて、勝手に攻撃を仕掛けてくる。そういう闘いならば、自分は、あの老宗棍に負けるであろう。  試し合いというのは、闘いという変幻極まりない諸層のうちの、ほんの一部であり、その表層にすぎない。  もし、真の勝負に近い試し合いがあるとすれば、それは、次のようなものであろうと惣角は思っている。  それは、闘いが宣言された瞬間に始まり、一方の死をもって終わる。  何日も、何十日も、時に何年もその闘いは続く。武器を使ってもいいし、相手の家の井戸に毒を入れてもよい。金で人を雇って、相手を襲わせてもよい。  やっていけないことは何ひとつない。  実際のことで言えば、遺恨からこのような勝負に入ることが多い。  こういう闘いをした者たちの中には、互いに痩せ細り、精神に異常をきたすようになって、双方がそれに耐えられなくなり、和解するかたちで闘いが終ったものもある。  かつて、支那の武術界では、そういう闘いが行なわれていたのだと、惣角は新垣から聴かされている。 「勝負とは、まあ、そういうものであろう」  その時新垣はそう言った。  それを耳にした時に、 �まさしく……�  惣角は腹の中でうなずいている。  あれが、道場でやる試し合いのようなものであれば——合図と共に闘いが始まり、やっていけないこととよいことがあらかじめ決められている、そういうものであれば、自分は老宗棍に勝てるであろう。  それは、自分の手の裡のことであるからだ。  もしも、辻でのあれが闘いであったのなら自分は老宗棍の手の裡で闘ってしまったことになる。  しかし、本当に、道場での試し合いを老宗棍とやったとして、自分はあの老人に勝てるであろうか。  わからない。  それが、正直なところである。 「どうした、ヤマトンチュー」  横手から、声がかけられた。  惣角は、眼を開いた。  右横の草の上に、島袋安徳が立っていた。  同じだ。  眼を閉じていたとはいえ、安徳がそこまでやってきたことに、惣角は気づかなかった。気がついたら老宗棍の指が自分に触れていたように、安徳の声が耳に響いていた。 「どうもしない」  惣角は言った。  惣角の顔を凝《じ》っと眺め、 「つまらん」  安徳が言った。 「つまらん?」 「あんな爺《じじ》いにだまされているからだ」 「あんな爺いとは誰のことだ?」 「松村宗棍」  安徳は、惣角の反応をうかがおうとするかのように、眸《め》を覗き込んできた。 「騙されたと言ったな」 「言った」 「何のことだ」 「教えぬ」  安徳は惣角の眸を見つめたまま、 「おまえと、やることがあるかもしれぬからな……」  そうつぶやいた。  ——そうか。  やはり、辻で、老宗棍と自分との間にやりとりされたものについて、この男はわかっているのだ。 「さっき、つまらんと言ったのにはな、まだ意味がある」 「意味?」 「今のおまえなら、いつでも勝てる。いつでも勝てる相手に勝つことほどつまらぬことはないということだ」 「なに!?」 「つまらぬが、あの爺いのかわりに相手をしてやってもいい」 「本気か?」 「本気さ。ただし、おまえの本性を見せよ」 「本性だと?」 「あれを使え」 「あれ?」 「東恩納寛量と立ち合った時、おまえがやろうとしていたことだ」 「———」 「おまえは、沖縄に手《ティー》を盗みに来た。代わりに、柔《やわら》の手を色々教えてはくれるものの、まだ我等に教えていないもの、隠しているものがあるだろう。それが、あの時、おまえが使おうとしたものだ」 「———」 「それを使え」  しゃべっている安徳の腰が、浅く落ちている。  いつ、惣角から仕掛けられてもいいように体勢を整えているのである。  それは、惣角も同じであった。  まだ始まりはしない。  しかし、いつ始まってもおかしくはない状況であった。  まだ、互いに引き返すことのできる場所に立っている。だが、こういう会話を続けているうちに、やがて、引き返せぬ場所まで踏み込んでしまいそうであった。  じわり、じわりと、地から水が滲み出てくるように、ふたりの肉の内圧が高まってくる。 「いいなあ……」  安徳が言った。  眼を見つめあっている。 「ぞくぞくしてくるな」  安徳の腰が、さらに深く下がっている。  それは惣角も同じであった。  思いがけなく、闘いが始まろうとしていた。  安徳が、無理やり仕掛けてきたわけではない。ただふたり、向き合って話をしているうちに、自然にこうなってしまったのだ。  あと、十数秒もあれば、闘いが始まっていたかもしれない。 「たまらんな……」  安徳がそうつぶやいたその時——  草を踏む音がした。  その音が近づいてきて、 「おい」  声をかけてきたものがあった。  朝典の声であった。  もっと近い距離で向き合っていたら、その声をきっかけに、ふたりの闘いは始まっていたかもしれなかった。しかし、その距離までに、まだ、一歩半ほどのゆとりがあった。  声が聴こえた瞬間、惣角も安徳も、互いに半歩ずつ後方に退がっていた。これで、ふたりの間に充分な距離が生まれていた。 「いいところへ来たようだな——」  朝典は、ふたりの顔を見やりながら言った。 「——それとも、邪魔をしてしまったか」 「邪魔されてよかった。今、この男とやってもつまらんだけじゃ」  安徳が言った。 「何の用じゃ」  ぶすっとした顔で、惣角が問うた。 「新垣先生がお呼びだ。ふたりきりで、話がしたいそうじゃ」 (九)  畳の上に、惣角は座している。  正方形の琉球畳の上だ。  惣角の前に、新垣世璋が座している。 「辻でのことは、聴いている——」  新垣は言った。  これまで、顔を合わせても、新垣はそのことを口にしなかった。  耳には入っているのであろうと思っていたが、ことさらに自分で伝えるべきことではないと惣角は考えていた。それが、新垣の知るところとなり、咎められることになるのなら、その時に対応すべきことであろうと思っていた。  やはり、新垣の耳に入っていたのだ。  惣角は、辻でのことを、新垣に叱られるのかと思った。しかし、新垣は、それを叱りはしなかった。 「具志川朝敏と中宗根安趙に勝ったそうだな——」 �はい�  とは惣角は答えなかった。  無言で頭を下げた。 「松村|先生《シンシー》とも、出会ったそうだな」 「はい」  それについては、惣角は声に出してうなずいた。 「二度、自分は松村先生に殺されました」  惣角の言葉に、新垣は無言でうなずいた。  何がその時あったのか、皆、新垣は承知しているらしい。 「武田君、ちょっと立ってみなさい」  新垣は言った。  惣角が、言われて立ちあがりかけた時、すうっと新垣が立ちあがりながら右手を伸ばしてきた。  そのまま惣角は左手を新垣の右手につかまれ、上に引かれるようにして立ちあがっていた。  あ——  と、惣角は心の中で声をあげていた。  同じだった。  新垣が、今、惣角のどこかに生じた透き間にふわりと入り込んできて、手を取ったのだ。あの辻で老宗棍がやったのとまったく同じことを、自分は今新垣にされたのだ。  新垣が、惣角の手を放し—— 「君が、松村先生にされたのは、これだろう」  そう言った。 「はい」  惣角は、驚きを隠しきれぬ声でうなずいた。  新垣は、自ら先に座し、 「君も座りなさい」  惣角に言った。  惣角が座ろうとしたその時——  いきなり、新垣の拳が突き出されてきた。  ぱん、  と音がした。  惣角が、突き出されてきた拳を掌ではらって後方へ跳んだ。 「そこでいい、そこに座りなさい」  新垣が言った。  惣角は、距離をおいて、そこに座した。  あらためて惣角は、新垣と向かいあった。 「今、わたしはふたつのことをした。それに対して、君はそれぞれ別の反応をした。その違いがわかるかね」  問われても、それがわからない。  違うというのなら、それは、まず速度であろう。  最初の動作は、次の拳を打ち出してくる動作よりもずっとゆっくりしていた。  その後に打ち出されてきた拳の速さは、実戦さながらのものがあった。もし、その拳をはらって後方に跳ばなかったら、顔を叩かれて、頬骨が陥没していたかもしれない。  しかし、新垣が言った�違い�というのは、むろん、速度のことではないはずだ。それはわかる。  では、何か。 「わかりません」  惣角は言った。 「だろうね」  新垣は微笑した。 「それは、君がすでに達人の域に達しているからなのだ。君は、君自身によって騙されているのだよ」 「自分自身?」  言われても、惣角にはわからない。 「わからないだろうね」 「はい」 「いずれ、わかる」 「いずれ?」 「それは、明日かもしれない。一カ月後かもしれない。一年後、十年後かもしれない。しかし、きみは、すでにそれがわかるだけのものを身につけている。気がつきさえすれば、それは一瞬のことだ」  まるで、禅問答のようなことを、新垣は言った。 「わからねば、時にそれが生命を失うことにもなりかねない」  新垣は、そう言った後、口を閉じた。  惣角をただ見つめている。  惣角から言うべき言葉はない。無言で、新垣の次の言葉を待った。  やがて—— 「そろそろ、潮時ではないか——」  ぽつりと新垣が言った。 「潮時?」 「本土にもどってもいい頃だ」 「しかし、まだ、先生から学ばねばならないことが幾つもあります」 「はっきり言おう。君は、ねらわれている」 「ねらわれて?」 「うむ」 「生命を?」 「ことによったら——」 「先の辻でのことが原因でしょうか」 「うむ。沖縄でも、人は色々じゃ。松村|先生《シンシー》に|掛け試し《カキダミシ》を仕掛けたことを、こころよく思わぬ人間もいる。そのうちには、過激な考え方をする者も、その考え方を行動に移そうとする者もいる。別に、松村|先生《シンシー》がそのようなことをさせているわけではない。そういうことを、勝手にやろうとする人間もいるということじゃ」 「はい」 「わたしの所に、手紙が来た」 「どのような手紙でしょう」 「許せぬと——」 「許せない?」 「ヤマトンチューに、どうして手《ティー》を教えるのかと書いている。教えるのをやめろと。やめぬのなら、この新垣も敵であると——」 「先生が敵!?」 「わたしのことより、君の方だ。一日、二日、一〇日のことなら、わが門下一同で、君を守ることはできる。しかし、ずっとは無理だ。いずれ、君は殺されるやもしれぬ」 「———」 「最初の相手をかわしても、次がくる。次をかわしてもまたその次がくる。君が死ぬまでそれは続く——」 「———」 「君が、沖縄にいる間中、そういう連中の相手をすることに、どれほどの意味があろうか——」  意味は、ない。  惣角はそう思った。  しかし、惣角は黙っている。 「明日、朝、陽の昇る頃、あのガジュマルの樹の下まで来なさい」  ふいに、新垣は言った。 「ガジュマルの……」 「そうだ。そこで、君を待っている」 (十)  まだ、陽の昇る前、惣角は起きあがり、外へ出た。  母屋の向こうの東の空が、白んでいる。  母屋の裏手にある小屋で、惣角は寝泊まりしている。他の弟子は、基本的に自家から通っているのであり、内弟子のようなかたちで新垣の屋敷内に居住しているのは惣角と朝典だけである。  朝典は、まだ眠っている。  惣角は、まだ暗い庭に立って、軽く身体をほぐした。全身の筋を伸ばし、関節をまわす。  大気はまだ、ほとんど動いていない。  鼻孔から入り込んでくる朝の大気の中に、潮の香と植物の香が、悩ましいほど溶けている。  息を吸う。  陽が昇る前に現場へ出かけ、そこで惣角は新垣を待つつもりだった。  何故、新垣は自分を呼び出したのか。  その理由はわからないが、妙な胸騒ぎがあった。  いずれにしろ、先に現場に着いておくというのは悪いことではない。師への礼でもある。  庭を出、朝露に濡れた草を踏みながら、ゆるい坂を登ってゆく。  そこに、ガジュマルの巨木が生えている。  枝から、無数の気根が下がっている。  その中に、人影が見えた。  新垣世璋であった。 「遅れて申しわけありません」  惣角が言うと、 「わたしが、勝手に先に来たのだ。気にすることはない」  新垣は、樹下《じゅか》に立って、向こうに見える海を眺めている。  海の上の空が、赤みを帯びて、水平線の上の雲が、赤く染まって光っている。  惣角が新垣の前に立つと、 「見たまえ、いい朝だ」  新垣は、視線を東の空に向けて言った。 「はい」  惣角も、東に視線を向けた。  東天《とうてん》の空が、ゆっくりと明るくなってゆく。 「武田君……」  新垣は、視線を東に向けたままつぶやいた。 「君には非凡な才がある」 「わたしに?」 「体捌《たいさば》き、心の構え、胆《はら》のすえ方。どれも並の人間がたやすくたどりつける境地ではない——」  新垣は、すうっと右手を自分の懐に入れた。  自然に、惣角は浅く腰を落としている。  惣角の、身についた癖だ。いつ、どういう時に、相手が懐から刃物を出してくるかわからないからだ。  引き出されてきた新垣の手に握られていたのは、ひとつの封筒であった。 「受け取りなさい」  新垣が、その封筒を差し出してきた。  惣角が、それを手に取る。 「その中には、今朝、本土へ向かう船の切符が入っている」 「切符?」 「君は、君自身の居場所へ帰るがいい。君の居る場所は、ここではない……」  優しい口調であった。 「ありがとうございます」  惣角は、頭を下げ、それを自分の懐に入れた。 「ただ、帰る前に、君からひとつ見せてもらいたいものがある」 「何でしょう」 「君が、わたしの所へやってきたおり、東恩納寛量に対してやろうとしたことだ」 「———」 「隠すことはない。間違いなく、あの時、君は何かをやろうとしていた。それを、わたしに見せて欲しいのだ」 「御式内《おしきうち》のことですか」  新垣に対して、嘘をつくことはできない。  惣角は正直に言った。 「おしきうちというのか、あれは——」 「はい」 「それはどのようなものなのだね」 「わたしの学んだ流儀の秘伝です」 「君の学んだ流儀というと、大東流のことだね」 「大東流を学んだ人間の中でも、御式内を伝授される人間は限られています。師の許しなく、これを誰かに教えるわけにはいかないのです。お許し下さい」  しかし、新垣は惣角の言っていることが聴こえていないかのように、言葉を続けた。 「君は、あの時、両膝を地に突いた。あれを見た時には、ときめいたよ。いったい、どのような流儀にあのような形があるのかとね。あの形には、どういう意味があるのかね」 「———」 「君が、あのかたちをとったのは、あのかたちが、手《ティー》に対して有効だと判断したからだ。そうだろう」 「———」 「知りたいなあ、武田君。あの時、君が何をやろうとしていたのか。それを知ることは、我々がやっている手《ティー》の技術の向上にもつながる——いや、向上よりも何よりも、わたしは個人的に、君があの時、何のために膝を落としたのか、それを知りたくて知りたくて、実はたまらないのだよ——」 「新垣先生……」 「君が、御式内を教えないというのは、よくわかる。当然だよ。我々だって、君に手《ティー》の全てを伝授しているわけではないからね。ただ、昨日、その一部を君に見せてやったけどね」 「先生が、右手でわたしの左手を引いて立ちあがらせてくださいましたが、あのことでしょうか」 「そうだ」 「———」 「あの謎は解けたかね」 「いいえ」 「知りたいだろう?」  新垣の言葉に、これまでなかったぬめりとした感触が加わった。 「知る方法はあるよ」  その言葉を耳にした時、惣角は気づいていた。  いったいいつ始まったのかはわからないが、すでに、それが始まってしまっていることを——  惣角が隠しているもの、新垣が隠しているもの、それを知るための�方法�は、すでに始まってしまっているのだ。 「知りたければ、わたしを倒して帰りなさい——」  ぞくりと、惣角の首筋の毛が逆立った。  顔に、風を感じた。  風圧のようなものが、ぱあん、と惣角の頬を打ったのだ。しかし、それは本物の風ではない。今、まさに、惣角の顔面に、新垣の拳か足が当てられようとしたのだ。  その瞬間、惣角は大きく後方に跳んでいた。  しかし、新垣との距離は同じであった。惣角が後方に跳ぶのと同じ速度で、新垣が前に出てきたのである。  さらに惣角は動いた。  動き続けるしかない。  動かなければ、新垣に捕らえられてしまう。  二度、三度、四度——新垣から逃げながら距離を保つ。今の精神状態のまま、新垣の間合に入るわけにはいかなかった。  しかし、いつまでも逃げきれるものではない。  惣角は、逃げながら身を沈め、草の上に両膝を突いて、動きを止めていた。  東恩納寛量と向きあった時にやったあのかたちである。  同時に、新垣も動きを止めていた。  惣角の前に、新垣が立っている。  嬉しそうに笑っていた。 「君に感謝するよ、武田君——」  新垣は、頬を紅く染めながらつぶやいた。  惣角は、両膝を地に突き、両手を腿の上に置いている。正座にかたちは似ているが、正座ではない。足の甲ではなく、両足の爪先——というよりは足の指の腹にあたる部分を、地面に当てているのである。  惣角は、肩を浅く上下させている。 「なるほどねえ——」  新垣は、感心したような声をあげた。 「これまで、何度もその構えを頭の中に思い描いてきたのだが、こうして対峙してみると、実によくできた形《かたち》だ。拳、肘が使えない」  新垣の言う通りであった。  相手が座している時、手による攻撃が加えられない。もしも、手で攻撃しようとすると、その前に下半身に組みつかれて、引き倒されてしまう。攻撃する方は、おのずと使える武器が限定されてしまうのだ。 「足か——」  新垣は言った。  座した惣角に対して使える武器は、自然に蹴り技に限定されてしまうのである。  前蹴りか、横蹴り——今日言うところの回わし蹴りは、まだない。膝による打撃もなくはないが、それを使うにはより深く惣角に向かって踏み込まねばならず、踏み込めばその踏み込んでいった足に組みつかれてしまう。  攻撃できる技の数が、おそろしく限定されてしまう。  惣角も、立っている時に比べ、動きとしてはかなり制限されてしまうが、相手の仕掛けてくる技が極端に少なくなるので、充分対処できる。  もともとは、武器を持った相手に対して、無刀でどう立ち向かうかというところを基本にしてできあがった体系が御式内である。 「しかし、足でゆくのは危険だな」  足で蹴りにいって避《よ》けられたら、そのまま組みつかれ、倒されてしまう。仮に当てることができても、それで致命傷を与えることができなかったら、蹴り足か軸足をとられて、やはり倒されてしまう。  だが、それでも—— 「足しかないな」  新垣はつぶやいた。  つうっ、  と、新垣が左へ動く。  それに合わせて、惣角が、身体のむきを変えてゆく。  左へ回って、その動きを止め、次に右に回ると見せて、回わらずに右足で惣角の顎を蹴りあげてきた。  惣角は、動かない。  顎の先、すれすれのところを、新垣の右足が天に向かって駆け昇っていった。  当らないとわかっていた蹴りだ。当てるつもりのない蹴りにいちいち反応していたら、隙ができてしまう。  惣角の呼吸が整ってきた。  そこへ—— 「しゃあ!」  新垣が声をあげた。  その時、惣角には見えた。  新垣の肉体の中に動くものを。  それは、 �意《い》�  だ。 �気《き》�  と、呼んでもいい。  それが、新垣の肉の中を動いて、自分に向かってぶつかってくるのを。  左足。  左足が跳ねあがって、自分の顔面に向かって深ぶかと突き刺さってくる——そう思った。 「かああっ!」  惣角は、雄叫びをあげた。  その雄叫びをあげることによって、惣角は耐えた。  動いてしまうのを。  声をあげねば、本当に動いてしまったことであろう。実際には動いてない左足が自分に向かって蹴りあげられてくるのを避ける動作をしてしまったことであろう。しかし、現実には、新垣の左足は動いていなかった。  もしも、幻の左足をよけるための動作をしていたら、間違いなく、左足か右足かはわからないが、次の瞬間に本物の足によって、自分の顔面は蹴り潰されていたことであろう。 「かからなんだか……」  新垣が微笑した。  その声が、耳に届いた時、惣角は、心の中で声をあげていた。 �これか!?�  これが、辻で宗棍がやったことか。  これが、昨日、新垣が自分に対してやってみせたことか。  攻撃すると見せて、実は攻撃をしない。  攻撃しないと見せて、実は攻撃をしてくる。  それは、実は裏と表の関係ではないか。  辻で宗棍がやったことも昨日新垣がやってみせたことも、攻撃ではない。攻撃ではないが、あのまま攻撃にいつでも転化できる動き——日常的に箸を手に持つような感覚と動きで、そのまま相手を攻撃する。つまり、�意�も�気�も、箸を手に取るのと同じくらいしか動かない。  なまじ、気配を殺してそのような動きをすれば、それは怪しいとわかる。しかし、気配も気も殺さず、日常の動作をしつつ、その動きの�意�しか動かさずに、そのままその動きを攻撃に転化させてきたら——  まさしく、辻での宗棍の動きや昨日の新垣の動きのように見えるであろう。  なまじ、惣角は、動作の直前に存在する�意�を見ることができる。どのような動作にしろ、最初にその動作をしようという意識の動き——つまり、�意�があってはじめて発動される。その�意�が見えない時、あるいは別の動作の�意�として見えてしまったら、心に隙が生ずる。その隙をつかれてしまうことになる。 �君は、君自身によって騙されているのだよ——�  昨日、新垣が言っていたのはこのことだったのだ。  すうっと、惣角は自分の身体が宙に浮いたような気がした。身長が伸びて、丈が倍くらいになったように思えた。  みしり、  と自分の肉が音をたてて、別のものに変じたような気がした。ついさっきまで自分の肉体であったものを脱ぎ捨てて、新しい肉体を身に纏ったような気がした。さっきまで自分がいた場所から、ひとつ上の場所に登って、惣角はかつての古い自分を見下ろしているような気がした。  このような境地があったのか。 「何故、笑っているのだね」  新垣が言った。  惣角の唇には、たしかに笑みが浮いていた。  たとえていうなら仏像の口元に浮かんでいるような、あるかなしかの笑みである。 「新垣先生……」  惣角はつぶやいた。 「ありがとうございました」  頭を、ほんのわずかだけ下げた。  しかし、視線は新垣に残したままだ。 「次は、わたしが御式内をお見せする番です——」 「ほう、ようやく見せてくれるのかね」 「転び締めという技です」 「ころびじめ?」 「はい」 「どのような技なのだね」 「これからお見せします」  言って、すうっと惣角は左膝を前に出した。  新垣が退がる。  惣角の右膝が前に出る。  新垣が退がる。  それを、惣角が膝行《しっこう》して追う。 「わかった」  新垣が、退がる足を止めた。  覚悟を決めた顔であった。  左足を軽く前に出し、右足を軽く後方に引いたかたち。  それで、動かない。 �意�も何もない。  その�意�は、丸見えだ。  新垣の構えそのものが、もう、自分がどのような攻撃をするかを告げている。  もしも、惣角が近づいてきたら、腹か、顔か、そこへおもいきり、迷いのない渾身の一撃を入れる。惣角の身体の中心へ。右へも左へも逃げられない。かわせない中心へ。  その一撃が全てである——と新垣の表情と構えが言っていた。  その後のことは考えない。  つうっ、  つうっ、  と、惣角が前に出てゆく。  止まらない。  惣角が間合に入ったその瞬間、 「ちゃああっ!!」  裂帛の気合が、新垣の口から迸《ほとばし》った。  新垣の右足が地から跳ねあがった。  顔に向かってぶつかってきたその一撃を、惣角は、受けなかった。  顔面にそれを受けていたら、鼻が陥没し、耳から脳を垂れ流すようにして死んでしまうであろう。腕で受ければその腕が折れる。  かといって、あまりにも正面から真っ直に向かってくる蹴りは、腕や手ではらって横へも流せるものではない。  新垣のこれまでの人生の中でも、まさに会心の一撃であったことであろう。  惣角は、仰向けに倒れながら、その攻撃をかわしていた。  惣角が、草の上に仰向けに倒れるかたちとなった。  いったん天に向かって駆けあがった新垣の右足が、惣角の腹に向かって踏み下ろされてきた。しかし、その攻撃は、惣角の腹に届かなかった。  仰向けになった惣角の足が、新垣の軸である左足を払っていたのである。  新垣が、惣角の上に被さるように倒れ込んできた。  倒れ込みざまに、新垣は惣角の上に馬乗りになって、拳を打ち下ろしてきた。  その拳を、下から惣角は腕ごと両手でからめとっていた。  するり、するりと惣角の両足が、新垣の頸と肩にからみついてゆく。  完全に決まった。 「ぐむう……」  喉の奥で、新垣が呻く。  新垣は、まだあきらめていなかった。自由になる左手で拳を握り、中指の関節を立て、その先端で、惣角の右脚の太腿を突いてきた。  そこに激痛が疾《はし》った。  二度、三度、同じ場所に、一本拳が打ち込まれてくる。  しかし、惣角は、締め続けた。  新垣が、両足で踏んばって、惣角の身体を持ちあげようとした。  惣角の後頭部が地面から浮きかけたその時——ふいに、新垣の身体がぐったりとなって力を失い、惣角の身体の上に崩れてきた。  動かなくなった新垣の身体の下から、惣角が這い出てきた。  新垣の身体の横に正座をし、両手を突き、 「御教授、ありがとうございました」  頭を下げた。  顔を上げ、 「心配はいらん、朝典、放っておけばじきに眼を覚ます」  惣角は言った。 「気づいていたか——」  声がして、ガジュマルの向こうから、朝典が姿を現わした。 「先生に、御式内を見届けるように言われていた……」  朝典は言った。  手に風呂敷包みを持っていた。 「おまえの荷じゃ。これを持って、港へゆけ。まだ、間に合うだろう」 「すまん」  惣角は、そう言って立ちあがった。  朝典から風呂敷包みを受け取り、 「おまえのおかげで、思いがけなくたいへんなものを、おれはこの地で手にすることができた……」 「ぬしだからできたことじゃ、惣角——」 「礼を言う」 「急げ、惣角。もう、他の者が起きてくる時間じゃ」  すでに、陽は、水平線を離れている。  惣角は、朝典を見た。  もう、二度と会うことはない、そういう別れである。  あるいは、また会うこともあるやもしれぬが、それはまたいつのことであるかわからない。 「ぬしに負けたことが、おれの誇りじゃ。昇れ、惣角。誰よりも強くなれ」  朝典は、この男にしては珍しく感傷的なことを言った。 「では、ゆく」  惣角が言った時、 「待て」  横手から、声がかかった。 「こういうことになっていたとはのう……」  姿を現わしたのは、島袋安徳であった。 「安徳……」  朝典が、惣角を庇うように前に出た。 「昨日、どうも妙な臭いがしたのでな。こんなこともあろうかと様子をうかがっていたのじゃ——」 「では、今の勝負を……」 「見させてもろうた」  安徳が、一歩、二歩と動いてくる。 「勝ち逃げはさせぬぞ、惣角——」  安徳が、間合の外で立ち止まった。 「逃げはせぬ」  それまで黙っていた惣角が、口を開いた。 「やめよ、惣角。ぬしは、先生との闘いで、右脚が半分も使えまい」  朝典の言う通りであった。  惣角の右脚の太腿には、激痛が疾っている。さすがに、新垣世璋の一本拳であった。それを、右太腿のその一点に何度も受けたのだ。 「自分との勝負の後、惣角を無事に琉球の外へ出すのが、おまえの役目である——先生はそう言っておられた」 「———」 「惣角よ、おぬしとは、このおれがもう一度闘いたい。しかし、おれは新垣先生と約束をした。おまえを無事に琉球から出すと——」 「朝典よ」  と、横から声をかけてきたのは安徳である。 「ここは戦場《いくさば》じゃ。戦場に、怪我も何もあるまい。怪我をしているから見逃せなどと、戦場でそのような言いわけは通らぬぞ」  安徳は、惣角を射るように見た。 「惣角よ。おぬし、本当は闘って死にたいのであろう。聴いておるぞ。戊辰の時、ぬしは幼くて戦場に出られなかった。会津が滅んだ後は、西南の役で死のうとした。それもかなわなんだのであろう。ならば、この琉球で死ね——」  惣角は、一瞬、錆びた刃物で腹を抉《えぐ》られたような顔をした。 「図星か?」 「違うな」  惣角は言った。 「おれは、死に場所など探してはおらぬ」  生きるべき場所が見つからぬだけじゃ——そこまでは、惣角は言わなかった。 「ゆけ、惣角!」  激しい声で、朝典は言った。 「朝典、何故、師の敵を逃がすのじゃ」 「これが、新垣先生の意志であるからじゃ」 「ヤマトンチューに負けた人間が何を言うか」 「なに!?」 「おれは、ヤマトンチューなぞに負けぬぞ。おれは、この手で名をあげ、ヤマトンチューの国でのしあがってやるのじゃ」  安徳が、惣角に向かって走り寄ろうとしたその間に、朝典が立ち塞がった。 「おのれ、邪魔するか、朝典!」 「ゆけ、惣角。船は待たぬぞ。走れ。ゆくのじゃ、惣角——」  火を吐くように、朝典は言った。 「ならば、おまえがおれの相手をするか、朝典——」 「必要ならな」  安徳が、朝典を前にして、腰を落とした。 「ゆけ、惣角!!」  叫んだ朝典は、もう、惣角を見ていない。  安徳を見ていた。 「わかった、ゆく」  惣角はつぶやいた。 「さらばじゃ、朝典」  惣角は、ふたりに背を向けた。  疾《はし》り出していた。  ふり返らなかった。 [#改ページ]  十六章 外道拳 (一)  長い惣角の話が終った。 「おそらく、島袋安徳が梟の正体だろう」  惣角は言った。  開け放たれた障子窓の外から、蝉の声が書院の中まで届いてくる。ニイニイゼミだ。その声は、四郎が、座して惣角の話を聴いている間中、その身体に染み込むように聴こえていた。 「御式内が、敵《かたき》と言うていたか」 「はい」  四郎はうなずき、 「梟が島袋安徳としても、何故、講道館をねらったのでしょう」  惣角に訊ねた。 「原因は君だな」 「わたしが?」 「先月の警視庁武術試合のおり、君は好地円太郎相手に、御式内を使っている」 「近悳先生に許可をいただきました」  すでに語ったことを、また四郎は口にした。 「律儀だな、君は。それはいいのだ。おれは沖縄で御式内を教えなかったが、あの時からもう四年余りも過ぎている。時代は変った……」 「———」 「おそらく、島袋は、どこかで警視庁武術試合のことを聴き込んだのだろう。それで、講道館が御式内を使ったことを知ったのだろうな」 「はい」 「いずれ、島袋は、この会津までやってくるだろう。このおれのところまでな。途中、東京を通らねばならない。そのおりのことだろう。ただ通るだけではおもしろくない。通るついでに、柔《やわら》を相手にして腕試しをしておきたかったのだろう」  四郎も、そんな気がした。 「多少、このおれにも、責任があるな……」  惣角は、つぶやいて、立ちあがった。  四郎は、軽く尻を浮かせて、すぐに御式内のかたちに入った。 「いい心がけだ」  惣角が、四郎を見下ろしてつぶやいた。 「しかし、ここで君をどうこうしようというつもりはないよ」 「———」 「知りたいだろう?」  惣角が言った。 「なんのことです?」 「手《ティー》をだ」 「手《ティー》?」 「島袋が講道館をねらっているというのなら、いつか、君の眼の前に梟が現われるかもしれぬ。その時、手《ティー》がどういうものか、何もわからぬとあっては、遅れをとることがあるやもしれぬ。向こうが、柔術や御式内を知っていて、君が手《ティー》について何も知らぬとあっては不公平だからな。御式内が負けたという評判が立つのも、おもしろいことではない——」 「———」 「これから、手《ティー》の形《かた》を見せる。窓際まで退がってもらおうか」  四郎は、惣角に言われるまま、退がって窓を背にして座した。 「一度しかやらぬ」  惣角が、すうっと息を吸い込むのがわかった。  丹田のあたりで、惣角の右掌《みぎて》と左掌《ひだりて》が、交差するように重ねられた。右掌が下、左掌が上だ。  そろえられていた足が左右に開き、掌《て》が拳《こぶし》となって両脇に下がった。左足が前に出、両脇に下がっていた拳が、内回しに回わされて胸の高さで止まった。  左拳が、眼にも止まらぬ速度で前に突き出され、それが引きもどされる。次が右拳。その手が、いつの間にか、もとの開かれた掌《て》にもどっている。  開手《かいしゅ》と呼ばれる、手刀《しゅとう》のかたちの手だ。  何という柔らかな動きであろうか。柔らかいくせに、力に満たされている。その動きの中に、蹴り技が入る。鋭い気合が、惣角の口から迸る。  四郎がこれまで学んできた柔《やわら》の動きとはまったく違う。柔術の当て身技とは異質の当て身技の連続であった。  そのかたち、技の中にそれぞれの意味があるのであろう。  やがて、始まったのと同じ姿勢となり、惣角は動きを止めた。 「今のが、スーパーリンペイじゃ」  惣角は言った。  スーパーがついているからといって、英語ではない。沖縄の言葉だ。  漢字で、壱百零八手《スーパーリンペイ》と書く。  この動きの中に、百と八っつの技が入っていることから、この名がある。 「次は、十三《セイサン》じゃ」  また、惣角が動き出した。  次々と、技が形《かた》となって繰り出されてゆく。  見ている四郎も、興奮している。  惣角の右足が持ちあげられ、視認できぬ速度で、斜め下に踏み下ろされる。斜め下方への蹴りだ。  衝撃的な動きであった。  もし、今、そこに自分の膝があったら、どういう角度で当てられても、膝が折れていたことであろう。あるいはそこに顔があったら——  惣角の動きが止まった。 「次は平安《ピンアン》」  そして、また惣角の身体が動き出す。 「次が、安南《アーナン》じゃ」  惣角の身体が、次々に動き、拳が、掌《て》が、足が前や横、四方に打ち出され蹴り出されてゆく。  正拳、貫手《ぬきて》、猿臂《えんぴ》(肘)、一本拳、裏拳——  攻撃と受け、受けと攻撃が一体となっている。  激しく、疾《はや》く、そして、美しい。  やがて、惣角の身体が静止した。 「これでしまいじゃ」  惣角が息を吐いた。 「まだ、形は無数にあるが、全てを見せるわけにはゆかぬ。いつか、君と闘うことがあるかもしれないからね」  言いながら、惣角は、四郎の前に再び座した。 「どうだったね?」 「手《ティー》が、柔術とはまったく別のものであるということが、よくわかりました」 「拳も、足も、手《ティー》の達人のそれは、石か刃物であると思っていい」  一撃必殺《いちげきひっさつ》——  拳でも、蹴りでも、そのどれかひとつが相手の肉体に当れば、その瞬間に勝敗が決することになる。 「おれが、講道館にしてやれるのは、これくらいじゃ」 「ありがとうござります」  四郎が頭を下げた。  話題が変化したのは、四郎が、下げた頭をあげた時であった。 「ところで、近悳先生はお元気であったか」 「はい」 「わたしがヤマト流を始めたことは、御報告してあるが、それについては、何かおっしゃっていたかね」 「武田さんが、自分に気を遣っているのではないかと、そうおっしゃっておりました」 「気を?」 「はい」  四郎はうなずき、日光で近悳と交した会話について、惣角に語った。 「いずれ大東流を武田さんに、継いでもらいたいと、そうも言われました」 「わたしと君にではないかね」  少し間をおいて、 「はい」  四郎はうなずいた。 「ならば、わたしの祖父と父のことも?」 「うかがいました」 「気を遣っているのは、近悳先生の方じゃ——」 「———」 「近悳先生は、本当は君の方に大東流を継がせたいのさ」 「まさか——」 「君は、近悳先生の養子じゃ。そのことの意味を考えたことがあるかね」 「意味?」 「そうじゃ。近悳先生は、どうして君を養子にしたのかということさ」 「養子に?」 「近悳先生に訊ねてみることだ。ここから先は、わたしの言うことではない」 「しかし……」 「その話は、ひとまずおこう。四郎君、君に訊ねたいことがある」 「何でしょう」 「これから、君はどうするつもりなのかね」 「これから?」 「警視庁武術試合で、君は勝利した。斯界《しかい》での名もあがった。帝大でも、君が講道館流を教えていると聴いている。嘉納さんは、政界にも顔が利く。講道館流の前途は道が開けている——」 「どういう意味でしょう」 「このまま、講道館流の中で、やってゆくのかね」 「———」 「嘉納さんに、看板を分けてもらうか」 「———」 「大東流を継ぐか。それとも、自流派でもおこすのかね」 「それは……」 「そもそも、君にとって、柔術とは何なのだ。君は、柔術家として生きてゆくつもりなのか。それとも別の道へ歩み出したいのか——」  突然の問いであった。  しかし、これまで、何も考えてこなかった問いではない。他人から問われたのは初めてであったが、自身では、何度も何度も、これまで自分に問うてきた問いであった。  一介《いっかい》の柔術家として生きるか。  ただの柔術家として、終るのか。  他に生きる道はあるのか。  そもそもは、自分の意志で、柔術を始めようと思ったわけではない。  思えば、子供の頃、近悳にこより投げで投げられたあれがきっかけだった。  その延長線上に、今の自分がいる。  これが、果たして自分の意志であるのか。  確かに、柔術は好きだ。他人と勝ち負けを競うことには、興味もおもしろさも覚えている。  だが、柔術のみが全てではない。  他の道を歩みながら、一門下生として柔術を学んでゆく道もある。  考えてみれば、十七歳の時、陸軍大将になりたくて、故郷会津を——津川を佐藤与四郎と共に出てきたのではなかったか。  しかし、その道は閉ざされた。  陸軍に入るためには、身長が五尺一寸以上なければならない。その基準に自分の身長が満たなかったのだ。どれほど学問をしても、どれほど身体を鍛えても、陸軍に入ることはできない。東京へ出て、少しは伸びるかと思っていた身長も、まったく伸びることはなかった。陸軍への道は、あきらめるより他はない。  そういう時期に、自分は嘉納治五郎と出会ったのである。  将来をどう考えているのか。  どうしたいのか。  答えは、ない。 「武田さんは、どうなのですか——」  逆に、四郎は惣角に問うた。 「おれか」  惣角は、自分のことを、おれと言った。  師である近悳について語っている時などはわたし[#「わたし」に傍点]と言うこともあるが、四郎と私的な会話をする時には、おれと呼ぶことが多い。 「おれは、学問がない……」  惣角は言った。 「字を知らぬ。自分の名すら書けぬ。それがあの漢《おとこ》との大きな違いじゃ」  あの漢——嘉納治五郎のことである。 「それが、おれの力じゃ。それでいい。一介の武人でよい」 「武人、ですか——」 「誰《たれ》と対峙した時でもよい。誰かとふたりきりで向き合った時、相手よりもこの自分が強い——そう思えることが、おれの誇りであり、望みじゃ……」 「———」 「ひとつの道を極めれば、全ての人物が我が弟子じゃ。陸軍大将であろうが、政治家であろうが、警視庁のお偉方であろうが、このおれに頭を下げて教えを請いに来るのじゃ」  なんという、自負に満ちた言葉であろうか。  聴いている四郎の身の裡《うち》に震えが疾《はし》りそうになった。  凄まじいまでの自信であった。  後のことであるが、ここで惣角が口にしたことは全て実現する。 「今の、おれの敵《てき》は、人ではない」 「何なのです」 「老いじゃ」 「老い?」 「どれほど武を極めた者でも、どれほどの達人でも、老いと共に、身につけた術も、力も去ってゆく。しかし、老いや力に左右されぬもの、その術理を、おれは手に入れたいのじゃ——」 「あるのですか、そのようなものが——」 「あるはずじゃ……」 「———」 「沖縄で、おれは、その片鱗を見た——」 「松村宗棍先生のことですか」 「そうじゃ。武に極意があるとすれば、おそらくあの先であろう——」 「その先に、それがあると?」 「あると思わねばたどりつけぬ」  強烈な言葉であった。 「四郎君、今の世で、我らが昇ってゆくのは並大抵のことではない」 「———」 「我らは、敗れたものじゃ」 「敗れた?」 「我らの心の中には、会津がある」  きっぱりと、惣角は言った。 「戊辰の戦《いくさ》じゃ。あれが、心の隅まで、肉の底の底まで染み込んでいる。もしも我々が、いや、このおれがあの漢《おとこ》にないものを持っているとすれば、それは会津じゃ。あの戦じゃ——」  激しい言葉であった。  口調こそ激してはいないものの、その背後にどれだけの思いが込められているか、四郎には理解できた。  そして、もうひとつ——この武田惣角という稀代の武術家が、ここまで強く嘉納治五郎のことを意識していたとは——  惣角の、心の奥に潜む熱いものを、四郎は初めて見た気がした。  四郎は、まだ、迷っている。  答えを見つけられずに、四郎は、惣角の身の裡にある温度に触れて、なお、迷っていた。 (二)  ふたりで、泉岳寺を出た。  ここで、ヤマト流を教えていると言っても、泉岳寺で惣角が寝泊まりしているわけではない。  宿としている知人の家に、惣角はもどらねばならない。そこで、四郎と惣角は、共に泉岳寺を出てきたのである。  がらり、  ごとり、  と、下駄を鳴らしながら、ふたりで石段を下りてゆく。  陽は傾き、そろそろ夕刻が迫りつつあった。  左右は、杉と雑木の森であった。  樹上から、ふたりの背へ蝉の声が注いでいる。  ふたりが、石段の一番下にたどりついた時—— 「おい、惣角——」  背後から男の声が響いた。  四郎と惣角が、後方を振り返ると、左手の林の中から、石段の中ほどに、ひとりの男が出てくるのが見えた。  眼光|炯々《けいけい》、総髪で、肌の色の浅黒い男が石段の上に立って、ふたりを見下ろした。 「安徳か——」  惣角がつぶやいた。  安徳!?  四郎は、心の中でつぶやいた。  すると、この男が、あの梟か。  安徳は、白い歯を見せて笑っている。 「久しぶりじゃのう、惣角——」 「よくここがわかったな」 「あちこちで、ぬしの名前を出し、どこぞで小さな身体の男が柔《やわら》を教えていないかと訊ねたら、ここを知っている者がいてな」 「四年ぶりか——」 「うむ」 「あの後、どうしたのじゃ」 「朝典なら、やつの右膝を蹴り折ってくれたわ。さすがに朝典、多少手こずったが、おれの勝ちじゃ。あの脚では、もう、二度と手《ティー》の勝負はできまい」 「武人が闘えば、時に勝ち、時に負ける。敗れて足を失うこともある」 「その通りじゃ」  ひとつ、安徳の片足が石段を下りる。 「惣角よ、ようやくおまえに会えた。嬉しいぞ」  またひとつ、次の足が石段を下りる。 「女のように、股を濡らして、この日を待ったわ」 「女にしては、顔が怖い」 「ぬかせ、惣角。ここで勝負じゃ」 「待て——」 「まさか、ここで逃げる気ではないであろうな」  また一段、安徳が石段を下りた。 「逃げはせぬ。しかし、その前に、ぬしと勝負をしたがっている男がいる」 「誰じゃ」 「この男じゃ」  惣角は、そう言って四郎に視線を向けた。  四郎にしてみれば、突然のことであった。 「その男がどうした」 「講道館の、保科四郎じゃ。それだけ言えばわかるか——」 「なるほど、講道館か。東京まで出た時に、弥生社の試合で、講道館の保科という男が、御式内を使って勝ったという話を耳にした。それで、半月ほど講道館と遊んでやったのだが、そうか、おまえが保科四郎か——」 「それだけではない。この保科は、御式内の総帥保科近悳の息子じゃ。いずれ、御式内も継ぐことになる」 「ふうん……」  安徳が、四郎を見やった。 「東京を出た翌日に、千葉で揚心流戸塚道場の大竹というのと闘ってきたが、おまえ、大竹に御式内を教えたそうだな」  安徳の視線は、今は、四郎の上に落ちている。 「大竹さんと!?」 「闘って、落とした。転び締めでな——」  あの大竹が、敗れたのか、この梟に。  しかも、転び締めで——  がらり、  ごろり、  と、四郎は履いていた下駄を脱ぎ捨て、地に立った。 「先にやらせていただきます」  四郎は、安徳を見あげた。  ちょうど、自分の眼の高さの石段の上に、安徳が立っている。 「講道館が先か」  履いていたものを脱いで、安徳も素足になった。  節くれ立った木の根のような足であった。 「次はおまえじゃ、惣角。逃げずに待っていろ——」  一段、二段と、安徳が石段を下がってゆく。  四郎が、一歩、二歩、後方に退がる。  その時には、もう惣角はその場所から距離をとっている。  そこで、ふたりが充分に闘える場所を作ったのだ。  四郎が、さらに一歩を退がり、安徳が石段から地に下り立った。  そこで、半歩左足を前に出し、 「む……」  安徳が足を止めた。  四郎と安徳——ふたりの中間、ちょうどそこの地面の上に、四郎の脱ぎ捨てた下駄があった。 「なるほど、そういうことか——」  安徳はつぶやいた。  もしも、安徳が四郎に先に仕掛けようとした場合、その下駄のある場所を越えねばならない。その時、その下駄を避けて、歩幅や間合を調整しなければならない。  わずかに乱れが生ずる。  その乱れに合わせて、四郎が逆に仕掛けてくるつもりなのであろうと、安徳は判断したのである。 「楽しみな相手じゃ」  安徳は、嗤った。  すうっ、と、安徳が右へ動いた。  すうっ、と、四郎も右へ動いた。  下駄をはさんで、ふたりが自分の右手へ回り込んだのである。  しかし、下駄が、ふたりの中間にあるということでは同じであった。 「おまえから来い」  その言葉を、安徳が言い終えぬうちに、四郎が動いていた。  前に出た。  ふいに、四郎の丈《たけ》が、安徳に疾り寄る途中で二寸ほど伸びた。四郎の右足が、ふたりの中間にあった下駄を踏んだのである。その下駄の厚みの分だけ、四郎の身長が高くなったのだ。 「しゃあっ!」  安徳の気合が迸《ほとばし》った。  くゎらっ、  鋭い音がした。  下駄がひとつ、宙を飛んで、地に転がった。  何があったのか。  四郎が、下駄を踏んだ足の指で、下駄の鼻緒をつかんでいたのである。飛び込んできた四郎に向かって、安徳が蹴りを放ってきた。  前蹴りだ。  前蹴りに来たその右の中足《ちゅうそく》の先へ、四郎が足の指で掴んだ下駄を投げたのである。その下駄を、安徳が蹴ったのである。  地に落ちた下駄は、真っぷたつに割れていた。  下駄を、安徳の足の先へ浮かせた時には、もう、四郎は横に跳んでいる。  横へ跳び、地に両膝を突いた。  御式内の構えに入っていた。  四郎を追って、次の攻撃を加えようとした安徳が、そこで動きを止めていた。 �ひゅうううう……�  高い音をたてて、安徳は息を吸い込み、吐き出した。 「やるではないか、保科……」  安徳がつぶやいた。 「楽しい男じゃのう……」  まだ、安徳も四郎も、息を切らしてはいない。  互いにまだ鼻で呼吸をしている。 「ようやっと、それを使うてくれたかよ——」  それ——御式内のことであった。  四郎は、膝をつき、正座に近いかたちでそこに座している。 「不思議な形《かた》じゃのう……」  安徳がつぶやいた。 「我らの手《ティー》では、考えもつかぬ形じゃ」  琉球に発達した手《ティー》も、殿中という特殊な空間に生まれた御式内も、基本的に無刀の技である。琉球では、薩摩から武器を取りあげられ、殿中においては武器を身に帯びることは許されておらず、自然に無手の術がそこから発達した。  しかし、素手という同じ出発点を持ちながら、手《ティー》と御式内とは、その対極にあるような発達の仕方をした。一方は、その素手と素足を武器の如くに鍛えあげ、それを剣の代わりとした。そして一方は、相手を掴み、投げ、締めて倒す。  安徳は、そのことを言っているのである。 「しかし、その御式内、隙《すき》がある」  安徳は、横に立って眺めている惣角に視線を送った。 「それをこれから教えてやろう」  安徳は、もう、四郎に視線をもどしている。  安徳は、ふたつの拳を握り、左拳を軽く前へ出した。同時に右肘を折って後方へひき、右拳を右胸の高さに構えた。  膝を曲げ、拳ふたつ分ほど腰を落とした。 「来い」  安徳は言った。  しかし、四郎は動かない。  安徳が、仕掛けてくるのを待った。  だが、安徳も動かない。  御式内に、自ら攻める形はない。相手の攻撃に対して、それを受けるかたちで技を出す。  四郎は、土の上を膝行《しっこう》して、前に出た。  壁を立てたように存在する水面をくぐるように、じわりと顔をその間合の水面につけて、そこをくぐった。  そこは、すでに、安徳の蹴りの間合であった。  しかし、安徳は、なお動かない。  四郎も、そこで膝行を止めた。  それ以上前に出れば、安徳の拳の間合に入ってしまうからである。さらに言えば、膝の間合でもあった。  これまでは、足しか打撃を加えてくるものがなかったのに、前に出れば、足による蹴りはなくなるかわりに、両膝と両拳が、いつ、自分に打撃を加えてくるかわからない。  右足か、左足か——ふたつのうちのどちらかひとつであったものが、右膝か左膝か、右拳か左拳か——四っつの選択肢がそこに生じてしまうことになる。  そうなったら、座して膝行するというこのかたちが不利になる。  こちらから、右手でも左手でも、どちらか一方で、安徳の着ているものの裾を掴みにゆくことはできるが、そうすると、掴みにいった方の側ががらあきになって、防御できなくなる。  もしも、相手が手《ティー》の使い手でなく柔《やわら》の人間であれば、向こうも掴んでくる。そうすれば、寝技の勝負に持ち込まれることになり、四郎の手の内のことだ。  しかし、安徳が琉球拳法——手《ティー》の使い手なら、まず、組んでくることはあるまい。  怖いのは、当ててくる技だ。  だが、この安徳、あの大竹を転び締めで締め落としたと言っていたはずだ。  寝技ができるのか。  安徳たちには、沖縄にいる間、惣角が柔を教えている。さらに、惣角が沖縄を出てから四年が過ぎている。この間に、柔の稽古に彼らが研鑽を重ねていたら——  ある程度、寝技もできると考えた方がよいのかもしれない。  四郎は、間合と間合のはざまで、動けない。 「どうした?」  安徳が、四郎を見下しながら笑った。 「来ないのなら、こっちからゆくぞ」  じわり、  と、安徳が前に出てきた。  つうっ、  と、四郎が左膝をひいて退がる。  じわり、  と、また、安徳が左足を前に踏み出してきた。 「むん」  四郎も、同時に前に左膝で膝行し、上体をのけぞらせるようにして仰向けに倒れていった。 「へやっ!」  安徳が、四郎の顔面に向かって、右の拳を打ち込んできた。その拳が、四郎の鼻先の空気をえぐりとっていった。かろうじて、四郎は、安徳の拳をかわしていたのである。  仰向けに倒れながら、四郎はたたんでいた膝を伸ばし、その伸ばした足で、安徳の脚をからめとろうとした。 「かあっ!」  安徳は、かがみざま、自分の左脚にからみついてきた四郎の右脚の脛を、おもいきり右拳で打っていた。  木の槌で打たれたような衝撃と痛みであった。  四郎の動きが、ほんの一瞬止まったその時、安徳は、後方に跳んで逃げようとした。しかし、安徳は逃げられなかった。  ついに、四郎が、安徳を捕えていた。四郎の左足の指が、安徳が着ていたものの裾を掴んでいたのである。蛸足《たこあし》と呼ばれる長い足の指を持った四郎であるからこそ可能な技であった。  すかさず、四郎の右足が、安徳の左足を払っていた。 「ぬわわっ!!」  喉から声を振り絞って、身体が大きく傾いた状態から安徳は強引に逃げた。  倒れる寸前、安徳が後方に跳んで逃げることができたのは、四郎が蛸足で掴んでいた裾が、裂けたからである。裾の切れ端が、四郎の足の指にはさまれて残っている。  もしも、安徳が着ていたのが、稽古衣であったのなら、裾は破れず、これで勝負は寝技に持ちこまれていたことであろう。寝技に入っていれば、おそらく—— �自分の勝ちであったか�  そういう思いが湧いた瞬間、四郎はそれを振り捨てていた。  闘いの最中に——あの時、もしもあの技が入っていたら、あそこで足が滑らなければ、あそこで半歩踏み込んでいたら——それを考えることは、毛ほどの意味もないことを知っていたからである。  四郎は、迷わず立ちあがっていた。  立った時には、もう、さっき頭の中に浮かんだ思考は一片もない。そんな思考が、一瞬吹き抜けていったことさえ忘れてしまっている。  すぐ向こうに立っている安徳の髪が、逆立っていた。両眸《りょうめ》の端が吊りあがっている。ふいに別人に変じたようであった。  今、裾が切れていなかったら、眼の前の男に負けていたかもしれない——その想いが、安徳にその変化をもたらしたのかもしれなかった。  四郎は、左手を軽く前に出し、右手を軽く引きぎみにして構えている。 「かあああああっ!!」  安徳は、雄叫びをあげた。  つうううっ、  と、安徳が四郎との間合を詰めてきた。  四郎との間合に入る寸前で、安徳は横へ動いた。四郎の右側に回わり込んだその瞬間、 「ちええっ!」  安徳が、右足を、横から斜めに踏み下ろしてきた。四郎の右足の膝の横を、斜め上から足刀《そくとう》で蹴り折るつもりの技であった。  その寸前、四郎の脳裏に浮かんだのは、惣角がしばらく前に表演《ひょうえん》してみせてくれた、手《ティー》の形と、それから、 �朝典なら、やつの右膝を蹴り折ってくれたわ�  という安徳の言葉であった。  四郎は、自分の右足を地から引っこぬくようにもちあげて、その右足を後方にひき、身体を時計回りに半回転させながら、半身になり、安徳に向かって再び構えた。  安徳の右足は、空を切っていた。  危《あやう》いところであった。  もしも、惣角から形を見せられていなかったら、安徳自身が朝典の膝を蹴り折ったと口にしなかったら、今のは受けていたかもしれない一撃であった。  安徳は、空を蹴った右足を引きもどし、左拳を前、右拳を手前に持ちあげて構えた。  慈恩《じおん》と呼ばれる形である。 「きさま、�蹴落《けりお》とし�を知っていたか!?」  知っているとも、知らぬとも四郎は答えない。  もはや、闘いに入った以上、答える必要のない問いであった。 「おまえ、それだけの腕を持ちながら、何故講道館におる——」  安徳が訊ねてきた。 「何故、自流派を興し、己《おの》れを世に問おうとせぬのだ」  しかし、四郎は答えない。  無言で構えている。 「おれは、そのために沖縄を出てきた。おのれの手《ティー》を世に問うためじゃ」  四郎は、無言であった。  言葉を発しない。  ただ、この闘いに入って初めて、心の中にさざ波が立った。始めは小さかったそのさざ波が、四郎の心の中で、大きくなってゆく。  ——何故、自流派を興さぬのか!?  似たようなことを、少し前に惣角に言われている。 �君は、柔術家として生きてゆくつもりなのか。それとも別の道へ歩み出したいのか——�  その時、心の中に生じた動揺が、今また四郎の心に生まれていた。  闘いの最中にあっては、明らかに無用の心の動きであった。  ——何故、闘うのか。  ——強くなって、どうするのか。  ——一介の柔術家として終るのか。  それらの、ささくれのような心の揺れを、四郎は、消し去ろうとした。  その瞬間——  自分の頬を、  ふっ、  と風が撫でていった。 (三)  温かな腕の中に包まれていた。  穏やかな気分だった。  周囲がやけに騒がしく、男の高い声や、女の泣くような声がする。それがひどく耳障りであったが、この温度に包まれているうちは自分はその騒ぎから守られているのだと思った。  いつも見るあの夢だ。  見る時によって、いつもその夢は多少違っている。  しかし、今回は、やけに細部が鮮明であった。  言い争っている男の声の抑揚や、女の泣き声の震えぐあいまでもがわかるのである。  自分を抱いている腕が震えているのは、その腕の主が泣き、嗚咽しているからだ。  いったい何があったのか。  自分を抱いている女は、何故、嗚咽しているのか。 �のりたけ……�  そういう女の声が聴こえる。  やがて、四郎の身体は、その温かな温度の中から引き出され、次に、冷たいごつごつした温度の中に包まれた。  そして、自分は運ばれたのだ。  津川へ——  大人になった今は、それがわかっている。  戊辰の戦の場から、幼かった自分が連れ出されたのだ。  しかし、あの温度の中にずっといることができるのなら、それが戦場でもよかった。そうも思っている。  しかし、不思議だ。  どうして、今、自分はそのような夢を見ているのか。  自分は今、何か別のことをしていたのではなかったか。  何をしていたのか。  息が、荒い。  呼吸がせわしい。  喉が鳴っている。 「きみ——」  声をかけてきた者があった。  振り返ると、草の上に、近悳が立っていた。  手に、ちぎった草を持って微笑している。 「さあ、そっちの草の端を持ってごらん」  持った途端に投げられた。 「おもしろいだろう。これは、こより投げというんだ……」  近悳は笑っている。 「おい」  横からまた声がかかる。  大きな漢——好地円太郎だった。  円太郎が、草の上に立って、はにかんだように笑っている。  よかった、もう、立てるようになったんだな——そう思う。 「おまえ、あの試合の時、泣いていたろう」  円太郎が言った。 「どうして泣いたんだ」  わからない。  本当に、あの試合の時、自分は泣いたのか。  それを考えようとしたが、考えられなかった。  激しく呼吸をしているからだ。  口の中に、不思議な味がする。  温かいような、甘いような——  涙もこんな味がしたろうか。  いや、涙ではない。  これは…… 「べっ」  と、四郎は、口の中に溜った血を吐き出した。  その鼻先を、疾《はし》り抜けていったのは拳であった。  次に、腹に向かって安徳の左足がぶつかってくる。  それをかわす。  闘いの最中であった。  今、自分は闘っていたのだ。  しかし、意識が飛んでいた。  いったい、自分の意識がどれだけ消失していたのか。しかも、その意識のない間も、自分はこの安徳と闘い続けていたらしい。  左頬が熱い。  どうやら、そこを、安徳の拳で打たれたらしい。  それで、意識が消えたのだ。だが、意識のないその間も、闘い続けていたのだ。それがどれくらいの時間であったのかはわからないが、その間に、どうやら自分は夢を見ていたらしい。  今日《こんにち》でも、試合中に頭部に打撃を受けた選手が、記憶を失ったままフルラウンドを闘い抜き、控室にもどってから、  自分は勝ったのか負けたのか——  それをセコンドに問うというようなことが、しばしばある。  自分が、リングでどう闘い、どう勝ったのか、あるいはどう負けたのか、それを覚えていないのである。  それと同じ現象が、四郎におこったのだ。  しかし、四郎が覚醒したのは、まだ試合の最中であった。  だが、あの安徳の攻撃を、ほとんど意識のない状態で、これまでよくかわしてきたものだ。  拳が飛んでくる。  それをかわす。  何かが妙だった。  安徳の動きが遅いのだ。  安徳の動きがよく見える。  次に、どういう攻撃がどこに来るか、それが見えるのである。  白い光のようなものが、まず動く。  すると、次にその光の流れた筋をなぞるようにして、安徳の拳が動いてくるのだ。四郎は、ただ、最初のその白い光だけを見、それをかわすだけでよいのである。  いつでも、投げることができる——四郎はそう思った。  いったい、どのような境地に自分はいるのか。  頬を打たれ、意識が失くなった時、自分の内部で何かが変化したらしい。  次の拳だ——  四郎はそう思う。  左の拳が疾《はし》ってくる。  それをくぐって、懐へ入り、袖と奥襟を取る。  身を沈め、右足の指で、安徳の右足の踵を、アキレス腱ごと掴み、天へ放りあげる。  安徳の身体が逆さになる。  そのまま、頭から地面に落とす。  脳天から、安徳が地面にぶつかる。  ゆっくりと、安徳が地面に仰向けになる。  四郎は、立ちあがった。  安徳は、両眼を開いたまま、意識を失っていた。  鼻と口から、のろのろと血が流れ出てくる。  そして、耳からも血が流れている。  勝った——  そう思った時、 「まだじゃ」  惣角の声が耳に入った。  見ると、安徳が、両手をついて、起きあがってくるところであった。  すぐに、顔を蹴ってもいい。  睾丸を蹴り潰してもいい。  それをやれば、自分の勝ちだと四郎は思っている。  しかし、四郎はそれをしなかった。  安徳が起きあがってくるのを眺めている。  眺めながら、さっき、自分に起こったことが、何であったのかと思っている。  今は、それは消えていた。  勝ったと思ったその時、自分から何かが抜け落ちていた。  右耳に、激痛があった。  手をやると、耳から血が流れ出していた。  投げられる時に、安徳が、右耳の穴に、指を突っ込んでいったのだとわかった。  安徳が起きあがった。  構えた。  凄い漢だ。  蹴ってくる。  蹴りは、四郎に届かない。  よろけて、四郎に倒れかかってくる。倒れかかりながら、拳を突き出してきた。  それをよけて、四郎は、安徳の身体を抱えた。  安徳は、服の上から、四郎の喉に近い肩に噛みついてきた。  四郎は、安徳を抱き締め、その耳元に囁いた。 「終ったんじゃ、もう終ったんじゃ……」  そう言った。 「ようやった……」  四郎がそう言うと、四郎の腕の中で、ふいに安徳の身体の力が抜けた。  四郎は、安徳を、ゆっくりと地面に仰向けにした。  安徳は、眼を開き、天を睨んだまま、今度こそ、本当に意識を失っていた。 「よいものを見せてもらったよ、保科君……」  惣角の声が響いた。  惣角が、四郎を見ながら微笑した。 「今のが、君の山嵐だね」 「はい」  四郎はうなずいた。  山嵐は、四郎にとって、ひとつの形しかない技ではない。  相手の襟か袖を掴む、脛か踵か、足を蛸足で掴んで跳ねあげ、逆さにして落とす——これが四郎の山嵐だ。  知られてしまった——  四郎はそう思った。  ただ一度見せただけで、惣角はその山嵐の全てを見てしまったのだ。 「本当に、よいものを見せてもらった……」  惣角は、眸に鋭い光を宿らせながら、そう言った。 [#改ページ]  十七章 獅子と獅子 (一)  良移心頭流中村半助と竹内三統流の佐村正明が、およそ四年の歳月を経て再び相見《あいまみ》えることとなったのは、明治十九年十月のことであった。  場所は、警視庁の中にある練武場である。  畳六〇畳の広さを、板の間が囲んでいる。  立ち合い人は、四年前と同様に、久富鉄太郎がすることとなった。  この試合に立ち合うことが許された人間は少ない。  まず、警視庁総監である三島通庸。  勝海舟。  中村半助側から——  関口新々流赤松道場の仲段蔵。  半助と同門の上原庄吾。  佐村正明側からは——  かつて半助と死闘を演じた矢野広次。  その父であり、竹内三統流の道場主である熊本の矢野広英。  揚心流戸塚派西村定中、大竹森吉。  そして、講道館から、嘉納治五郎、保科四郎、横山作次郎の三名。  合わせて十一名が、壁際に座して、この闘いを見守ることとなった。  試合方式に、取り決めはない。  対戦の十日前、久富鉄太郎がふたりのもとを訪れて、これについて問うた。 「約束事《きめごと》は、なしでよござっしょう」  半助はそう言った。  佐村は佐村で、 「何でんやってよか……」  低い声で、久富鉄太郎にそう告げた。  ふたりは、口を合わせているかのように、 「むこうも同じ考えじゃろう」 「約束事《きめごと》は、いずれにしろ、我らの胆《はら》の中じゃ」  同じことを久富鉄太郎に言った。  そして、この日をむかえたのである。  竹内三統流を興した矢野広英は、この試し合いには、もともと反対であった。 「他流稽古は一度きりのものじゃ」  これが、佐村の師である広英の考え方であった。  他流の同じ相手とは、二度試合わない。  他流との試合はやらぬのが望ましいが、仮にやる時は生命がけで闘う。ただしそれは一度だけだ。  同門ならば、互いに勝ったり負けたりということがあってよい。 「それは、技の研鑽に繋がる」  しかし、他流とやる時は、生き死にの勝負と同じである。勝った方が生き、負けた方が死ぬ。どうして、同じ相手ともう一度闘うことがあり得ようか。  竹内三統流は、竹内流から生まれている。  竹内流は、享禄五年(一五三二)岡山に生まれた流義である。  竹内三統流は、多くあるその分派のひとつであり、肥後細川藩の柔術指南役であった矢野広英が、肥後に伝わっていた二系統の竹内流に宗家のものを合わせ、全国の同門の流義を学んでひとつに統一したものだ。  技に理があり、さらにその理を重ねた上に個性を生かしてゆく。  広英が、江戸を含めた諸国を歩いて研鑽した日々のことを、佐村に語ったことがあった。 「今、柔《やわら》の流儀は無数にあるが、実《じつ》を忘れた形ばかりを残すだけになったものや、喉打ちばかりを学ばせる流儀が多い。喉打ちは確かに必殺の技だが、己れを守る技や、基礎の鍛練ができぬうちにこれをやると、実の勝負で後れをとることになる。喉はそもそも人の急所としては一番のものだが、それだけに、動いている者の喉を打つのは難しい。腹を打つと見せて、人中、人中を打つと見せて喉——このような攻防があってはじめて、急所を打つことができるのじゃ」  この時にも、 「他流稽古は一度」  佐村にそう言っている。  この試合のことが正式にもちあがった時、佐村は、師である広英に許可をもらうため熊本に帰っている。  広英は、もちろん、肯《よし》とは言わなかった。 「稽古というのは、古《いにしえ》を稽《かんが》えると書く。同門であればこそ、過去の技や術を互いに共有し合える。そこから、研鑽も生まれ、新しい術も生まれてくる。これが他流であれば、秘伝や奥伝を教え合うことはない。ただそこには負けられぬ闘いがあるだけじゃ——」  他流と闘うのはただ一度、その一度に、自身の全身全霊、生命をかける——広英は持論を曲げなかった。 「あの試合は、まさに鬼気迫る凄まじいものであった——」  広英は言った。  広英も、四年前の半助との闘いを見ている。 「しかし、あれならば、すでにあの時決着がついておる」 「いいえ、ついておりません」  佐村は、はっきりと言った。 「中村は、確かに皆の前で参ったをした。久富先生も、それでぬしを勝ちとしたではないか——」 「それは、かたちばかりのことで、実はあれは、分けの闘いでした」 「なんじゃと?」 「わたしが、亀の首取りを掛けた時、中村ははじめ、参ったをしませんでした」 「それは、はじめのことじゃ。結局したではないか」 「それは、今も申しあげましたように、形ばかりのこと。真の決着はついておりません」 「どういうことじゃ」 「あの時、半助どんは、死ぬ覚悟をしておられました。しかし、わたしには、半助どんを殺す覚悟がありませんでした。それで、参ったをするよう、わたしが半助どんに声ばかけたとです」  佐村は、これまで誰にも語ったことのない、その試合の最中に半助と交した言葉のことを、はじめて師に語った。 「その意味では、実はまだ半助どんとの試合の決着はついていないのです。中村半助どんとの試合は、まだ一度目の試合の途中なのです。お願いいたします——」  佐村は頭を下げた。 「半助どんも、あれから技を磨かれて強うなったでしょうが、それなら、わたしもあの時の佐村正明ではありません」 「———」  広英は、眼を閉じ、腕を組んだ。 「今ならば、殺せます」  佐村は言った。  広英が、眼を開いた。 「わかった……」  広英がうなずいた。 「試合うてこい」  師の言葉を胆《はら》に呑み込んで東京へもどり、佐村は、半助との試合を正式に受けたのである。  佐村は、畳の上に座して、半助と向かい合っている。  半助の眸《め》が、正面から佐村を見つめている。  澄んだ、迷いのないいい眸であった。  畳に両手を突き、互いに礼をして立ちあがった。 「始め!」  久富鉄太郎の声が響いた。 (二)  試合場に、どよめきの声が洩れたのは、試合開始後、一〇分ほどたった時であった。  組み、投げを打ち合い、寝技に入ってほどなく、上から被さってきた半助の頸《くび》を、下から佐村が右脇の下へ抱え込んだからである。  四年前、佐村が半助に�参った�をさせたあの技、�亀の首取り�であった。  半助が佐村に敗れたその光景を、ここにいる何人かは実際にその眼で見ている。見ていない者も、話に聴いてそれを知っている。だから声があがった。 「半助どん、おんし、わざとおいに頸ば取らさせなさったとな」  佐村が言った。 「こっからが、あん時の続きじゃ」  落ち着いた半助の声が、佐村の右脇の下から響いてきた。  信じられないことであった。  佐村は驚嘆した。  この技を掛けられたら、気道は塞がり、喉は潰され、まともにしゃべることなどできないことを、よくわかっていたからである。どうにか細い呼吸をすることができるだけになってしまう。  しかし、多少しゃがれてはいるが、半助の声は平時のものであった。  そこに頸があったので、自然に腕が伸びて頸を取ってしまった。しかし、それが、あまりにすんなりと入ったので、佐村もまだ充分な力を込めてはいない。 「まだまだ、あん時の力の半分……」  半助の声が、途中で止まった。  佐村が、腕に力を込めたからである。 「む」 「む」  互いに鼻で呼気を吐く。  まだ、半助が呼吸をしているのが、佐村にはわかった。  すでに、四年前のあの時よりも力は入っている。  佐村の両脚が、半助の胴に巻きついている。  佐村は、背を反らせるようにして、半助の背骨から頸椎を伸ばし、さらに四年前にはやらなかったひねりを加えた。右腕の手首から肘の間を半助の顎に引っかけて、首をねじる力を加えたのである。  もう、ここで、常人ならば頸の骨が折れている。  よほど鍛えた者でも、落ちる。  しかし、半助は落ちなかった。  ここに至るまで、どれほどこの頸を鍛えたのか。どれだけの精進をしたのか。それも、この自分のこの技のためになしたことであろうと佐村は思った。  頭の下がる思いであった。 「半助どん……」  佐村はつぶやいた。 「凄か漢《おとこ》じゃ……」  これに応えねばならない。  佐村は、一切の手加減をやめた。 「むん」  全力を込めた。  佐村は、ここで半助の死を覚悟した。  ここで、加減をしたら、半助のこの聖なる四年間を侮辱することになる。それはできない。  が、力を込めたその瞬間、信じられないことが起こった。半助の頸を抱えた右腕の中で、むりむりと力が膨れあがってきたのである。半助の頸が、倍以上も太くなったようであった。 「むう」 「くむ」  すでに、半助の気道は塞がっている。  呼吸はしていないのがわかる。  しかし、それでも、じわりじわりと半助の頸が、一ミリ、二ミリと逃げてゆくのがわかる。腕の中から抜けてゆく。  佐村も呼吸を止めている。  息を吐いて、吸い、もう一度力を込めなおすその時に、半助の頸が逃げてしまうとわかってるからだ。  今、ここで半助の頸を極《き》めきるしかなかった。 (三)  自分の頸椎が伸びてゆくみりみりという音を、半助は直接肉から耳で聴いていた。  一ミリの百分の一、千分の一ずつ、自分の頸椎が伸ばされてゆく。頸の筋肉細胞に、ぷちぷちと細かい亀裂が入ってゆく音までも聴こえている。 �凄か……�  技を掛けられながら、半助は喜悦していた。 �なんという凄か技じゃ……�  それを、今、容赦なく佐村が掛けてきているのだということがわかる。  佐村は本気じゃ。  佐村が、ここまで本気でこの技を掛けた相手が他におるか。  おれだけじゃ——  佐村の右脇の下で、半助は、誰にも見られぬ喜悦の笑みをその唇に浮かべている。  すでに、呼吸は止まっている。  あと、どれだけこの状態で我慢できるか?  あと少しで、頸動脈が完全に塞がれてしまう。今は、かろうじて、太い筋肉の束が、頸動脈を守っているだけだ。わずかな血流が、脳を支えている。意識を保たせている。  この血流が完全に止められたら——意識を失ってしまう。それは、我慢ができるとか、根性で凌げるとか、そういうものではない。脳に血が通わなくなったら、落ちるだけだ。  落ちたら、今、頸に込めている力を入れることができなくなる。頸に込めていた力が抜けた途端、頸椎は折れる。これだけ力を入れている佐村が、自分が意識を失うのに合わせて力を抜くことはできない。  頸の骨が折れれば、おれは死ぬ。 �許せ�  と半助は思う。  試し合いで人を殺したという荷を、佐村に背負わせてしまうことになる。  しかし、それは、覚悟の上だろう。  このおれも、覚悟をしている。  それが、おまえの死であっても、おれ自身の死であってもだ。  しかし、まだ、おれの頸は折れてはいない。頸は鍛えに鍛えたぞ。東京へ出てからも、木刀で叩かせたり突かせたりして鍛えたのじゃ。首を吊って木からぶら下がっても平気じゃ。  今、おれがここから脱出するのにできることは、まるでなくはない。  この状態でも、右手は動く。  その右手で、おまえの顔をさぐりあて、眼の中へ指を突っ込んでやることだ。  わかっている。  しかし、それはおれはやらない。  それは、これが殺し合いではないからだ。  不思議じゃなあ、佐村。  おれもおまえも、自分や相手の死を覚悟しているというのに、これは殺し合いでないとわかっている。  ここは、戦場《いくさば》ではないからな。  戦場であって戦場ではない。  おれたちは、約束事《きめごと》を拒否した。  だから、本当は、相手の眼の中へわざと指を突っ込んだからと言って、誰からも文句を言われる筋合いはない。おまえが、両眼をおれに抉り出されたからと言って、何も文句を言うわけはないと、おれはよくわかっている。  おれだって、言わない。  今日のこの場は、そういう卑怯やずるさを競う場所ではないのだ。  そもそも、おれは、憎くておんしと闘うちょるわけじゃあないのじゃ、佐村。  むしろ、おんしのことは愛しいくらいじゃ。  じゃから、ここへ、この場所へ、おんしもおれも立ったのじゃろう。  何だかはわからないが、これまでおれが生きてきたこと、これまでおまえが生きてきたこと、ここは、それを出し合う場所なのだ。  おまえのこれまでの一生の間に、何があったのか、おれは知らない。おまえだって、おれに何があったか知らないだろう。しかし、知らなくともわかっている。  おふじの死に顔がどんなだったかなど、おまえは知るわけがない。  しかし、おまえはわかっている。  おまえがわかっているというそのことをおれもわかっている。  おれだって、わかっている。  一切の理屈や知識や、この世の中のわずらわしいこと、あれやこれやややこしいことのいっさいがっさいみんなすっとばして、おれはおまえがわかっている。  ああ、このために、この場があるのだな。  おまえとおれが、ここで試し合うために、おまえのこれまでの一生の全てがあったのだ。おれのこれまでの一生の全てがあったのだ。  おまえの一生をここで吐き出すがいい。  おれはおれでおれの一生を込めておまえをやっつけようとする。  それでおれが死んだって、おまえが死んだって、それはただの結果だ。  おれもおまえも、この場の聖なるもののために、力を使い尽くす。  それは、聖《きよ》い。  それを、たかだか目だまを抉って勝つことで汚せるものではない。  おれも、おまえも、おれたちが今やっているこれも、その聖なるものでも何でもいいが、それへ捧げられた供物《くもつ》なのだ。  そんな結果のことなど、おれは考えてはいないのだ。  死ぬだの生きるだの、結果は神だかなんだか知らないが、そういうものが考えればよいことだ。  おれは、今ただ、全力を尽くす、それだけを考えればよい。  簡単なことではないか。  ああ、何を考えているのか、このおれは。  少し、意識が朦朧としてきたか。  もう少し、もう少しだ……  この頸が、少しずつ抜けている。  佐村、佐村、ぬしはよい漢じゃ—— (四)  巨大な抹香鯨《まっこうくじら》が、海面に浮上するかのように、半助は顔をあげていた。  佐村正明の右脇という深海から、ようやく半助の頸が抜け出したのである。  ひゅう、  という高い笛のような音が響いた。  半助が溜っていた呼気を吐き出したのだ。  大きな水柱をあげるようにして半助は顔をあげ、頭上の大気を、がばりがばりと根こそぎ吸い込んでいた。  眼下に、佐村の顔がある。  その顔目がけ、ありったけの体重をあびせながら、半助は再び海に向かって上体から飛び込んでいった。  佐村の顔に、肘を落としてやった。  当った。 (五)  なんとみだらなことをしているのか、おれたちは——  佐村は、そんなことを想っている。  鼻に、どろどろの血が詰まっていて、呼吸が苦しい。さっき、上から半助に肘を落とされた時、鼻頭《はながしら》を潰されたのだ。  だから、口で呼吸をしている。  鼻の軟骨か、鼻骨が折れているかもしれない。  半助の稽古衣の袖で、鼻をかんでやったら、そこが染めたように真赤になった。しかし、それでも、鼻で呼吸できたのは一回だけだった。すぐに、血が溜ってしまったのだ。  おれの上や、下や横でよく動き、くねるこの肉体のなんといういやらしさか。  一緒になりたての若夫婦だってやらないようなことをやっている。身体を入れかえ、肌をこすり合わせ、脚を抱えたり、上に乗っかったり、またいだり……  時には、下から相手の腰に両足をからみつかせたり……  お互いの股の間に顔を突っ込むようなことまでして、互いの身体から出た粘液を混ぜ合わせ、互いの肌でこねあわせるようなことをやっている。  おまけに喘いでいる。  こっちの汗とあっちの汗で、おれたちは同じようにずぶ濡れだ。  同じ鍋の中に肉体《からだ》を入れられて、汗で煮られているようなものだ。  本当によく動くやつだ。  ど太い蛇のようなやつだ。  凄い奴だなあ、半助。  だけどな、おれはわかっているぞ。  おまえ、肋が一本折れているだろう。  左側、上から三番目。  おれが折った分だ。  おれも鼻骨が折れているだろうから、五分と五分か。  まあ、二分八分でも、七分三分でも、それはどちらでもいい。  なあ、おい。  半助。  正直に言わんか。  おんし、楽しかろう。  おれは楽しい。  こげん楽しかこつがあったとはなあ。  これまで生きてくる間に、おんしに何があったか、どんなことをしてきたのか、おれは知らん。そりゃあ、そこそこはあったろうさ。ない方がおかしいからな。しかし、何があったにしろ、なんにもなかったにしろだ、それは無駄じゃあなかったってことだ。こうして今、おんしとこういうことをやっていることで、皆帳消しじゃ。  この時間を、おまえと一緒にこんなみだらなことをしてすごすためにあれもこれもがあったんじゃろう。  たとえ、女がおまえから逃げたとしたって、そのくやしさが、おれとおまえがここで楽しいことをする時間を二秒延ばすために使われるんなら、それだって無駄じゃなかったってことだ。ひとり女が逃げたことが、おまえがおれの頸を締めてくるその力に、おれを一秒耐えさせてくれるんなら、百人の女が逃げたっていいんだ。  だめだ、半助。  そんな逃げ方をしたら、これが終ってしまうではないか。いくらこれが楽しいからって、おまえの腕を折ってやる機会があるというのに、わざとそれをやめて終りを先に延ばすなんてことはできないからな。そうか。そうきたのか。ほっとしたよ。その手は囮で、実はおれの襟を取ろうとしてたんだな。襟はくれてやろう。そのかわりに上にならせてくれ。下からおれが、こうやっていやらしく腰を浮かせてやるから、おまえはおれの首ったまにありったけの力でしがみついてこい。ばか。どうして横から手を差し込んでくるんだ。それなら、おれは、おまえの股の間に手を差し込んで。  ほら。  まだ動けるよな。  まだやれるよな。  まだ遊んでくれるんだろう。 (六)  ひっくり返された。  半助は、驚愕した。  まだ、佐村にこれだけの力が残っていたのか。  底無し沼を相手に闘っているような気がした。  佐村の底が見えない。  耳にうるさいほど喘ぎ声が聴こえているというのに、まだ、どこにこれだけの体力が残っていたというのか。  どうだ、驚いたろう。  佐村は、会心の笑みを浮かべていた。  まだ、こんなことだってできるのだ。  どれだけ時間が過ぎたのかはわからないが、まだ残っているものは体力以外にもある。  それは、技だ。  気持ちだ。  それが何だっていい。  何かがひとしずくだって残っているうちは、おれは動くのをやめないのだ。  半助よ、おんしだってそうじゃろう。  まだ残っているものがあるだろう。  それを、おれに見せよ。  尻の毛までおれに見せろ。  股を開いて、指で広げて、あられもない姿でおれにむかってこい。  よいのか、佐村。  まだ、おれを受けてくれるというのか。  おまえの顔は歪み、鼻はねじれたようになっている。  歯も一本無い。  その顔が愛しかった。  どうした、半助、おまえの胸のここが、柔らかい。  この下の肋が折れているからじゃないのか。  痛!  うまいこと、拳を当ててくるじゃないか。  そうかい。  寝技だからって、当て身を使っちゃあいけないなんて、言わないだろう。  言うものか。  言わないね。  打!  当った。  当てられた。  当ててやった。  ねちねちと、身体をさすりあう。  互いの耳に、熱い呼気を吹きかけあう。  まだまだ。  まだまだ。  佐村よ。  半助よ。  もっと声をあげろ。  もっと腰をつかえ。  知ってるぞ。  何だ。  おんし、ほんとうはおれのことを好きなんじゃろうが。  おんしこそ。  ああ、そこだ。  そこをもっと触ってくれ。  そこをもっとねじってくれ。  そこへもっと入れてくれ。  こうか。  そうだ。  かわりに、おまえをつかんでおもいきり締めてやろう。  やだね。  ああ、もう少しだったのに。  もう少しだったのに。  どれだけ時間が過ぎたのだ。  時間など気にするな。  これを、ずっと続けたいんだろう。  そうだ。  ずっと。  しかし、どんな遊びにも必ず終りがある。  もう時間だと声をかけられる。  そうしたら、終るのか。 「ちい」 「むう」  声が聴こえるぞ。  誰の声だ。  おまえの声じゃないのか。  おんし闘いながら独り言を言うているのか。  ばか、独り言を言っているのはおまえだ。  おれだと。  そうだ。  まさか。  なに。  むう。  む。  ぬ。  痛。  つう。  うまいな。おんしさすがじゃ。もう考えてない。身体が反応している。身体が動いている。心のかわりに身体が闘っている。柔はおいの生命です。柔ばやっとったおかげで、おいは、がんばれたとです。柔ばやっとらんかったら、一年で魚屋ばあきらめちょったとこです。誰だろう。しゃべっているのは。火箸《ひばし》じゃ、火箸を持ってこんか。今ならば、殺せます。他流稽古は一度きりのものじゃ。わかっております。中村半助、一度負けた相手に、自分からやりたいとは口にせぬ男だからな。どうした。疲れたか。もう休みたいか。まだだ。眼ばかりが光っている。眼だけを光らせている。逃げた。光。追う。掴む。ちい。そうなら右の袖だ。それなら。空。足。まだ力が残っているのか。まだあきらめないのか。今、柔の流儀は無数にあるが、実《じつ》を忘れたものや、喉打ちばかりを学ばせる流儀が多い。承知しております、先生。わたしには、わかっとうよ。行きたか、行きたかって、その声ばいつも口にしなくたって聴こえとっとよ。苦しか、苦しか、背中がそう言っとうよ。あんたがかわいそうじゃ。生命ばかけなさった柔の道で、身ばたてようとなさっときに、こげな女に邪魔ばされて、あんたがかわいそうじゃ。ばってん、あたしは、東京ば行きたかなか。あたしは正直に言ったとよ。なんで、あんたは正直に言わんね。おまえば置いても、自分は東京ばゆくと、なんで言わんね。あんた、ほんとは性根が優しかお人じゃ。あたしにゃようわかっとう。じゃから、あたしが死んでからも、あたしに義理だてして、あんたは東京に行かんじゃろ。だけん、今言うとくのじゃ。東京ば行きんしゃい。東京ば行きんしゃい…… (七) 「おふじ……」  すまぬ——  半助は、おふじの身体を抱きしめた。  おまえのおかげじゃ——  おまえのおかげで、おれは東京へ出、こうしてひとかどの者のような顔もしておられるのじゃ。  その顔を、頬を叩かれた。  激しく、頬を叩く者がいる。 「やめい、やめい、半助。勝負はついた!!」  久富鉄太郎の声であった。  気がついたら、強い力で、おふじと思ってしがみついていた、佐村正明の身体からひきはがされていた。  送り襟締めに、佐村の頸を締めていたのである。 「おんしの勝ちじゃ、半助!」  久富鉄太郎が叫ぶ。 「一本!」  久富鉄太郎が声をあげる。  すぐ先の畳の上に、佐村正明が、両眼を見開いたまま、仰向けになって倒れていた。  その佐村の唇が、微笑している。  凄い漢《おとこ》だった。 「一本!」  久富鉄太郎が、また、叫んでいた。  半助は、立ちあがろうとした。  しかし、立ちあがれなかった。  立とうとして腰を持ちあげようとすると、膝が崩れて、動けなくなってしまうのである。  半助は、立つのをやめて、畳の上に正座をした。  それから、帯を締めなおし、襟を整え、畳に両手をつき、まだ倒れている佐村に対して、無言で頭を下げた。 (八)  佐村が気がついた時、上から久富鉄太郎の顔が覗き込んでいた。  何か、ひどくよい夢を見ていたような気がする。  しかし、自分が仰向けに倒れ、それを久富鉄太郎が上から見下ろしているということは—— 「おいが、負けもしたか……」  佐村は言った。  久富は、その問いには答えず、 「よか試合じゃった……」  そうつぶやいた。  そうか、自分は負けたのか。  上体を起こすと、すぐ向こうの畳の上に、中村半助が正座をしてこちらを見ていた。  佐村も、居ずまいを正し、そこへ座して、身体を半助の方に向けた。  眼を合わせ、畳に両手をつき、 「ありがとさんでごわんした」  頭を下げたのである。 (九)  治五郎が、珍らしく酒を飲んでいる。  場所は、神田神保町にある�たぐり蕎麦《そば》�の二階である。  治五郎の前に座しているのは、勝海舟だ。 「どうだい、嘉納君、この後一杯おいらにつきあっちゃあくれねえかい」  勝からそう声をかけられたのだ。 「お供させていただきます」  治五郎は、すぐに返事をして頭を下げた。 「おまえさんたちもどうだえ」  勝は、治五郎と一緒にいた四郎と横山にも声をかけたのだが、 「自分たちには、この後道場で指導がありますので——」  ふたりはそれを辞退した。  午後、夕方近くに門下生がやってくる。  四郎と横山は、これから彼等の稽古の面倒を見なければならない。  横山は、酒の匂いを嗅ぎつけて、一瞬行きたそうな素振りを見せたものの、指導があるのにかわりはなく、それに治五郎が一緒とあっては飲むわけにもゆかず、あきらめたようにも見えた。  ただ、わかれる前に、 「勝先生——」  横山が、勝に声をかけた。 「何だね」  勝が言うと、 「御礼が遅れましたが、ありがとうございました」  横山が頭を下げた。 「礼?」 「警視庁武術試合のことです」 「それが何だってえんだい」 「照島と自分が当たるよう、三島総監にお声を掛けていただいたとうかがっております」 「そんなことまであんたの耳に入《へえ》ってるのかい」 「はい」 「何故、礼を?」 「あれから、照島とは仲ようしております。初めて会うた時には、気にくわん奴じゃと思うておりましたが、一緒に酒を——いえ、話をしてみれば、胆《はら》の太いよい漢です。あの試合がなければ、照島とはそのまんまになっていたところです」 「百の言葉を連ねるより、一度の本気の勝負の方が、人と人は理解し合えるもののようだな——」 「ありがとうございます」  横山はまた頭を下げ、顔をあげながら治五郎の顔をうかがいつつ、 「ついては、勝先生、ひとつお願いがあります」  そう言った。  それに対して、治五郎が何か言いかけようとするのを、勝は眼で制して、 「何だえ?」  横山に問うてきた。 「もしも、この先機会があるようなら、次はぜひ中村半助師範と手を合わせてみたいと考えちょります——」 「つつしみなさい、横山——」  治五郎がすかさず声をかけると、 「調子に乗り過ぎました」  横山が、頭を下げた。  勝はかまわず、 「横山君は、今日の試合はどう見たのかね」  そう訊いた。 「うらやましゅう思いました」 「うらやましい?」 「いずれも惚れぼれするような漢ぶりで、身体が震えました。自分もあんなはらわたをひり出すような試合をしてみたいと——」 「横山君、おいらもひとつ気になっていたことがあってね」 「何でしょう」 「あの中村半助、実を言えば、君か、そこの四郎君とやりたがっていたのではなかったのかとね——」  勝は、横山の横に並んでいる四郎に視線を送って、 「それを、おいらが中村半助から君をとりあげて、照島君を三島さんに推薦しちまったんだ。その勢いで、四郎君まで、揚心流戸塚道場の好地君とやる流れになってしまった……」  四郎は、勝の話を無言で聴いている。 「いずれにしろ、君の言ったことは、胆にとどめておこう」  そういう話の後、治五郎は横山、四郎と別れて、勝とこの店にあがったのである。  勝は、胡坐をかき、杯を手にしているが、治五郎は正座である。  治五郎もまた、勝にすすめられるまま、杯を手にしている。  道場では、酒は絶対に口にしないが、いついかなる時であっても酒はならぬというほど狭量な人間ではない。  もともとが、治五郎の実家の本家は酒を造る家である。 「ところで、どうだい」  杯を口に運びながら、勝が治五郎に声をかけてきた。 「今日の試合を、何と見たかね」  勝は、杯を膳の上に置き、箸を手に取って、皿の上の分厚いかまぼこの切り身に、山葵《わさび》を載せ、いったん醤油に付けてから、それを口の中に放り込んだ。  蕎麦が出るまでの、酒のあてである。 「あのような試合、武術家が一生のうちで一度あるかどうか——」  言ってから、 「いえ、ないまま世を終る武術家がほとんどでしょう」  そう言い添えた。 「君は?」 「ありません」  治五郎は、正直に答えた。 「何をやってもいい——そういうなかで、よくあそこまでのものが、あの場に生まれたものだ」  勝も、感慨深げに言った。 「あのおふたりであればこそ、できた試合でしょう」 「うむ」 「ただ……」 「ただ?」 「武道を学ぶ者の誰もが、あのような域に達することができるわけではありません——」 「というと?」 「私事ですが、申しあげてよろしいでしょうか——」 「かまわんよ」 「わたしの関わっている教育のことです。うまくは言葉になりませんが、教育においては、ことさらにあのおふたりのような人材を育てようと考えるのは、教育する側の一種の傲慢のような気がいたしました。そのことが、今日、あらためてわかりました」 「ほう」 「中村先生、佐村先生、育てようとして育つような方々ではありません」 「だろうなア」 「それよりも、教育者がやるべきは、広くそのそれぞれの才能を伸ばしてやることではないか——柔《やわら》で言えば、誰もが学べるような環境を作り、体系を作り、それを教え学んでゆくことの中から、自《おの》ずとおふたりのような人材も現われてくるのではないかと——」 「うむ」 「すでに、柔は、戦場の術《じゅつ》としては時代遅れになっています。もとより、剣、弓、槍を手にした相手と闘うには不利。今の世は、鉄砲までもが世に出まわって、これに柔で立ち向かえるものではありません」 「———」 「しかし、この時代遅れの柔術が、鉄砲より優れているものを持っているのです」 「それは何だね」 「心です」 「心?」 「敵である相手を敬い、相手のことを思いやる気持ちです」 「ほう……」 「銃で、離れたところから相手を撃ち殺すのでは、絶対に伝わらぬものがあります。互いに、相手の身体に触れ、相手の力や技をその身に受けることで、相手がこの日のためにどれだけの研鑽を積み、どれだけの努力をしてきたのか、それがわかるのです。それは、自分がやってきたことだからです。自分と同じものに、相手も耐えて、そしてこの場に立ち今自分と向きあっている——それがわかれば、それは、自然と相手への尊敬の念にかわります——」  治五郎が、いつになく饒舌なのは、しばらく前に、中村半助と佐村正明のあの試合を見てきたからであろう。 「あそこは、戦場ではありません。お互いの人間を試し合う場です。それを、今日、おふたり自らが、わたしに教えてくれたのです。もし、今、柔がこの社会のために役立つことがあるのなら、それは戦場の術ではなく、むしろ日常の護身の術として——そして、本日あのおふたりが示してくださった如く、人の心の在り方を磨く場として機能してゆくのだと思います」 「人の心の在り方を?」 「はい」  治五郎は、正面から勝を見つめている。  眩しいくらいの視線である。 「心を磨くためには、肉体《からだ》が必要なのです。そして、肉体を鍛えるためには、心が必要なのです。心も肉体も、不可分です。心と肉体——これをふたつながら磨くのに、柔術ほど優れたシステムはないと思います」  思わず治五郎は、システムという異国の言葉をここで使った。  勝も、その言葉の意味するところはわかっている。 「今、西洋から、海を越えて新しいものや新しい考え方が、この国が消化できぬほどの速さで入ってきています。その時、わが日本国が忘れてならないのは、この日本人の精神です。そのためにも、今、柔術が必要なのです——」  日頃考えていることを、治五郎はここでひと息に言った。  さすがに、勝相手に少ししゃべりすぎたかと思ったのか、言葉を切り、 「失礼いたしました」  治五郎はそう言って頭を下げた。 「かまわねえよ。若い者《もん》が、年寄りに対して威勢がいいのは気持ちがいい——」 「すみません」 「いいんだよ」  勝は笑っている。 「しかし、そんなら、何か新しい名前がいいだろう」 「新しい名前?」 「おまえさんがやろうとしている柔術だよ。おまえさんが、新しいことをやろうってえ言うんなら、そいつを、新しい名前で呼ぶのがいいかもしれねえ。柔というのが、そのまんま人を育ててゆく道だってえんなら、そうだなァ……」  勝は、頭を傾け、 「柔道ってえのはどうだえ」  そう言った。 「柔道、ですか……」  この柔道、勝にその知識があったかどうかはともかく、明治以前から存在した言葉である。  柔《やわら》、柔術ほど当時としては一般的ではなかったが、ほぼ同じ意味で、柔術のことを柔道と呼んだ例はなくはない。  もちろん、治五郎にもその知識はあった。これまでも、時おり自分のやっている柔術を柔道と呼んだりしている。しかし、勝に言われて、あらためてここで耳にすると、その言葉の響きには、新鮮なものがあった。 「どうだえ、悪かあねえ響きだろう」  勝は、嬉しそうにそう言ったのである。 (十)  下駄を鳴らしながら、歩いている。  四郎と横山は、ほとんど無言であった。  人力車が通り、豆腐やが横を抜けてゆく。  もうしばらく歩けば、この三月九段坂上に移転したばかりの講道館の道場に着く。 「おい、四郎——」  横山が、足を止めずに声をかけた。 「何じゃ……」  少し間を置いて、四郎が答えた。 「かまわんのか」  横山が、前を向いたまま、ぼそりと言う。 「何がだ」 「おれが、中村半助とやってしまってもじゃ——」 「………」  四郎は答えない。 「おまえは、あの半助とやりたいと思わなかったのか——」 「思った……」  正直に、四郎は答えた。  しかし、低い声だった。  思ったか、思わなかったかということでは、確かに思った。  自分も、あのような漢《おとこ》とやってみたい。  自分の技が、あの半助に通用するのか、それを試してみたい。  柔術家として、それは当然の思いでもある。 「なら、何故、さっきそれを言わんのじゃ」 「———」 「勝先生の話では、もともと中村先生は、おれかおまえとやりたがっていたということではないか——」 「………」 「おれがやりたいと言ったら、おまえも言うと思っていた。だから、おれは言うたのじゃ——」 「何故だ」 「おまえがやりたいと言うたら、おれはまずおまえとやらせてほしいと先生に言うつもりじゃった……」 「———」 「この横山と四郎がやって、勝った方を中村先生とやらせて下さい——とな……」  ちらりと、横山が四郎に視線を送った。  四郎は、黙って前を向いて歩いている。 「おまえには、借りがあるからな……」  がらり、ごろりと下駄を鳴らしながら、横山はつぶやいた。  横山の視線も、また前を向いている。 「借り?」 「とぼけるな、四年前じゃ——」 「四年前?」 「おまえ、講道館へ行く前に、おれを投げてから行ったろう」 「ああ——」 「あの時は、油断したとは言わん。おれの負けでいい。しかし、おれに勝ったらいなくなるなどとは、何も言うてはいなかったではないか——」  その通りだった。  誰にもそのことを言っていなかった。  自分で決め、自分で勝負をした。 「もう一度じゃ」  横山は言った。 「もう一度、おれと勝負せよ。四郎」 「勝負?」 「誰かに負けたままというのは、どうも飯がまずうてかなわんのじゃ——」 「———」 「酒だってうもうないわ」 「そうは見えんが……」 「ばか」  横山は、少しだけ笑った。  しばらく黙って歩いた。 「おれはな、四郎、ぬしが好きなのじゃ。凄い漢じゃと思うている。その小さな身体でここまでになるには、よほどの精進をしたのじゃろう」 「———」 「だから、おまえとやりたいのじゃ。今日のあの試合を見せられて、なおさらそう思った——」 「今日の試合?」 「ぬしと本気でやり合うた後なら、勝っても負けても、ぬしとうまい酒が飲める」  その言葉が、本気であると四郎にはわかった。  横山の本音だ。  いつも、冗談にまぎらわせて、なかなか胆の底を見せぬが、今、横山が本音を口にしているのだと四郎にはわかった。  この横山に、どう答えればよいのか。  四郎は、苦悶するように沈黙した。  やがて、講道館が見えてきた時、四郎は足を止めていた。  一緒に、横山も足を止めた。 「横山さん——」  四郎は、口調をあらためて言った。  横山は、四郎より歳が上だ。  しかし、これまで、ふたりきりの時にさんづけで呼んだことはない。  四郎は、講道館においては先輩である。本来なら、互いにさんづけで呼びあうところだが、これまでは逆にさんをつけずに互いに四郎、横山と呼び捨ててきた。 「ひとつ、うかがいたいことがあります」 「なんじゃ」 「横山さんは、どうして、柔術をやっているのですか」  突然の問いであった。 「稽古をして、修行をして、強くなって——それで、どうなりたいのですか!?」  けして大きな声ではなかった。  しかし、その言葉は、はっきりと横山の耳に届いた。  まるで、それまで隠し持っていた刃物を懐から抜いて、いきなりつきつけてくるような四郎の言葉であった。  保科四郎、二十一歳——  横山作次郎、二十三歳——  まだ若者である。  明治十九年(一八八六)の秋であった。 [#改ページ]  十八章 獅子吼 (一)  明治二十年五月二十八日——  弥生神社が、向ケ丘から芝公園に遷座されることになり、それにともなって、この日、また、武術試合が開催されることとなった。  もちろん、ここで試合が行なわれるのは、柔術のみではない。前回と同様に弓術、剣術なども、同じ日に試合が行なわれることになっている。  開催のひと月半前に、講道館にも打診があり、まず、保科四郎、横山作次郎の出場が決まった。  他流では、中村半助の出場がすでに決まっている。  揚心流戸塚派からの出場もあるという噂であったが、誰が出場するかは、まだ講道館には届いていなかった。  出場は決まったものの、横山も四郎も、まだ対戦相手は決まっていない。  出場者がある程度出そろったところで、対戦の組み合わせが決まることになっている。  五月三日の夕刻——  足音を高くして、道場に駆け込んできたのは、横山作次郎であった。  まだ門下生がやってくる前で、稽古衣に着がえてはいない。 「どうしたのじゃ、横山」  横山を出むかえたのは、すでに稽古衣姿になっていた、富田常次郎である。 「四郎はどこじゃ」 「今朝から出ている」 「どこへ行った?」 「知らん。嘉納先生か、八重さんなら知っているかもしれん」  この頃、すでに、横山は、道場に寝泊まりをしていない。  四天王のうちで、道場で寝泊まりしているのは、富田と四郎だけである。 「嘉納先生は?」 「学習院じゃ。夕方にならねばお帰りにならんのは知っているじゃろう」 「う、うむ」  いつになく、横山が急《せ》いている。 「どうしたのじゃ、横山。四郎がどうかしたか——」 「昨年のことじゃ。梟とかいう男が、講道館に仕掛けてきたのは覚えておるか——」 「覚えている」 「おれが、そのうちに引導を渡してやろうと思うちょったのじゃが、そのうちに姿を見せぬようになった」 「そうだったな」 「それがな、梟のやつ、どうやら四郎にやられていたようじゃ」 「なんだと。いつ、どこでじゃ——」 「このことで、四郎が、保科近悳先生のところへ出かけていたことがあったろう」 「うむ」 「その時じゃ。場所は、会津——」 「会津じゃと?」 「四郎め、その時会津まで足を伸ばしていたらしい」 「何のためじゃ」 「常次郎、ぬしは会うたことがあるじゃろう。武田惣角と会うためじゃ」 「あの男に!?」  富田は、五年前に自分の腕を折ってのけた、あの猛禽のような眸《め》をした男のことを思い出していた。 「四郎め、会津までその男に会いに出かけてゆき、そこで梟と出合ったらしい」 「で、やったのか」 「やって、勝ったということじゃ」 「しかし、四郎のやつ、どうしてそのことを我らに言わなかったのじゃ」 「ひょっとしたら、嘉納先生は御存知のことかもしれぬ」 「そう言えば……」  富田は、横山の言葉にうなずいていた。  帰ってきた時、まず、四郎は治五郎のもとへ報告に行った。  治五郎の部屋から出てきた四郎に、富田も、横山も、山下も、どうであったのかと問うている。  御式内と梟とどのような関係があったのかを、皆知りたがったのである。  それに対して、四郎は、 「わかりませんでした」  そう言っただけである。 「わからぬといっても、それだけではわからぬ」  さらに問いつめようとしていると、治五郎がやってきて、 「よいではないか。もしも、まだ梟が仕掛けてくるようなら、横山よ、おまえが相手をして、直《じか》に問えばよい」  そう言ったのである。  それきり、梟は姿を見せず、その話もそのままうやむやになってしまったのである。  そのおりのことを思い出せば、治五郎が何かを知っていて隠していることはあり得そうであった。  そのことを四郎が黙っているのは、四郎の、というよりは治五郎の意志である可能性が高い。 「しかし、横山よ、おまえ、どうしてそんなことを知っている」 「照島から聴いたのじゃ」 「戸塚道場の照島太郎か」 「うむ。実は、しばらく前まで顔を合わせていたのじゃ」 「だが、どうして、照島がそんなことを知っているのだ」 「戸塚道場の金谷先生じゃ」 「うむ。警視庁の柔術世話係を務めておられる金谷元良先生か?」 「照島はな、その金谷さんから、この話を聴いたというのじゃ」 「ほう」 「今度の弥生神社の武術大会、どうやら琉球拳法が名のりをあげてきているらしい」 「なんじゃと!?」  富田が、珍らしく甲高《かんだか》い声をあげていた。 (二)  所用があって、東京へ出る、その日の昼過ぎには自由になるから、飯でも一緒に食わんか——人を介してそういう連絡を、横山が照島からもらったのは三日前であった。  それを承知して、横山が照島と会ったのは、この日の昼を少し過ぎた頃であった。  場所は、浅草の�鶏太《けいた》�という小料理屋である。  照島と会う時に、よく利用する店だ。  さっそく、鶏鍋《とりなべ》をはさんで向かいあった。  当然調子も出て、互いの杯に酒を注ぎ合うことになる。  自然に、弥生神社で開催される武術試合の話となった。 「武術試合だが、戸塚道場も出場することになったのじゃろう」  横山が訊ねた。 「むろんじゃ」  照島が答える。 「誰が出る?」 「決まっているが、言えぬ」  照島は言った。 「講道館こそどうなのじゃ」 「決まっているが、言えぬ」 「見当はつく」 「その見当であたりじゃ」  そういうやりとりをしている時に、 「横山よ。昨年、ここで初めておまえと飲んだ時、梟という琉球拳法使いの話をしたことがあったな」 「うむ」  横山はうなずき、空になっている杯に自分で酒を注いで、 「しかし、あれからずっとなりをひそめているようでつまらん」  その酒を、杯から口の中に放り込むようにして飲んだ。 「それならおまえ、知らんのか——」 「何のことじゃ」 「その梟だがな、どうやら、やられたらしい——」 「何だと!?」 「それも、講道館にだ。相手は保科四郎じゃ」 「四郎が!?」 「うむ」 「どうして、おまえがそんなことを知っているのじゃ」 「金谷さんから、しばらく前に聴いたのじゃ」  こういうことであった。  二十八日の武術試合の相談のため、西村定中、戸塚英美、そして照島の三人が千葉から出てきて、警視庁で同門の金谷元良と会ったというのである。 「その話の最中にな、金谷さんの口から、琉球拳法——唐手《トウディー》のことが出てきたのじゃ」 「どういうことじゃ」 「この武術試合のことを、琉球拳法の人間たちが聞きおよんでな。自分たちも出場させよと言うてきたらしい」 「ほう?」 「東恩納寛量《ひがおんなかんりょう》という男が、琉球拳法の重鎮松村宗棍という人物の手紙を持ってな、三島総監を訪ねてきたのじゃ。その席に、たまたま、金谷さんが居合わせたというわけだ」  その手紙の中に、島袋安徳という男が、会津で講道館の保科四郎と闘って敗れたことも、その安徳から聴いて昨年の六月に警視庁武術試合が開催されていたのを知ったことも書かれていた。  互いの術《わざ》を向上させ、より優れたものにしてゆくため、ぜひとも、唐手《トウディー》の使い手を、五月の武術試合に出場させて欲しいと、そうその手紙には書かれていた。 「唐手《トウディー》とは、どのような術じゃ」  三島が訊ねると、 「瓦を二〇枚、用意していただけますか」  東恩納寛量は言った。  用意された瓦を二〇枚、東恩納寛量は床に重ねて積みあげ、 「きえええいっ!」  気合いと共に、手刀で二〇枚全て、一閃で割ってのけたという。  寛量は、さらに、そこで幾つかの形をやってみせた。  凄まじかったのは、 「瓦は割れても、石はどうじゃ」  三島が問うた時、 「お望みとあらば」  平然と答えた寛量は、三島、金谷と共に庭へ出た。 「あれはどうじゃ」  苔むした、人の背丈ほどもある石灯籠を三島が指差すと、 「承知」  すうっと石灯籠に近づくと、その前に立ち、数度呼吸を整え、 「哈ッ!」  拳で石灯籠の上部を打った。 「どうだったのじゃ」  横山が、照島に問うた。 「石灯籠の上部が、真っぷたつに割れて、転げ落ちたそうじゃ」  照島が、杯を宙で止めたままそう言った。  まるで、怪談話を語ってでもいるような顔つきを、照島はしていた。 「嘘とは思わん」  横山は言った。 「おれは、梟の一撃を胸に受けているからな。あれなら、石くらいは割るじゃろう。おれも、肋を一本やられた」 「おれがやった分ではないのか」 「それとは別じゃ」 「しかし、凄まじい話じゃな」 「おもしろいではないか」  横山は唇の端を吊りあげてみせ、 「で、出場したいというのは誰なのじゃ」  そう訊ねた。 「その東恩納寛量じゃ」 「三島総監は、承知されたのか」 「まだじゃ。しかし、三島総監の性格からすれば……」 「承知するじゃろうな」 「うむ」  照島は、杯を口に運んでからそれを下ろし、 「その東恩納寛量だがな、次のように言ったそうじゃ」 �もしも、出場が許されるのなら、どのような規則であっても、それを受けましょう。我らの武器はこの拳ですが、これが危険ということで使うなということであれば、使わずに闘いましょう� 「ほう——」  横山は声をあげた。 「潔い言葉じゃ」 「うむ」 「東恩納寛量、会うてみたいな」 「その東恩納寛量、さらに、三島総監に次のようなことを訊ねたそうじゃ」 「どんなことじゃ」 「もしも、武田惣角という人物が、この武術試合に出場するのであれば、ぜひとも試合わせていただきたい——とな——」 「あの男か」 「知っているのか。おれは、初めて耳にする名じゃ」 「御式内の使い手じゃ」 「御式内!?」 「うちの四郎と、同じ術《じゅつ》じゃ」 「なるほど、それでわかった」 「何がじゃ」 「続いて、東恩納寛量が言ったという言葉の意味がじゃ」 「何と言ったのだ」 「もしも、武田惣角との試合がかなわないのであれば、講道館の保科四郎と、ぜひ試合わせてくれとな」  照島は言った。 「四郎とか!?」 「四郎が梟に勝っているのなら、四郎は唐手《トウディー》の仇《かたき》ということになるからな。しかし、どうせなら、おれが、寛量とはやってみたいところじゃ」 「ならば、やったらどうじゃ」 「そうはいかぬ。五月の弥生社の武術試合、残念ながら、おれは出ぬからな」 「白状したな」 「おれが出ないと言っただけさ。誰が出場するかを言うたわけではない」 「それは理屈じゃ。何も、畳の上だけが闘いの場所とは限るまい」 「道端で寛量と会うたら、仕掛けてみよとけしかけているように聞こえるぞ」 「そう言っているのだからな」  照島は、苦笑して、杯を口に運んだ。  杯を口から離し、 「ところでな、今の話にはまだ続きがあるのじゃ」  膳の上に置いた。 「ほう」 「東恩納寛量が帰った後、たまたま久富鉄太郎先生が、三島総監のところへ顔を出されたのじゃ。今度の武術大会も、久富先生が検分役に決まってな、その御挨拶ということだったのだが、挨拶の後、三島総監が、その日あったことを話されたのだ」  話を聴き終え、 「唐手《トウディー》ならば、見たことがあります」  久富は、三島に向かってそう言った。 「いつ、どこでじゃ」 「五年前、九州で——」  久留米の良移心頭流下坂道場の上原庄吾が、九州の地で、今話の出た武田惣角と試し合いをして、 「自分がその検分役をいたしました」  と久富は言った。 「どちらが勝った?」 「武田惣角です」 「なに!?」  三島が思わず身を乗り出した。  上原庄吾と言えば、中村半助の兄弟子であり、警視庁の柔術世話係も務めている。  たいへんな実力者であることを、三島もわかっている。その上原が、さっき名前を耳にしたばかりの武田惣角という男に敗れたのか。 「その時に、武田惣角がこれまで見たこともない当て身技を使いましたが、それが唐手《トウディー》であったと思います」  久富は、短く九州であったことを三島に語った。 「なるほど、どうやら武田惣角という男、沖縄で唐手《トウディー》を学んでいたらしいということだな」 「あちらで、何かあったのかもしれません」 「だろうな」 「だから、武田惣角を名指ししてきたのでしょう」 「講道館の保科四郎もだ」 「はい」 「どうだね、久富君」 「何でしょう」 「その武田惣角も東恩納寛量も見てみたいとは思わぬかね」 「確かに——」 「その武田惣角だが、今、どこにいるかわかるかね」 「会津で、ヤマト流を教えているらしいと耳にしたことがあります」 「ヤマト流?」 「どうも、大東流の流れを汲む流派のようです」 「大東流と言えば、会津の流儀じゃ。保科近悳先生が伝えていると聴く。保科四郎は、近悳先生の養子であったな。先の試合で、保科四郎が使った御式内も、大東流の奥伝《おくでん》にあたる術なのだろう?」 「そのように耳にしております」 「見てみたいな」 「ええ」 「久富君、すまないが、会津まで足を運んではもらえまいか」 「といいますと——」 「ヤマト流の武田惣角をたずねて、その人となりを見てきてもらいたい。それがもし君の意に叶うようであれば、打診をしてきてもらいたいのだ」 「打診?」 「五月の警視庁武術試合で、東恩納寛量と闘う用意があるかどうかを——」  酒を時おり口に運びながら、照島は横山に、そこまで語った。 「で、行ったのかい、久富先生は——」  横山は、照島の顔を、視線でぞろりと舐めあげた。 「行った」 「どうだったのだ、武田惣角は——」 「断った」 「なに!?」  横山の声が高くなった。  自分だったら、やる——横山の声の高さがそう言っていた。  警視庁武術試合と言えば、武術の道に入った者にとって、晴れの舞台である。これに勝る名誉はない。何よりも、当代きっての柔取《やわらとり》と、錚々《そうそう》たる顔ぶれの中で闘うことができるのである。  惣角と、泉岳寺の庫裏《くり》で、久富は対面した。  久富が用件を告げると、 「お断りいたしましょう」  あっさりと武田惣角は言ったというのである。 「何故でしょう」 「あの男とは、試し合いなどできません。殺し合い以外できないでしょう」 「何か、恨みでも——」 「ない」 「むこうが一方的に恨みを——」 「あるかもしれないが、おそらくあの男に限ってはないでしょう。だから殺し合いになる」  技も何もない、乾いた棒を突き出してくるような惣角の言葉であった。 「あれは、恨みだとか、怒りだとか、そういうものに捕《とら》われる男ではない。だから、おそろしい。生命のやりとりになってしまう」  取りつく島がない。  それで、久富鉄太郎は、会津から帰ってきたというのである。 「東恩納寛量には、聴いた通りに言ってくれればいい」  それが、別れ際の惣角の言葉であった。 「で、それを伝えたのか」  横山は、照島に訊ねた。 「らしいな」  照島は答えた。 「東恩納寛量はなんと?」 「承知いたしました——笑ってそう答えたと聴いている」  東恩納寛量は、自分の東京での居場所を三島に告げている。谷中《やなか》の、五重の塔に近い、佐久間という人物の家に厄介になっているという話であった。  三島に報告を済ませたその足で、久富は谷中に向かった。  隣りの家の屋根越しに五重の塔が見える部屋で、久富は初めて東恩納寛量と対面した。  久富が、惣角の言葉を伝えると、 「承知いたしました」  東恩納寛量は、頭を下げ、 「逃げられてしまいましたね」  笑ったというのである。 「でも、彼の言う通りでしょう。わたしは生命拾いをしたのかもしれません」  東恩納寛量にはくったくがない。  どこまでも自然体である。 「しかし、三島総監は、君に出場してもらうつもりでいる。ただ、対戦相手については、しばらく警視庁に預からせて欲しい。かまわぬかね」 「よろしくお願いいたします」  東恩納寛量は頭を下げた。 「それが、どうやら二日ほど前のことらしい」  照島は、横山に言った。 「三島総監の胆《はら》ひとつということか——」  横山が、宙を睨みながら言った。 「何がじゃ」 「東恩納寛量の相手を誰がするかということがじゃ」 「保科四郎ではないのか」 「うむ。しかし、四郎のやつ、このところ、何か妙じゃ」 「妙?」 「心に掛かることがあるらしい」 「ほう」 「時々、わけのわからぬことを訊ねてくる」 「どのようなことじゃ」 「何のために、強くならねばならぬかとな」 「よいことではないか」 「よいか、それが?」 「悩めば、一時は停滞しても、その後またひと皮剥けてさらに強くなるものだ」 「ふうん」 「横山よ、ぬしゃあ、そのようなことを考えたことはないのか」 「ある」 「ないような面をしている」 「面のことは放っておけ。ある」 「で、どうだったのじゃ」 「どうとは?」 「何のために強くならねばならぬかわかったのか?」 「わからぬ」  横山は、腕を組んだ。 「考えてもわからぬ。そのうちに、わからぬでよい、そう思うようになった。だから、今もわからぬままじゃ——」 「ふうん」 「だいたい、おれにとって、柔《やわら》というのは、飯と同じじゃ」 「飯と?」 「飯を喰わねば生きてゆけぬ。何のために飯を食うのかと飯のたびにいちいち考えていては、生きてゆかれぬではないか」 「それはそうだ」  照島はうなずき、 「で、保科は稽古はしているのか」  横山に問うた。 「稽古は休んだことがない」 「ならば、よいではないか」 「まあ、はしか[#「はしか」に傍点]のようなものじゃろうが……」  横山が組んでいた腕をほどいた時、 「保科の話が出たついでというわけではないのだが……」  照島が、口ごもるような口調で言った。 「本当なら、まずこっちの方から先に言わねばならなかったのかもしれないんだが……」  途中までしゃべってから言いよどみ、小さく首を振った。 「どうした。四郎のことで、何かあるのか」 「いや、保科のことというわけではない」 「では、何だ」 「円太郎のことじゃ」 「好地円太郎か。やつならば、今年に入ってから稽古も始めたと聴いている」 「たしかにその通りなのだが……」 「何かあったのか」 「死んだ」 「なに!?」 「ちょうど、十日前じゃ……」  腸《はらわた》をしぼり出すような声で、照島は言った。 (三)  見ていた者が、何人かいた。  その者たちの話を合わせると、その時、次のようなことがあったらしい。  四月の下旬——  好地円太郎は道場の近くにある川の土手を走っていたという。  夕刻ではあったが、まだそれほど暗くはない時間帯である。  東の空に、まだ白っぽい月が浮かんでいた。  没しかけた夕陽が土手に射していた。付近より少し高い土手には陽が当ってはいるものの、下の川原は、もう土手の影になって、陽は当ってはいなかった。  円太郎は、川を右にして、下流方向に走っていた。ちょうど、対岸の土手の向こうに、陽は沈みかけているのである。  土手には、桜が植えられていた。  四月の初めには、満開の桜が水面に花びらを散らしていたが、今はもう、花びらは一片もない。全て葉桜となって、走る円太郎の頭上で、青葉が風に揺れている。  土手を歩く者や、萌えだしたばかりの草の上に座ってあたりを眺めている者もおり、そういう人間たちが、走る円太郎を見ているのである。  円太郎は、素足であった。  走る速度は、ゆっくりとしている。  肉が、すっかり落ちていた。ひょろりと背の高い、痩せた男としか見えない。以前の円太郎を知る者でも、稽古衣を着ていなかったら、会ってすぐに円太郎とはわかるまい。着ている稽古衣もだぶついており、今の円太郎ならふたりくらいはその中におさまりそうであった。  円太郎が走っているうちに、陽は西の地平に没していた。  地平の向こうから、陽光は天へ抜け、まだ明るい空に、ようやく月が少しずつ輝きはじめた。  その時——  円太郎が通り過ぎた土手の下から、ひとりの男が姿を現わしたというのである。  着流しで、素足。  土手の上に出てきた時、男の手には、もう、凶器となった刃が握られ、鈍く光っていたという。  土手の上に立った男は、ひとつ大きく息を吸い込み、凶器を両手に握って、円太郎の背に向かって走り出していた。  途中から、男は、声をあげた。 「けしゃああああああっ!」  走った勢いをそのままに、どん、と男が円太郎の背にぶつかった。  もつれた。  ふたりの身体は、からみ合うようにして、川に向かって土手を転げ落ちた。音をたてて、川原に落ちた。  川原は、狭い。  男は勢いで川の中へ落ち、円太郎は身体半分が水につかり、半分が岸に残った。  先に円太郎が起きあがった。  次に、全身ずぶ濡れになった男が、川の中に立ちあがった。手に、まだ凶器を握っていた。  ざぶりざぶりと水を分けて、男は円太郎に迫り、横から円太郎にぶつかった。  この時、 「やろう、くたばりやがれ」  男がそう叫んだのを、土手の上から見ていた者が聴いている。  男が離れた。  腹を刺されていたのだが、まだ、円太郎はこの時、立っていた。 「い、痛てえなあ……」  腹を押さえ、呻くように円太郎が言ったのを、これも土手から見ていた者が聴いている。 「く、くそったれが!!」  男は、また円太郎にぶつかった。  これは正面からだ。  刃を水平にしてあったらしく、後から傷口を調べたら、刃は、右の肋骨《あばらぼね》の間に潜り込んで肺にまで達っし、そこでさらに抉られていた。抜く前に刃を回わして、肺臓を掻き回わしていったのである。  それでも、まだ、円太郎は立っていた。 「おまえ、あの時の……」  声は小さかったが、円太郎が男に向かってそう言うのを、確かに聴いたという者がいた。 「うるせえ。講道館に負けやがったくせに——」  男は、もう一度、円太郎の腹に刃を突き入れ、こじった。 「ばか——」  この時、円太郎は、そう言ったらしい。 「そんなことをしたら、おれは、死んじまうだろう」  言っている最中に、円太郎の身体は仰向けに倒れはじめている。  円太郎は、仰向けに水の中に倒れた。  倒れたその拍子に、刃が抜けて、凶器が男の手の中に残った。  その凶器を、男は川へ放り投げた。 「ざまあみやがれ!!」  吐き捨てて、男は膝をがくがくとさせながら土手を駆け昇り、濡れ鼠のまま土手を走って姿を消した。  岸に近い川は、浅かった。  円太郎の身体は、流されなかった。  信じられないことに、円太郎は起きあがり、岸に這いあがって立った。  土手の上を見あげた。  全身が、血と水でずぶ濡れになっていた。  円太郎は、咳込んだ。大量の血が口から飛沫《しぶき》となって飛んだ。ごぼりごぼりと、夥《おびただ》しい血を吐いた。 「も、戻らなきゃ……」  円太郎は、歩いて土手を登ろうとした。  一歩、  二歩、  三歩、  そこで足が止まった。 「あれ!?」  円太郎が言った。 「足が動かねえじゃないか……」  あれ?  あれ?  円太郎は、何度もそう言ったという。  足を動かそうとするのだが、動かない。  土手を見あげ、自分を見下ろしている者たちに、手を伸ばし、 「おい、引っ張ってくれ……」  血みどろの顔でそう言った。  そう言いながら、土手の下に仰向けに倒れてしまった。 「あちゃあ、まずいなこれは。おれ、死んじまうじゃないか……」  仰向けになったまま、円太郎は、頭上の葉桜を見あげている。  ざわざわと、葉桜が揺れている。  その上に、ぽっかりと、輝きを増した月が浮かんでいる。  何度か円太郎は起きあがろうとしている様子だったが、 「ちぇ」  と、円太郎が舌打ちするような声が聴こえた。 「もういっぺん、やりたかったよなあ……」  そういう声と共に円太郎は動かなくなった。  やがて、 「おおん、おおん……」  という、低い声が聴こえてきた。  天を見あげながら、円太郎は泣いていたのである。  その声が聴こえなくなって、土手から見ていたものが、おそるおそる下へおりてみると、円太郎は、仰向けになって、眼を開いたまま、絶命していたというのである。 (四)  甘い藤の花の薫りが、風の中に漂っている。  むこうにある藤棚に、幾房《いくふさ》もの藤の花が下がっていて、匂いはそこから運ばれてくるのである。  もうひとつ、四郎の鼻に届いてくる匂いがあった。  線香の匂いである。  四郎の前の土の上にあるのは、人の頭ほどの、ごろりとした丸い石だ。その表面に、�円�とだけ刻まれている。  その左右に、ふたつの大徳利《おおどっくり》が置かれていて、そこに、紫の花を咲かせた菖蒲《しょうぶ》が挿してあった。  石の手前に、これも大きめの猪口《ちょく》がひとつ置かれていて、砂が入っており、そこに線香が立てられているのである。  線香の煙は、筋となって石の高さほどまで真っ直ぐに上《のぼ》り、そのあたりで右手へ流れて、午後の陽の中に溶けている。  四郎の横に立っているのは、大竹森吉である。 「まあ、そういうわけだ……」  好地円太郎の墓の前で、大竹が、今、円太郎の死のいきさつを話し終えたところであった。 「以前の円太郎だったら、一度刺されたくれえじゃあ、刃もそんなに入らねえ。けろりとした面で、相手をぶちのめしていたところだ——」  なんとか、人なみにどうにか稽古ができるようになったところであり、まだ、筋肉がいくらももどってない。限りなく、普通の人間の肉体《にくたい》に近い身体《からだ》であったところへ、凶器が潜り込んだのだ。 「相手は、誰だかわかっているのですか」 「土建の利権で食っている岸又組《きしまたぐみ》の、川島文之助《かわしまぶんのすけ》という若い者《もん》だよ。以前、酒のことで喧嘩になり、円太郎に左腕を折られたことがあるやつだった。そのことを根にもって、円太郎をねらってたらしい。このところ、毎日のように、円太郎があの土手を走っているのを知って、待ち伏せたんだろう」 「その川島というのは、今、どうしてるんですか」 「警察だよ」 「捕まったんですか」 「むこうから来たんだよ」  大竹は言った。  円太郎の葬式を出したのは、戸塚道場であった。  円太郎を戸塚道場に連れてきた親類の者の家を捜したが、すでに越していて行方がわからない。円太郎の両親の墓がどこにあるのかも、道場では把握していなかった。  役場で調べてもらったのだが、それでもわからず、道場で通夜も葬式も出したのである。 「その時、君に連絡をしようと思ったのだが、連絡をすれば、君は間違いなく葬式に顔を出すであろう。うちの道場には、まだ、君や講道館に対して、なにやら含む者がいるのでな。君がやってきたら、不快な思いをさせてしまうことにもなりかねない。そう思って、葬式が終るまで、君にはどういう連絡もとらなかったのだ——」  葬式の三日後に書かれた大竹からの手紙で、四郎は円太郎の死を知った。  それで、この日、円太郎の墓参りにやってきたのである。 「ちょうど、葬式の終った日の晩だったよ——」  大竹は、円太郎の墓石を見下ろしながらぽつりぽつりと語りはじめた。  その時、道場で皆が集まって、照島の話を聴いていた。 「相手は、岸又組の人間と思います」  照島は言った。  手がかりは、男に刺された時に円太郎が口にした、 �おまえ、あの時の……�  という言葉であった。  その言葉に、 「覚えがある」  と照島が言うのである。  昨年の警視庁武術試合への出場が決まった時、それを円太郎に知らせに行ったのは照島であった。  ちょうど、一心斎が死んだ直後のことであり、その死を悼んで、円太郎はひとりで飲んでいた。そこで、岸又組の連中と喧嘩になった。  店の外に出て、円太郎が岸又組の連中と闘っているところへ、照島がやってきて、それを収めたのである。  照島は、そのおりのことを語り、 「これまで黙っていたのはすみませんでした……」  頭を下げた。  なまじ、話をして、それが広まったりすればよくないことになるだろうと考えてのことであった。  その場を収めるのに、道場の名前も出した。 「もしも、あの時、私が戸塚の名前さえ出さなかったら、こんなことには——」 「自分を責めるな。誰も、ここまでのことになるとは思わぬ」  西村定中が、肩を落としている照島に声をかけた。 「しかし、その時は、相手に名のらせなかったのだろう。それで、どうして岸又組とわかるんでえ?」  問うたのは、大竹である。 「このあたりじゃあ、一番羽振りのいいのが岸又組——それに、あの中にいた、高井という名前に聴き覚えがあります。岸又組に、確か、そういう名前の人間がいたと——」 「だが、そりゃあ、想像だ。同じ名前の人間はいくらでもいる。もしも、その時の高井が岸又組の人間としても、今度の犯人が岸又組の者《もん》だという証拠にゃならねえ」  大竹の言う通りであった。 「その通りで——」  照島も、うなずくより他はない。 「いずれにしても、門下生にははやまったことをするなと、伝えておく必要がある」  戸塚英美が言った。  すでに、�相手は岸又組�の雰囲気が、道場生たちの間にも広まっている。街に出て、いつ、どこで、道場生と岸又組の人間とが出合わぬとも限らない。 「しかし、もしも岸又組とわかったら……」  照島がつぶやいた。  仮にも、柔術の看板を掲げ、一流派を名のるところの道場生が殺されたのだ。相手がその筋の人間だからといって放っておき、警察まかせにしておけるものではない。  揚心流戸塚派の看板に関わる問題であった。  明治二〇年——時代はまだ武士社会の気概を色濃く残している。 「いずれにしても、胆《はら》はくくっておくことじゃ……」  定中がそう言った時、道場生のひとりが駆け込んできた。 「客です。岸又組の高井|喬太郎《きょうたろう》と名のっております」  その声が、強張っている。  玄関に向かったのは、道場生の戸塚英美、西村定中、大竹森吉、照島太郎他、主だった者たちである。  玄関の土間に、ふたりの男がいた。  ひとりは、崩れるようにそこに膝を突いていた。  ひとりは、黒紋付を着て、立っている。 「おまえ……」  照島が、思わず声を出した。  その顔に見覚えがあったからだ。 「高井でございます。その節は、御面倒をおかけいたしました」  頭を下げ、顔をあげた。  その顔から、血の気が引いて青くなっている。しかし、胆《はら》をくくった面構えであった。 「この度は、うちの組の川島が、たいへんな不始末をしでかしまして、お詫びして済むようなことじゃあございませんが、けじめをつけさせていただこうと思いまして、出せない面を出させていただきました」  高井が言うと、土間に両膝を突いていた男が、顔をあげた。その顔が腫れあがっていた。両の瞼《まぶた》が青黒く膨らみ、眼が塞がっている。頬のあちこちに痣《あざ》ができて、そこも腫れあがって面相が変っている。 「この度のこと、わたしの一存でいたしました」  男——川島が言った。  その唇の内側に、ほとんど歯がない。 「もうしわけございません」  土の上に両手を突いた。  しかし、見えたのは左手だけで、右手がない。血の滲んだ包帯を巻いた右手首を地に突いていた。  高井が、右手を懐に入れて、和紙に包んだものを取り出し、それを両手に持って、 「これを、お受け取り下さい」  差し出した。  見れば、その包みを持った高井の左手の小指に包帯が巻かれている。  大竹が包みを受けとり、その場で開いた。  中から出てきたのは、右手と、小指であった。 「こいつの右手と、あたしの左手の小指です」  高井が言った。 「これから、こいつを連れて警察へ行ってまいります。それじゃあ、足らねえってんなら、この場で、こいつもあたしも、煮るなり焼くなり、好きにしていただこうと思って、やってまいりました」  高井は、そこに膝を落とし、両手を地に突いて、深々と頭を下げた。  大竹が定中を見やった。  定中と眼が合った。  続いて、戸塚英美を見やった。  英美が無言でうなずいた。 「わかったぜ」  大竹は言った。 「腹ん中あ、煮えくりかえっちゃあいるが、戸塚道場と岸又組が潰し合うようなこたあ、あっちゃあならねえ。収められねえ刀を、収めてやらあ」  大竹は、土間へ降り、高井の顔をあげさせ、その懐へ、和紙の包みを突っ込んだ。 「いいか、よく聞け。死んだ円太郎はな、間違えたら、戸塚じゃあなく、てめえらの杯をもらってたかもしれねえ人間だ。やつあどこへも行き場所がなくなって、うちへ来た人間だ。世間から見りゃあ、どうしようもねえ人間だよ。だけどな、だけどな、おりゃああいつが可愛くて可愛くて可愛くてならなかった。胆《はら》ん中あ、純なものの塊りのような人間だった——」  途中から、大竹は叫び出した。  叫んでいるうちに、涙声になり、声を詰まらせ、ついに嗚咽した。  照島、西村、戸塚も泣いた。 「線香をあげさせてやる。線香あげて、円太郎のやつに手え合わせてから、行くところへ行きやがれ——」  震える声で、大竹は言った。 (五) 「あいつはよう、おまえさんのことが好きだった……」  墓の前で、大竹はつぶやいた。 「はい……」  四郎もうなずいた。  言われて、自分もそうだったと四郎は気がついた。  うまく言葉にはできないが、円太郎とは、間違いなく通じ合うものがあった。 「一緒に稽古がしてえから、また、闘いてえから、早く元気にならなきゃあってな、いつもそう言っていた。自分が元気にならなきゃあ、おまえさんが可哀想だからと言いやがってよう——」  四郎に負けて、動けなくなり、そのままでいたら、勝った四郎の方が心に重荷を背負うことになる。自分のためじゃない。 「あいつのためによ。早く稽古をしてえんだよ、大竹よう……」  そう言っていたというのである。 「ここは、戸塚一心斎先生も眠っている寺だ。ここの住職が、この空いてる場所に葬ったらよいと言ってくれたんでな、それに甘えさせてもらった。今頃、先生の肩でも揉んでいるか、頸でも締めているか——なんでこんなに早く来たと、怒鳴られてるかもしれねえ……」  大竹は、太い指先で、眼尻をぬぐった。  しばしの沈黙の中に、藤がたまらなく匂っている。 「今度の武術試合だがな……」  ふいに、大竹が口を開いた。 「おれが出ることになった……」 「大竹さんが?」 「誰とあたるのかはまだわからんが、おまえさんとあたった時は、お互いに手加減ぬきだ——」 「はい」 「それが、おれたちの矜持だからなあ……」  大竹は、四郎に、というより、墓の円太郎に向かって声をかけているようであった。 [#改ページ]  十九章 前夜祭 (一)  五月二十八日、弥生社において開催される武術試合の出場者と対戦相手が決まったのは、五月五日であった。  第一試合   竹内三統流・佐村正明 対 揚心流戸塚派・金谷元良  第二試合   揚心流戸塚派・大竹森吉 対 関口新々流・仲段蔵  第三試合   講道館嘉納流・保科四郎 対 沖縄手・東恩納寛量  第四試合   講道館嘉納流・横山作次郎 対 良移心頭流・中村半助  検分役が、昨年と同じ、久富鉄太郎ということになった。 (二)  夏を思わせる陽差しだった。  明るい陽光が、躑躅《つつじ》の赤い花に注いでいる。  八重は、井戸の洗い場で、稽古衣の洗濯をしている。盥《たらい》の中に、斜めに洗濯板を立てて、そこで、四郎の稽古衣の上着を洗っているのである。  四郎は、素足に下駄を引っかけ、しゃがんで、八重が稽古衣を揉んでいるのを眺めている。  上半身は裸だ。  眼の高さに、躑躅の花が咲いていて、そこへ、時々クロアゲハが飛んできては、蜜を吸ってゆく。 「四郎さん、眺めていたって、すぐに終るわけじゃありませんよ」  手を動かしながら、八重が言う。 「好きなんです、八重さんが洗濯しているのを見るのが……」  四郎が言うと、 「おかしい人……」  八重は、くすくすと笑った。 「稽古はいいんですか?」 「今は、ちょっと、休憩です」 「試合、決まったんでしょう」 「ええ」 「相手の方は、強い人?」 「強いです」 「でも、四郎さんの方が強いんでしょう」 「わかりません」  四郎は、立てた両膝の上に両肘を乗せ、動く八重の手を眺めている。 「八重さん……」  四郎は言った。 「なに?」 「どうして、闘うのかな」 「え?」  八重は、手を止めて、四郎を見た。 「どうして、闘うんだろう」 「四郎さんのことですか。それとも皆さんのことですか」 「両方です」 「わたしの方が、訊きたいくらいですよ。ああ、思い出した——」 「何をです」 「昨年の今頃——警視庁の武術試合があったでしょう。あなたが、近悳先生のところへいらしてる時に、ちょうど、そこに作次郎さんが立っていて——」 「横山ですか」 「そう。作次郎さんに、わたし、同じことを訊きましたよ。何で、男の人はみんな闘うんでしょうねえって——」 「横山は、何と?」 「何も答えなくてね、困ったように頭を掻いていましたよ」 「そうですか、困っていましたか?」 「だから、もう、わたしはそれ以上訊ねませんでしたよ」  八重の手が、また動き出した。  四郎も、問うのをやめて、また、八重の動く白い手と腕を見つめた。  そこへ、下駄の音が近づいてきて、 「おい、四郎——」  男の声がした。  振り返ると、そこに横山が立っていた。 「なんだ」 「おまえ、東恩納寛量のことは聴いたか」 「何のことだ」 「寛量のやつ、昨日、矢野広次とやったそうじゃ」 「矢野広次!?」 「熊本の、竹内三統流矢野広英の息子じゃ。佐村正明の行っている矢野道場の師範ぞ」  その矢野広次なら、知っている。  矢野広英が一線を退《しりぞ》いたあと、佐村正明に次ぐ、矢野道場の実力者だ。  五年ほど前、中村半助と闘って敗れたが、その後精進して、今は、その実力は佐村をしのぐと言われている。 「その矢野広次がな、上京してきて、三島総監に掛け合ったそうじゃ」 「掛け合った?」 「何故、東恩納寛量を、警視庁武術試合に出場させるのか——とな」  警視庁武術試合は、武術家として誉れの場である。多くの武術家が、その場に出たいと日々精進をしている。それを、いきなり、琉球から出てきたという人間が出場したいと言ったら、出場させるのか。ならば、この自分も、出場させて欲しいと願えばそれが叶うのか。  その東恩納寛量が、どれだけの実力を持っているのか自分は知らないが、少なくとも稽古の量と、精進の量は、誰にも負けぬ自信がある。どうか、この自分と東恩納寛量とを立ち合わせて欲しい。もしも、自分が負けたのなら、東恩納寛量が武術試合に出場することについてどういう文句もない。しかし、もしも自分が勝ったのなら、この矢野広次を、東恩納寛量のかわりに、出場させて欲しい……。 「それが、通ったのさ」  矢野広次の言っていることにも、一分の理《り》はある。  しかも、柔術界に名を知られた実力者でもある。出場資格はある。  しかし、東恩納寛量の出場はすでに決まっていることであった。ならば、東恩納寛量に矢野の言《げん》をそのまま伝え、もしもこれを受けるのなら、矢野の言うように、勝った方を出場させればよい。が、東恩納寛量がこれを断るかもしれない。矢野と闘って、もし勝ったとしても、どこかに怪我を負うかもしれない。そうなったら、本戦とでも言うべき弥生社での試合に支障が出る。それを理由に断るのであれば、これはすでに決定したことであり、その場合は、予定通り東恩納寛量が出場すればよい。  それでどうか、ということになった。  矢野に、むろん異存はない。  これが、東恩納寛量に伝えられると、 「お受けいたしましょう」  迷うことなくそれを承知したのである。  試合日は、二日後、場所は警視庁の練武場と決まった。  その日、検分役を務めたのは、中村半助であった。  その現場に立ちあったのが、久富鉄太郎、佐村正明、そして三島通庸他、警視庁の主立った者数人である。 「動かぬものになら、いかようにでも、拳でも足でも当てられよう。しかし、当てられぬよう動くものに、そうそうは当るものではない。それは、皆の知るところじゃ」  試合の前、控《ひかえ》の間《ま》で、矢野はそう言っていたという。 「いかに優れた武器でも、触れねば、切れぬ。突けぬ。当てられたとしても、その位置が少しでも前か後ろにずれていたら、効き目は半分以下ぞ」  この理屈は、その通りであった。  当て身は、結局のところ、柔《やわら》の術理の中では、従《じゅう》である。柔の技に入るための、きっかけとして機能する。当て身のみに心を奪われると、懐に入られ、倒されて逆を取られてしまうことになる。  それは、誰もが承知していた。  闘いが始まった。  十秒ほどで、決着がついた。  矢野が、距離を詰め、組もうとして前に出たところ、東恩納寛量が右へ跳んで、踏み出した矢野の左脚の膝を、真横から左の足刀で、斜め下に蹴り下ろしたのである。  その一瞬——  めりっ!  という凄まじい音がした。  矢野の左脚が、膝のところから、横に、�くの字�に折れ曲がっていたのである。 「ぐわわわっ」  獣のような咆吼をあげて、矢野は横倒しになり、呻きながら立ちあがろうとした。 「まだまだ」  矢野が、片足でなんとか立ちあがった時、東恩納寛量は、もう、畳の上に正座をして頭を下げていたというのである。 「それまで、それまで!」  なお、闘いを続けようとする矢野を、半助が、抱きかかえるようにして止めた。 「それが、昨日のことらしい」  横山は、四郎に言った。 「まあ、おそろしい……」  洗濯の手を止めて、四郎と一緒に横山の話を聴いていた八重は、眉をひそめた。 「四郎よ、おれとおまえは、すでに唐手《トウディー》とは闘ったことがある。今さら言うことでもないが、くれぐれも油断はせぬことじゃ……」 「油断はせぬ。しかし——」  四郎は、そこで、口ごもった。 「おれは、負けるかもしれない……」 「なんだと!?」  横山が、声を高くした。 「四郎さん、おやめなさい。そんな恐い方と闘うなんて、やめてしまってもいいじゃありませんか。お断りするのも勇気ですよ」  八重の言葉に、四郎は、口を閉じて、押し黙った。  そこへ—— 「失礼します」  声がかかった。  その声に、異国の訛りがあった。  三人がその声の方に視線を向けると、三〇歳をやや過ぎたあたりかと思える青年が、躑躅の垣の向こうに立っていた。  長めの髪を後方にすいているが、風に揺すられて、その一部が額に垂れている。 「はい?」  答えて、八重が立ちあがった。 「東恩納寛量と申します。こちらに、保科四郎さんはおいでになりますか」  青年は、くったくのない笑みを浮かべて言った。  ぎりっ、  と、横山の肉の中に、高い温度を持ったものが、凝固した。  青年——東恩納寛量は、横山を見やり、 「凄いなあ、講道館は、皆あなたのようなのですか——」  笑みを消さずに言った。 「おれが特別じゃ」  横山は、唇の一方を吊りあげるようにして、白い歯を見せた。 「保科四郎は、わたしです」  四郎が言うと、 「あなたですか、島袋安徳を倒したのは——」  東恩納寛量は言った。  それには答えず、 「何か?」  四郎が言うと、 「ちょっと、歩きませんか」  東恩納寛量が、誘うように片方の眉を小さくあげた。 「あなたと、お話ししたいのです」 (三)  しばらく、無言で歩いた。  ふたりで、からり、ころりと、下駄を鳴らしながら歩く。  四郎は、稽古衣姿である。  すでに洗濯のすんでいた稽古衣を、水洗いをしてすすぎ、横山とふたりで絞った。それでも、まだ濡れている稽古衣を四郎はひっかけ、帯を締めた。歩きながら乾かすつもりであった。  東恩納寛量は、藍染めの着物に、藍染めの袴を穿いて、四郎の右側を歩いている。  沈黙にいたたまれなくなって、先に口を開いたのは、四郎であった。 「何か、用事があったのではありませんか」 「いえ、用事というほどのものではありません」  寛量が言う。 「しかし、さっき、話をしたいと——」 「そうです。話をしたかったのです」 「どんな話ですか」 「何でもいいのです」  そう言われて、四郎はとまどった。  寛量の言っていることの意味が、よく呑み込めなかった。 「あなたと対戦する前に、あなたという方を見ておきたかったのです。あなたと会い、話をしたかった。話の内容は、どのようなことでもよかったのです」  そういうことか、とも思うが、まだ呑み込みきれないものがある。  また、しばらく沈黙が続いた。  その沈黙を、東恩納寛量が気にしているようには見えなかった。  ふたりの頬を、五月の風が撫でてゆく。 「保科さん、あなたは、島袋安徳と闘って、勝ったのだそうですね」 �はい�  とは、四郎はうなずけなかった。  寛量は、いったい、何を言おうとしているのか。 「あの男は、強い……」  独り言のように、寛量はつぶやいた。 「ええ」  四郎はうなずいた。  確かに、島袋安徳は強かった。  一歩間違えたら、敗れていたのは自分であったかもしれない。それほど強かった。  しかし——  と、四郎は思う。  今、横を歩いている寛量の方が、四郎には不気味であった。表面は穏やかであったが、何をしてくるかわからない。得体の知れぬところがある。この男に比べれば、安徳の方が遥かにわかり易い。 「安徳が、いったい何に負けたのか、そのことがずっと気になっていたのです……」  これもまた、四郎には意味が掴めなかった。 �誰に�ではなく、�何に負けたのか�と寛量が言ったからである。  富士見町から歩いて、外濠《そとぼり》へ出ていた。  そこで、どちらからともなく、左手へ折れた。濠を右手に見ながら、南へ向かって歩いた。  車屋が、車を引いて走り抜けてゆく。  和装の者も多いが、洋装の男女も歩いている。  それを眺めながら、 「あのようなものかもしれませんね」  寛量がつぶやいた。 「あのようなもの?」 「二日前の晩、わたしは、銀座の煉瓦街を歩きました」  話が、次々に飛ぶ。 「ガス燈が点いていて、夜だというのに昼のように明るかった。人もたくさん歩いていて、沖縄では見たこともない風景がそこにありました……」 「———」 「安徳は、あのようなものに負けたんでしょう」  ここで四郎は、寛量は、別に話を転じたのではなく、ずっとひとつのことを考えていたのだとわかった。  にしても、まだ、四郎にはわからない。今の言い方だと、寛量は、安徳が夜の煉瓦街に負けたと言っていることになる。  ここで、四郎は、ようやくひとりの人間の名に思いあたった。  嘉納治五郎——  東恩納寛量は、どことなく、そのたたずまいが、治五郎に似ているのである。  勝てそうにない——  四郎はそう思った。  いったい、どうやったら、この男に勝てるのか—— 「勝てません……」  ふいに、四郎は言った。 「勝てない?」  寛量が、不思議そうな顔を四郎に向けた。 「ぼくは、あなたに勝てないと言ったのです」 「どうしてですか」 「そう思ったからです。ぼくは、あなたがこわい——」 「こわい?」 「ええ」 「試合う前は、皆同じです。わたしも、保科さんがこわい」 「こわがっているようには、思えません」 「でも、こわい」  こわい——そう言いながら、寛量は歩いてゆく。 「東恩納さん」  四郎が言った。 「何でしょう」 「あなたは、どうして、闘うのですか?」  四郎が訊ねると、 「うーん……」  寛量は、そう言って絶句した。  しばらくは、ふたりの歩く下駄の音が響いた。  やがて—— 「自分に勝つため、でしょうか——」  言ってから、 「どうも、うまく言葉にできません」  そう付け加えた。  しばらく歩いて、寛量は足を止めた。  つられて、四郎も足を止める。 「ここまでで、結構です」  寛量は言った。 「え」 「今日は、わざわざわたしにおつきあいいただいて、ありがとうございました。有意義な時間でした——」  東恩納寛量が、頭を下げた。 「いえ、こちらこそ」  四郎も頭を下げた。 「わたしは、十日後の試合で、死んでしまってもいいのです。遠慮なく、わたしに技を掛けて下さっていいのですよ」 「それは、あなたもそうするからという意味ですか」 「もちろんです」  寛量は笑った。 「では、試合の日に——」  そう言って、東恩納寛量は、四郎に背を向けた。  そのまま、歩いてゆく。  四郎は、そこに立ち止まったまま、東恩納寛量の姿が見えなくなるまで、ずっとその姿を眼で追っていた。 (四)  横山が、四郎を呼び出したのは、試合の三日前——五月二十五日のことであった。  場所は、横山が時おり照島と会う浅草の�鶏太�であった。  わざわざ、二階に場所を取り、襖《ふすま》で仕切ってもらった。 「今日は酒はいらんよ」  あがるなり、横山はそう言った。  試合が近くなって、二〇日前から、すでに横山は酒をひかえている。  七輪が出され、その上に鍋がのせられ、具材が揃ったところで、 「呼ぶまで、顔を出さんでいい」  店の者にそう言って、小銭を握らせた。  四郎と横山と、ふたりきりになった。  世間話をした。  鍋のことは、横山が皆やった。鍋に水を張り、煮たて、味つけをし、具材を入れる。  途中、暑くなって、横手の障子窓を開けた。  梅雨入りする前の、五月の爽やかな風が入ってきた。むこうに、小さく五月《さつき》富士《ふじ》が見える。  できあがった鍋をつつくうち、だんだんとふたりの口数が少なくなった。  沈黙が生まれた。  その沈黙を破って、 「おい、四郎」  横山が、声をかけた。 「なんじゃ」  四郎が、鶏肉を箸でつまみながら言った。 「おまえ、この頃、少しおかしくはないか」  横山は、持っていた箸を置いた。 「おかしくはない」  四郎は、鶏肉を口の中に放り込み、それを噛んだ。 「このところ、妙におまえの様子がいつもと違ってきた。好地円太郎が死んでからは、特にそうじゃ」 「おまえが、そう言うんなら、そうなのかもしれない」 「何か、悩んどることがあるんなら、おれに言え」 「———」 「おれは不器用じゃ。こういう時に、どうしてよいかはわからぬが、話を聴くぐらいのことはできる」 「———」 「好地が死んだのは残念じゃが、それが好地の運命じゃ。おまえのせいではない」 「すまん」 「謝まるな。そういう話ではない」 「わかっている。しかし……」 「しかし、何だ」 「理屈でおさめられるほど、おれも器用ではない」  横山が、言葉に詰まった。 「あの東恩納寛量だが……」  横山が、話題を変えた。 「これまでに出会ったことのない性《たち》の男じゃ。重さが量れぬ」  確かに、そういうところが、東恩納寛量にはあった。  袖の掴みようがない。襟の取りようがない。掴み、取り、投げても投げられるのはその着ているものばかりで、本体は空気のように抜けてしまいそうであった。 「やつは、大陸で、手《ティー》を学んだと聴く。あの掴みどころのなさは、そういうところにあるのかもしれぬ」  横山が、独語《どくご》するように言った。 「大陸か……」 「大陸でも、琉球でも、どこでもよいが、四郎よ、このままでは、おまえ、寛量に勝てぬぞ」 「その通りだ」  四郎は、横山の言ったことを、あっさりと認めた。 「おれは、あの男に負けるだろう」 「何を言っているのだ、四郎。そんなことを——」  そこまで言って、横山は、言葉を切った。  かちかちという、小さな音に気がついたからだ。  四郎が持っている箸が、皿の縁にあたって、小刻みなその音をたてているのである。 「四郎、おまえ——」 �震えているのか�という言葉を、危うく横山は呑み込んだ。  確かに、四郎は震えていた。 「横山よ、おれは、こわい……」 「なに!?」 「負けるのが、こわい」 「そんな気の弱いことでは、勝てぬぞ」 「そうではない。そうではないのじゃ、横山——」  四郎のその声も震えていた。 「何がそうではないというのじゃ」 「勝つことも、おれはこわいのじゃ」  四郎は言った。 「闘うことが、おれはたまらなくこわいのじゃ——」  横山は、絶句した。  これが、あの、保科四郎か。 「本当は、おれは、逃げ出したい。しかし、嘉納先生の御恩のことを考えれば、逃げるわけにはゆかぬ……」  四郎は、箸を置き、横山を見、そして言った。 「おれにできるのは、試合で死ぬことだけじゃ……」 [#改ページ]  二十章 宴 (一)  よく、晴れていた。  弥生社の試合場は、屋外であった。  屋外に、床を作り、畳を敷いた。壁はない。その試合場を、天幕で囲み、観客席を設置した。  観客席といっても、興行ではないから、金を取っているわけではなく、一般の客もいない。  招待された者だけが、この席に座ることができる。  昨年と、主だった顔ぶれは同じだ。  政府高官、警視庁関係者、武術家——皇室関係者、むろん、勝安芳の顔も、そこには並んでいる。  第一試合は、竹内三統流の佐村正明と、揚心流戸塚派の金谷元良の対戦であった。  いずれも、警視庁の柔術世話係の職にある実力者である。  組んで、一進一退の攻防の後、寝技に入った。これもほとんど五分と五分の展開に見えたが、佐村が上になった金谷の頸を、自分の右脇に抱え込んで、�亀の首取り�のかたちに入って、金谷が�まいった�をした。  佐村の一本勝ちであった。  第二試合は、揚心流戸塚派の大竹森吉と、関口新々流の仲段蔵の対戦である。  始まって五分ほどは、小兵の仲段蔵が、大兵の大竹森吉を押した。火の出るような勢いで、段蔵が大竹を攻めた。  これを、大竹が受けきって、寝技に入った。  大竹が、下から、段蔵を転び締めに取った。  講道館では、治五郎が三角落としと呼んでいる技である。  仲段蔵は、まいったをせず、極められたまま落ちて、大竹森吉の一本勝ちとなった。  その勝負の後、大竹は、控《ひかえ》の間《ま》にもどらなかった。  試合場のすぐ下——東側の隅に座して、腕を組んで待った。試合開始と終了の時に鳴らされる太鼓のすぐ横だ。  次の第三試合、保科四郎対東恩納寛量の闘いを観戦するためであった。 (二)  保科四郎は、東恩納寛量と向き合っていた。  静かな山のように、寛量は四郎の正面に立っている。  逆に、四郎の身体は誰が見てもわかるほどに、硬く強《こわ》ばっていた。  身体が、小刻みに震えていた。  膝が、かくかくと動いている。 「大丈夫か、保科——」  少し前に、検分役の久富鉄太郎が、思わずそう訊ねたほどだ。 「大丈夫です」  そう答えた四郎の声も震えていた。 「礼!」  の声が響く。  四郎と寛量が、互いに相手に向かって頭を下げる。  顔をあげ、四郎は寛量と向きあった。  身体が、自分の身体でないようであった。  多少は、試合の展開や組み立てを考えていたはずなのだが、それが全て脳裏から消え去ってしまっていた。 「始め!」  の声と共に、太鼓がひとつ、どん、と打ち鳴らされた。  どちらも、動かなかった。  東恩納寛量は、ただ立っている。  沖縄でいつも使っている稽古衣を着、髪は、頭の右側に寄せて、隻首《かたかしら》に結んでいる。  琉球古来の髪形である。  寛量は、動かない。  四郎は、動けない。  四郎は、恐怖していた。  得体の知れぬものに、自分の心と身体を掴まれていた。東恩納寛量の、その静かなたたずまいがこわかった。まだ、動いてさえいないのに、背に汗をかいていた。額に、ふつふつと汗の玉が膨らんでくる。  寛量が、何故動かないかはわかっている。  自分からは仕掛けない。  相手から仕掛けさせて、その隙をついて打つ。  待っていれば、相手は組んでくるのであり、その組む時に、必ず手《ティー》の間合を通過する。その一瞬をねらっているのである。  組む間合の方が、打つ間合よりも近い。組むためには、必ず、寛量の間合を通過せねばならない。  それが、四郎にはできない。  四郎も、相手が打ってくるのを待つしかない。  拳でも、蹴りでも、その攻撃をくぐって懐に入り込み、組む。しかし、腕を伸ばして、襟や袖を握るのでは、それは、向こうの間合だ。肘か拳を入れられてしまうであろう。それとも、当て身にゆくか。顎を打ち、喉を突くか。しかし、それなら相手の方がはやく確かな技を持っているのではないか。  やはり、組むか。組んだら、すぐに崩しに入って投げるか、もっと相手に密着し、抱きつくようなかたちにならねばならない。  それには、相手が動いて、こちらに攻撃を加えてきてくれねばならない。  動け、と思う。  先に、寛量に動いて欲しい。  しかし、もし、寛量が先に動いてきたらどうしようという思いもある。  これは、言うなれば、寛量が望んで実現した闘いである。どちらも動かないとなれば、寛量から先に動くのが筋である。  動いたら、どうする。  昨年、会津で、島袋安徳と闘った時、自分はどうしたのか。  そんなこともわからない。  そうか、あの時は、下駄があった。履いていた下駄を使って、安徳の間合をはずしたのだ。しかし、ここには、下駄も石もない。床も、土ではない。  どうする。  場内が、ざわついている。  誰もが、四郎の異変に気づいていた。  そのざわつきの中で、四郎は必死で考えようとしていた。  考えが何もまとまらぬうちに、寛量が、前にゆるりと足を踏み出してきた。  おう——  会場のざわめきが、別の質のものに変わった。  会場にいるほとんどの者が、東恩納寛量がやってのけたことについて、今は知っているからである。石を砕いてのけたことも、蹴りひとつで、矢野広次の脚を折ってしまったことも。  動く、ただそれだけのことで、東恩納寛量は、会場の空気を一変させてしまったのである。  一歩、二歩——  危ない。  反射的に、四郎は後方に退がっていた。 「くむう……」  四郎は、呻くような声をあげて退がる。  すぐに、畳の縁近くまで追い詰められてしまった。  左へ回わり込むようにして、逃げる。  その逃げ道を塞ごうとするかのように、寛量が動く。  四郎は、足をはやめた。  より広い、試合場の中央に向かって退がる。  その時、ふいに、寛量の四郎を追う速度があがった。  四郎の行く手に向かって、  つうううう、  と、寛量が疾《はし》った。  四郎は、心の中で悲鳴をあげた。  追いつかれた。  東恩納寛量が、まさに自分の間合に入ろうとしたその瞬間、四郎は、自ら仰向けに倒れていた。会場が、どよめく。  仰向けに倒れた四郎の足元で、寛量は足を止めていた。  仰向けになった四郎に対して、攻撃を加えることができなかったからである。  寛量が、横へ動けば、四郎も身体を回わして、足先を寛量の方に向ける。もしも脇へ回わられてしまったら、腹や、頭部を踏みつけられてしまうからだ。  四郎は、歯を喰い縛って、下から寛量を睨んでいる。 �これでは投げられないな�  四郎の頭の中で、声が響く。  近悳の声であった。  子供の頃、草を使って、こより投げの遊びをした時だ。投げられるのがいやで、あの時、自分は仰向けになったのだ。勝つための方法ではなく、負けないための方法であった。  しばらく四郎を追った寛量は、足を止めて後方へ退がった。  そして、その場に膝を突いて座した。  その前で、四郎は仰向けに寝ころがっているだけだ。  これでは、四郎も立たざるを得ない。  四郎が立つと、再び寛量が前に出てきた。  四郎が退がる。  追いつめられて、四郎がまた畳の上に仰向けになる。  また、さきほどと同じ状態になった。  寛量が、退がり、正座をして、四郎が立ちあがるのを待った。  さすがに、久富鉄太郎が、四郎に声をかけた。 「立ちなさい」  四郎が立つと、久富鉄太郎は言った。 「作戦として、仰向けに寝るという行為はあっていい。しかし、ここは、戦場とは別の試し合いの場だ。相手がそれにつきあわねば、君は立たねばならない。これからは、相手と一度も触れ合わぬうちに、自ら仰向けになることは禁ずる」  検分役としては、当然の言葉であった。  この間に、寛量は立っている。  三たび、四郎は寛量と向きあった。  もう、手はない。  御式内でゆくか。  膝を突き、相手の正面で待つ。  しかし、気持ちが萎えていた。いったん気持ちが退いたら、もう、この術は使えない。  たとえ、膝立ちになって身を低くしても、東恩納寛量の攻撃の間合の中に身をさらすということでは同じだ。たとえ、相手が蹴りしか出せぬとしても、心を強く持ち、平常心を保つことなしには御式内という戦法はとれない。 �殺し合い以外はあの男とはできぬ�  惣角がそう言った意味が、よくわかった。  死ぬ覚悟も、殺す覚悟も、今の自分にはない。  平常心を保つことなど、できそうにない。  なら、今の自分にできることは何か。  荒い呼吸を繰り返し、額の汗を拳でぬぐいながら、四郎は考える。  必死で考える。  あった。  それは、狂うことであった。 「始め!」  の声がかかった。  東恩納寛量は、今度は動かなかった。  四郎が、両手を天に向かって持ちあげたからだ。 「かああああああっ!」  四郎は、声をあげた。 「ひいやああああっ!!」  叫んだ。  狂え。  狂ってしまえ。  心の中から、肉の中から、狂気を掬いあげる。  ありったけの狂気を掻き集めるのだ。 「くわああああっ!!」 「おわああああっ!!」  狂えばいい。  狂えば、平常心も何もない。  恐怖もない。  死ぬも生きるもない。  自分の名もない。  講道館もない。  横山もない。治五郎もない。近悳もない。好地もない。柔《やわら》もない。試合もない。一切のものが消える。  余計なものが消える。  純粋な狂気の獣となる。  狂気の化物《ばけもの》となる。  消えてしまえ。  皆、散りぢりになれ。  好地円太郎の死に顔がその時どんなであったのかなど、もう、考えなくていい。 「うららららららららららららららら……」  吼えた。  狂ったと思った。  しかし、狂えなかった。  東恩納寛量が前に出てきた時、狂気は霧散していた。  びくんと身体をすくませて、四郎は走るように後方に退がった。  寛量が追ってくる。  四郎が退がる。 「待て待て待ていっ」  久富鉄太郎の声も聴こえていない。  四郎は試合場の端まで退がり、試合場から下に転げ落ちていた。  転げ落ちたその身体を、抱き止められていた。  ひどく優しい、大きな力だった。  一瞬、四郎は、子供の頃のあの体験を思い出したほどだ。 「いったい、どうしちまったんだい、四郎さんよう……」  優しい声であった。  大竹であった。  四郎は、座して観戦していた大竹森吉の懐に転げ落ちていたのである。 「無理しすぎてるんじゃあねえのかい」  大竹は四郎を立ちあがらせて、自分も立ちあがった。 「保科、試合場へもどるんだ」  久富鉄太郎が、上から声をかけてくるのに片手をあげ、 「ちょっと待ってくれ」  大竹は間を取った。 「帯が乱れてらあ」  大竹の言うように、帯がずれ、帯から稽古衣の裾が抜けて、何度も組み合い、闘った後のような有様となっている。  大竹が、四郎の帯を解きはじめた。 「この間、人が訪ねてきてよう。円太郎の墓に、線香をあげさせてくれっていうのさ」  帯を解きながら、大竹が独り言のようにつぶやく。 「円太郎が死んだ時、あの場所にいて、何にもできずに、やつが死ぬのを見ていたんだってよう。それが気になって、しようがなく、墓に線香の一本もたむけたいと言うのさ。喜んで、円太郎の墓まで案内してやったよ」  帯を解き終え、稽古衣の前を合わせ、帯を巻きつけてゆく。 「そうしたら、そいつがね、死ぬ間際に円太郎が何か言うのを聴いたんだとさ。いや、聴いたというよりは、唇が動くのを見たってえのさ。どうせ、もう、円太郎のやつあ声なんて出せなかったろうからね。何てえ言ったと思う?」  問うたが、それは、四郎に答を要求するものではなかった。 「四郎よう、おれの分までたのむからよう——そう言ったってえんだな」  帯を結び終えた。  大竹が、四郎の眸を見た。 「四郎さんよう、もう背負っちまったんだ。何やったって、どこへ行ったって、逃げられねえよ」  笑った。  その眼に、薄く涙が滲んでいた。 「覚悟しな」  穏やかだが、凄みのある声であった。  分厚い大竹の右掌が、ぽん、と四郎の肩を叩いた。 「胆《はら》アくくるんだな」  大竹が、久富鉄太郎を見あげ、 「待たせたな」  そう言った。  四郎は、試合場に上がった。  中央で、東恩納寛量が、座して待っていた。  四郎が近づいてゆくと、寛量が立ちあがった。  寛量と向きあい、 「お待たせして、申しわけありません」  四郎は、深々と頭を下げた。  顔をあげると、東恩納寛量の口元が、微笑しているように見えた。  あらためて、四郎は寛量の前に立った。  さっきまで、無理に掻きたてようとした狂気は、きれいに消えていた。  肉の裡《うち》から、毒素が全て抜け出してしまったようであった。ただそこに、保科四郎という人間が、丸ごと、裸で立っていた。  死も、敗北も、勝利も、それは今思うことではない。  それでも、思うのなら、思ってしまうというのなら、それはそれでいいではないか。  これでいい。  四郎はそう思った。  好地円太郎の死について、それがまだ心に収めきれないなら、それはそれでいい。自分が何ものかなどわからなくてよい。わからない、それが自分だ。円太郎の死で、心を揺らしているのなら、その心を揺らしている自分が、自分なのだ。他のものではない。  大竹の言うように、自分はもう背負ってしまったのだ。円太郎の死を。そして、講道館を、そして、自分を。あの、島袋安徳の敗北をも、自分は背負っているのである。  会津の敗北を——  父の死を——  陸軍に入る夢が破れたことを——  それらの荷を捨ててしまったら、もはや自分は自分ではない。たとえ、どのようなものであれ、それは、背負うしかない。  自分でよい。  肉が、澄んでいた。  その肉の中心を、光る光芒の柱の如きものが貫いて、天と地に繋がっている。 「始め!」  の声に、四郎は両手を前に出し、浅く腰を落とした。  それに合わせるように、東恩納寛量も腰を落とした。  つ、  つ、  つ、  と、寛量が、重心を左右にゆらめかせながら、前に出てきた。  ゆらいでいるのに、軸のぶれがない。  四郎は、退がらなかった。  前に出た。  ふっ、  と、寛量の姿が霞んだと見えた。  次の瞬間、四郎の腹のあたりで、何かが爆発した。  凄まじい衝撃であった。  寛量の蹴りを、正面から腹に受けたのだとわかった。  蹴られたその瞬間に、蹴られたその場所——腹が消失していた。  こらえようとしたが、こらえられない。  これまでに味わったことのないもの。  こらえようにも、こらえようとするその腹がないのである。痛みがない。腹が存在しないから、その腹の痛みを感知しようがない。  自分が、足と、手と、頭だけの存在になってしまったようであった。  もしも、寛量の襟を掴んでいなかったら、飛ばされていたところだ。  身体が、ゆらいだ。  立っていられない。  もしも、この消失感さえなければ、襟を取ったその瞬間に投げに入っているところだがそれができなかった。  四郎が、そこに倒れなかったのは、わずかに遅れて、痛みが襲ってきたからだ。  内臓を、直接鷲掴みにされ、ねじ切られるような痛み。  痛みなら、こらえられる。  痛みによって、四郎は、自分の肉の場所を認知することができた。  蹴られ、一気に吐き出させられていた空気を、四郎は音をたてて吸い込み、投げにいこうとした。  しかし、投げられない。  寛量の重心が、すうっと向こうへ逃げてしまったからだ。  まるで、治五郎と組んだ時のような感触であった。  この体捌《たいさば》き、天性のものに加えて、柔術を学んだような動きであった。  そうか——  惣角が、沖縄で、彼等に柔を教えていたということを、四郎は思い出していた。  四郎が、すでに手《ティー》について学んでいるように、東恩納寛量も、柔について知っているのである。  ならば——  四郎は、寛量を押さずに、自らの動きだけで、寛量の重心の下に入った。真下に入る必要はない。自分の腰も、相手より下げる必要はない。もともと小兵の四郎の重心——腰は、相手の腰より下にあるのである。  寛量の重心を腰に乗せ、右足の指で、寛量の右脚の脛《すね》を掴む。 「りゃっ」  掴んだ脛を掬いあげる。  寛量の身体を逆さにして、頭から畳の上に落とす。  山嵐。  この技を、以前、安徳に掛けた時、安徳は、左手の指で、四郎の右耳の穴を抉っていった。  安徳ができたということは、この寛量も間違いなくそれができるということだ。  それをさせない。  投げる時に、四郎は、寛量の左袖の肘のあたりを一瞬つかんでいる。これで、寛量は、四郎の耳を突くことはできなくなるはずであった。  だあん、  音をたてて、寛量の身体が、畳の上に落ちて、はずんだ。  しかし、寛量と一緒にはずんだものがあった。  それは、畳であった。  寛量が、起きあがる。  山嵐が、充分ではなかったのだ。  起きあがってくる寛量に、四郎が飛びかかろうとした時—— 「待て待て待て——」  久富鉄太郎が、ふたりを分けた。  舞いあがってはずれた畳を、再びもとの場所に嵌めなおすためである。  それを待ちながら、四郎は、今起こったことについて考えていた。  何が起こったかは、理解していた。  四郎は、受け身が取れぬよう、頭から投げたのだが、それでも、東恩納寛量は受け身を取っていたのである。頭頂部が畳にぶつかる寸前、右の拳で、寛量はおもいきり畳を打っていたのである。その突きの衝撃で、畳とぶつかる衝撃を半減させたのである。  その勢いで、畳がはずれ、舞ったのであった。  四郎は、畳が嵌められるのを待っている時、腹の激痛をこらえていた。腹の中で、はらわたを、獣に齧られているようであった。  さきほど、寛量に蹴られた腹が、今、本格的に痛み出してきたのである。  四郎は、突然に吐き気を覚え、たまらずに畳の上に吐いていた。  げえええ——  げえええ——  二度吐いた。  畳を入れ終えた係の者が、慌ててまたやってきて、雑巾《ぞうきん》で、四郎が吐いたものを処理していった。 「だいじょうぶか」  久富鉄太郎が、四郎に声をかけてきた。 「はい」  四郎は言った。  また、四郎は寛量と向き合った。  吐いてよかった。  気持ち悪さはなくなっていた。  ただ、激痛はまだ残っている。 「始め!」  久富鉄太郎が言った。  東恩納寛量は、開いた掌《て》を、前後に伸ばし、腰を落とした。  その時、四郎は見ていた。  東恩納寛量の右掌の甲を——  甲の肉を突き破って、中指骨《ちゅうしこつ》が一本、外へ突き出ていたのである。 「気になりますか——」  東恩納寛量は、左手を右手の甲にあて、 「むん……」  とび出た中指骨を、肉の中に押し込んだ。  激痛が走ったはずだが、東恩納寛量は、顔色も変えなかった。唇の間から、喰い縛った白い歯を、わずかに見せただけであった。  再び、東恩納寛量は構えた。  四郎は、どうとも答えなかった。  気になると言えば気になる。気にならないと言えば、気にならない。東恩納寛量が、立って向ってくる以上、本気で相手をする以外にない。自分がもし逆の立場であったら、どこを怪我していようが、それを理由に手を抜いて欲しくない。それは、東恩納寛量も充分わかっていよう。  向き合う。  心をさぐる。  見えない。  東恩納寛量が、どのようなことをしようとしているのか、その�意�をさぐろうとしたのだが、それが見えなかった。まるで意志なき石の如くに、東恩納寛量は、そこに立っているだけである。  まだ、合気は使えない。  それでいい、五分と五分だ。  見れば、骨は、わずかに引っ込んだだけで、まだ手の甲に顔を覗かせている。  ここで、新しい局面が生まれた。  東恩納寛量が、その右拳《みぎこぶし》を使えなくなったという局面である。あの拳では、人の肉体は叩けない。その分、東恩納寛量の攻撃の幅がせばまったことになる。  だが——  これで、有利になったと思うな——四郎は、冷静に思考している。  東恩納寛量は、こちらのそういう思考を計算して、攻撃を組み立ててくるかもしれない。しかし、怯えすぎて、使えない右拳に意識を向けすぎてもいけない。ああ、このような思考をすることが、そもそも、意識を向けていることの証拠ではないのか。いや、そもそも、こちらの脳によけいな思考を生じさせるため、あのように、中指骨を押さえてみせただけなのかもしれない。  考えすぎるな。  闘うことの中から、判断してゆけばよいことだ。  つうっ、  と四郎が前に出る。  つうっ、  と東恩納寛量が前に出る。  蹴りの間合いだ。  四郎が、蹴りに意識を向けた時——  つうっ、  と、東恩納寛量が、さらに前に出てきた。  いっきに組む間合いとなり、拳の間合となった。  四郎が、組みにいこうとしたその瞬間——東恩納寛量の視線が、ふっ、と動いて四郎の腹のあたりを見た。ぴくりと、東恩納寛量の膝が動いた。  膝蹴り!  東恩納寛量の膝が、四郎の腹に向かって、今まさに突きあげられようとしていた——  四郎は、そう思った。  初めて、東恩納寛量が、その�意�を見せたのだ。しかも、視線で腹を攻撃するぞと誘った。  危うく反応しかけた肉の動きを、四郎は途中でやめていた。  新垣世璋が、�意�を操って、惣角の動きを誘おうとしたことを思い出したからである。  四郎は、順序だててそれを思い出し、動きを止めたのではない。瞬間的な思考だ。本能と言ってもいい。後から思い出せば、そのような心の動きがあったかもしれぬと言えるだけで、闘っているその最中にあっては、それは、本能と呼ぶ方が適当であろう。本能によって、四郎は動きを止めたのである。  止めたその瞬間——四郎の右頬に、何かが飛んできた。東恩納寛量の左拳であった。  あの時——会津で梟と闘った時、梟が放ってきた技だ。  首を横に振って、それをかわした。  袖と襟を取りにゆく。  次の瞬間、ぞくりと冷たいものが、四郎の背を疾り抜けた。  左側から、四郎の頭部目がけて、ぶつかってくるものがあった。東恩納寛量の、右拳だ。  馬鹿な。  壊れている右拳で、人の頭部を叩くつもりか。そんなことをしたら、拳が使いものにならなくなる。  一瞬の判断で、四郎は頭を前に出した。  額で、東恩納寛量の右拳を受けるつもりだった。  額ならば、人の頭部で一番硬い場所だ。しかも、前に出した分打撃点がずれる。打撃点がずれれば、拳は効かない。しかも、壊れている拳だ。当れば東恩納寛量の拳が、さらに壊れるだけである。  東恩納寛量の襟に指先が触れた瞬間、左の側頭部を襲ってきたものがあった。拳ではなかった。東恩納寛量の右拳は引くようにたたまれて、かわりに頭部を襲ってきたのは、右肘であった。  出した頭部を引こうとしたが、間に合わなかった。  ざくり、  と、東恩納寛量の右肘が、四郎の額を、左から右へ抉《えぐ》っていった。  切れた。  ぱくりと額が割れて、その裂け目に、白い骨膜《こつまく》が覗いた。その白い骨膜が、たちまち裂け目にふくらんできた血で埋もれて見えなくなった。もしも見えていたら、ここで試合を中断されていたろう。  四郎は、後方に跳んで、両膝を畳に突いた。  四郎を追って踏み込んできた東恩納寛量が、足を止めた。四郎が、御式内のかたちに入っていたからである。 「待っていた……」  東恩納寛量が、つぶやいた。  ひと呼吸、ふた呼吸で、四郎は息を整えていた。  切れた額の傷口から流れ出た血が、四郎の左眼に入り込む。血が眼に入ると、視界が悪くなる。いったん入った血は、いくらぬぐっても、涙で洗い流そうとしても、完全にとれることはない。血の中に入っている脂《あぶら》が、眼球の表面を覆ってしまうからだ。カメラのレンズに溶けたバターを塗ったのと同様に、いくら布で拭きとろうとしても、表面に油膜が残ってしまう。  しかし、これで済んでよかった。  前へ出しかけた頭部を止めて引いていなければ、東恩納寛量の肘に、まともに|顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》を打たれていたに違いない。打たれていたら、今、自分は畳の上に横たわっていたろう。  東恩納寛量は、動きを止めているように見える。  四郎もまた、動きを止めているように見えた。  しかし、実は、どちらも動きを止めているわけではなかった。  じりっ、  じりっ、  と、ふたりの身体は近づきつつあった。  畳の目ひとつずつ、足の指先で床を掻きながら、東恩納寛量は前に出ているのである。四郎もまた、畳の目ひとつずつ、膝で前ににじり寄っているのである。  安徳との闘いが役に立っている。  どの距離で、どういう攻撃があるか、四郎は体感している。今ならば、それに対処できるであろう。  今は、心に迷いはない。  正面から蹴りが来たら、仰向けに倒れながら、右足を前に出し、足の指で東恩納寛量が穿いているものの裾を掴む。  そして、倒す——  微妙な間合になった。  すでに、東恩納寛量は、蹴りを出せる。正面から中足《ちゅうそく》で、四郎の顔を蹴ることができる。  とん、  と、東恩納寛量が、右足を前に踏み出してきた。  来る。  左足だ。  四郎の思った通り、左足が宙に浮いた。  しかし——  浮いたその左足が、途中で消えていた。  横へ。  東恩納寛量の左足は、正面からぶつかってはこなかった。東恩納寛量の左足は、宙で消え、消えたと思った次の瞬間、くるりと反転して、真横から四郎の|顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》を襲ってきたのである。  思ってもみない攻撃であった。真横から人を蹴る——このような方法があったのか。  四郎は、顔と上体をのけぞらせて、これをかわした。  上体を起こしながら、顔をもどす。  しかし、もどってゆくその顔に向かって、さらにぶつかってくるものがあった。  踵《かかと》だ。  しかも、右足の踵であった。  空振りした左足の速度を殺さずに、その勢いを利用して身体を回転させ、いったん地に左足を突いて、東恩納寛量は四郎に背を向け、次に右足を跳ねあげてきたのだ。四郎に背を見せながら、東恩納寛量は、右足の踵を、顔に当てに来たのである。  起こしかけた上体を止めた。  四郎の顔のすぐ上——動きを止めなければ、四郎の頭部があったはずの場所を、東恩納寛量の右足の踵が、鼻先の空気を裂いて通過した。  一瞬、空気の焼け焦げたような幻臭《げんしゅう》を、四郎は嗅いだ。  相手の襟や裾を取っているゆとりはなかった。  四郎が上体をもとの位置にもどすのと、次の攻撃が始まるのと、ほぼ同時であった。  東恩納寛量が、左足を、跳ねあげてきた。  また、顔だ。  これは、見切った。  鼻先ぎりぎりで、四郎はこれをかわした。  鼻先の生毛《うぶげ》をこすりあげるようにして、東恩納寛量の左足が、青い天に向かって駆け昇ってゆく。  今だ。  これは、読んでいた分、動くことができた。  東恩納寛量の軸足——右足を取りにゆくことができる。  それを取りにゆこうとしたその時、しゅん、という大気を裂く音が耳に入った。四郎が、その時首を左に傾けたのは、もう、本能と言うしかない。  天へ向かって駆け抜けたはずの、東恩納寛量の左足が、真上から四郎の頭部目がけて落ちてきたのである。四郎の頭の上で、東恩納寛量は左膝を曲げて、踵を四郎の頭に当てにきたのである。  こんな技を持っていたのか!?  四郎は驚いた。  感動すら味わっていた。  なんという凄い漢か、東恩納寛量。  四郎の右肩を、東恩納寛量の左足の踵が打った。  いやな音がした。  頸の肉を伝わって、骨の砕ける音が耳に届いてきた。 「しゃああっ!!」  四郎は、右肩にぶつかった東恩納寛量の左足を両腕で抱えた。右肩に激痛が走る。肩の骨に、どんなに軽くても罅《ひび》が入っていることは確かであった。  しかし、ここで躊躇して、せっかくの東恩納寛量を捕える機会を逸したら、自分はますます不利な闘いを強いられることになる。  立ちあがりながら、捕えた東恩納寛量の左足を抱えたまま、四郎は、左足で、寛量の右足を刈りにいった。  刈れなかった。  東恩納寛量は、刈られる前に、右足で跳んで、その足で、四郎の頭部を蹴りにきたのである。  四郎は、それをかわした。  かわすかわりに、せっかく捕った東恩納寛量の左足を放すこととなってしまった。  また、四郎は立ち、東恩納寛量と向きあうこととなった。 「ひゅうう……」  東恩納寛量が、唇を尖らせ、笛のような音をたてた。 「むう」  それを、四郎は、呼気で受けた。  そこからが、真の闘いの始まりであった。 (三)  音楽が始まった。  弦が鳴っている。  ヴィオロンの高音が、天空の光の中に満ちている。その音と光の中で、四郎も一緒に鳴っている。鳴り響いている。  四郎は、一本の弦であった。  寛量もまた、一本の弦であった。  四郎が鳴ると、寛量も鳴る。  寛量が響くと、四郎も響く。  ひとつが鳴ると、もう一方が鳴って共鳴する。  ひとつが響くと、もう一方が響いて共鳴する。  いや、もしかすると、ふたりは別々の二本の弦ではなく、一本の弦として鳴り響いているのかもしれない。  疲れも、痛みも、いつの間にかどこかへ行ってしまった。  ただ、海のように青いものの上に浮遊している。  その海のようなものが、温かい。  もしかすると、その温度が、痛みであり疲れであるのかもしれない。  肉体は、どこにいるのか。  心は、どこにあるのか。  ただ、共鳴して、響きあっている自分たちがいる。  青い天の中に、光の柱があって、その中で音が、きらきらときらめきながらからみあっている。もつれあっている。攻めあっている。叩きあっている。  自分は今、どういう境地にあるのか。  自分という存在が、音となって、肉体から抜け出てしまったようであった。  肉体は!?  心は!?  それは、今、どちらも血みどろで、激しい息遣いが、そのふたつの肉体を支配している。  しかし、四郎には、それが見えていない。  お互いの肉体を、楽器のように奏であっている。  指先が触れるたびに、音が生まれ、打つたびに響き、叩くたびに共鳴しあう。  ねじり、曲げる。  新しい音が生まれる。  なんという心地よい楽の音《ね》であろうか。  しかも、自分はその楽器を壊そうとしているというのに、なんといい音でそれは響くのであろうか。  指揮者はいない。  指揮者がいるとすれば、それは自分である。  ぽっ、  ぽっ、  と、肉に温度が点《とも》る。  それが、地上から届いてくる。  肉の温度が、地上のどこかから、この天上の光の中まで届いてくる。  ぽっ、  ぽっ、  と、さらに温度が肉の裡《うち》に点って、それが、地上からの重力を届けてくる。  あんなに美しく鳴り響いていた音楽が、重い、不快な不協和音を奏ではじめ——どうやら、自分は、落下してゆくようであった。  落ちる。  落ちた場所は、肉体であった。 (四)  身体中の骨が、軋んでいる。  肉が、皮の内側で潰れて、ずくずくになって、身体が血袋と化してしまったようであった。  あちこちの骨が、いってしまっている。  肋が二本。  頬骨。  右肩の骨。  右の二の腕。  肉は、そこら中だ。  内臓も、ひとつふたつは腫れあがっている。  肉の中に、幾つもの熾火《おきび》が点っているようだ。  歯は、二本。  額に、骨膜までの傷。  左|瞼《まぶた》も切れている。  いったい、どれだけ闘っていたのか。  記憶が曖昧だ。  なんだか、ひどくいい場所にいたような気もしている。  気がついたら、まだ闘っている最中だった。  身体が重く、動かない。  動かないと、やられてしまう。  そうか、それで、どこからか自分は引きもどされたのか。もう、自分が支えねば、肉体は動けないからであろう。  そう思う。  どうやら、二本の脚だけは無事らしい。  だから、立っていられるのだ。  しかし、ぎりぎりで立っているというのなら、寛量だって同じだ。  右拳の甲から、折れた中指骨が覗いている。  さっき、投げて肩から落としたら、寛量の右の鎖骨が折れて曲がった。  残念ながら、自分が上から被さる前に、寛量は立ちあがってしまったが、それがかなり効いているはずだ。  その後、もうひとつ機会があった。  寛量を投げざまに、右腕を取った。腕がらみにいったところで、右頬を、寛量が左拳で打ってきた。それで放してしまったが、靭帯のちぎれるばりばりという音が、確かに手に届いてきたのは覚えている。  どっちもどっちだ。  四郎の額の血は、乾きかけてどろどろになっている。  人に見せられるような姿ではない。  かろうじて、ふたりが動いているから、試合を中断されずにいるが、もしも、動きを止めたら、たちまち試合を止められてしまうだろう。  こっちから見る風景も、むこうから見る風景も、あまり変りはないだろう。  ただ、悪い風景じゃないな。  寛量の、血にまみれた顔が、神々しく見える。美しい。  何故、闘うのかな。  何故、こんなことを続けているのかな。  寛量よ、おまえのその神々しい顔を見るためか。  おまえから、こっちはどんな風に見えているのか。おれから見るおまえのように、おまえから見るおれが見えていればいいな。  何故、闘っているのだろう。  何故、こんなことをしているのだろう。  どうせ、いつかは、この身体は動かなくなる。どうせ、いつか、自分より若い者に自分が負ける日が来る。  その時が来たらどうするのだろう。  そんなことを考えたことがあるか。  たぶん、あるのだろう。  ただ独りだけが立つことのできる場所が、どこかに。  立てば、その時に、その場所がそうだとわかるのか。わかったとしたって、それがどうなんだろう。いずれ、誰かがその場所に、とってかわって立つことになる。  そんな場所に立つことをあきらめて、他のことをしたっていいんだよな。他のことを考えたって、いいんだよな。しかし、他に何がある?  他のことをしたって、他の何かを目指したって、結局、そこで、今、ここで直面しているのと同じことに直面するだけなんだろう。  それならば、この場所にいたって、いいのではないか。  ここで目指したっていいのではないか。  なあ、寛量よ、おまえ、そんなことを考えたりしないのか。  ちょっと、休もうか、寛量よ。  ちょっとでいい。ちょっとだけ休んで、おまえの考えを聴かせてくれないか。骨を叩いたり、挫いたりするこの続きは、その後また始めればいいではないか。  教えてくれ、寛量よ。  なあ、寛量よ…… (五)  来た。  足だ。  待っていた足だ。  蹴りにきた足を、四郎は、右脇に抱え、自ら仰向けに畳の上に倒れた。  一緒に仰向けになった寛量の左足の踵を、右腕の肘の内側に引っかけて、捩る。  蹄挫《ひづめくじ》き——  寛量の左膝の中で、靭帯がぶちぶちと千切れてゆく。  寛量の右足が持ちあがり、その踵が、四郎の右腕に打ち下ろされた。  一撃。  二撃。  三撃目で、寛量の左足を放した。  折れた右肩の骨が、寛量の左足を攻める負荷と、右腕に打ち下ろされる寛量の右足が与えてくる負荷に耐えられなかったからだ。  先に、寛量が立ちあがる。  四郎は、寛量を追って立ちあがろうとした。  寛量が、前につんのめるようにして、足を踏み出してくる。膝の靭帯を破壊された左足の踏んばりがきかない。寛量がよろめいた。軸が揺らいでいる。  蹴りは、ない。  拳だ。  拳ならば、無事な左——ではなかった。  四郎の頭部を襲ってきたのは、中指骨の折れている右の拳であった。  打たれた。 (六)  自分は、肉体の中にいるのだろうか。  肉体が、自分の中にいるのだろうか。  感覚があやふやだ。  さっき、顔にぶつかってきたもので、意識が身体の外にはじき出されてしまったのか。まさか、中指骨の折れている右拳を使ってくるなんて。  歩こうとしても、歩けない。顔に何かが触れている。壁のようなそれが前に立ち塞がっていて、前に進めないのである。  いいや、これは、壁ではないぞ。  何だ!?  畳だ。  誰が畳をこんなところに立てたんだ。  いや、そうじゃない。  自分は倒れてるのか。  起きよう。  横へ、ごろりと動く。  どん、と上から何かが落ちてきた。右足だ。足が、さっきまで四郎の頭があったはずの畳のその場所を踏みつけたのだ。左膝の靭帯がいってしまっているため、力も速度も半減している。だから助かったのだ。  危ない。  起きなくては——  しかし、起きると言っても、どっちが上なのか。どっちが畳なのか。畳に手を突いて起きるだけのことなのだが、それができない。上下がわからなくなっている。  それに、もう、起きたくない。起きあがりたくない。  このまま、眠ってしまおうか。 「なんだよう、もう寝るんか、四郎よう」  円太郎が、そこに立ってこちらを見ている。 「うん」  何だか、ひどく眠かった。  寝たい。  ここに、楽々と仰向けになって、大きく伸びをしたいと思ってるのに、そうしようとすると、身体に何かがぶつかってくるのである。  それをよけたり、手ではらいのけたりしていると、眠っていられないのである。 「悳武《のりたけ》、悳武……」  誰かが呼んでいる。  優しい声だ。  女の声であった。 「悳武……」  悳武って、誰だ。  おれのことか。  違うぞ、おれの名前は四郎だ。  あ、またあの夢か。  夢の中で、幼ない自分は、誰かに預けられ、抱かれて運ばれてゆくのだ。  しかし、いつもと違う。  これまでは、夢の中で、名前なんか呼ばれなかった。しかも、女の声でなど——  どこから聴こえてくるのか。  優しく、温かい、そして、なつかしい声—— (七)  ゆらりと、四郎は起きあがる。  何かを捜すように、頭をめぐらせ、何かに耳を澄ませるように、遠い眼つきになっている。  その前に、東恩納寛量が立った。  右の拳からは、二本の骨が、甲の肉を突き破って出ている。  さっき、こうなるのを承知で使ってしまった右だ。だからこそ当たったのだが、だからこそ、致命的なものにならずにすんだのだ。  久富鉄太郎が、右手を半分あげかけている。  いつでも、 �一本�  一方の勝ちを宣言することができるように。 �それまで�  いつでも試合を止めることができるように。  久富鉄太郎の手が、迷って宙でゆらいでいる。 「しゃあっ!!」  裂帛の気合の声と共に、寛量が左の拳を突き出してきた。  それを、よけようとしたのか、あるいは単に身体がゆらいだだけなのか——四郎の身体が、左へ動く。  それでも、寛量の拳は、四郎の頬を打ち抜いていた。  すとん、  と、四郎の腰が落ちる。  しかし、畳の上までではない。落ちかけて、腰は途中で止まっていた。  すうっと、突き出された拳の下に四郎の身体が潜り込む。  手が、奥襟に伸びる。  山嵐!?  それを、避けるように、東恩納寛量は体《たい》を入れかえようとした。  その動きに、合わせるかのように、すうっ、と四郎の身体が変化をした。  右手ではなく、左手が、東恩納寛量の襟を掴んでいた。  疾《はや》い、という動きではない。  むしろ、ゆっくりした動きのように見えた。  右肩が、壊れている。  右手を使う山嵐は、掛けることができないはずであった。  しかし、四郎の体《たい》が、いつもとは逆むきになっていた。  まるで、柔らかな風のように、四郎の身体が東恩納寛量の懐に入った。  逃げられない。 「む」  こらえようとした時には、もう、寛量の身体は、風に吹かれた羽毛のように、軽々と大気の中に浮きあがっていた。  四郎の左の蛸足の長い指が、寛量の脛を掴んでいた。  くるりと身体が回って、逆さになった寛量の身体が、脳天から畳の上に叩きつけられていた。 (八)  四郎は、まだ、その声の主《ぬし》を捜していた。  いったい、どこにいるのか。  その女は誰なのか。 「悳武……」  その声が震えていた。 「強く生きるのですよ」  声は、泣いているようであった。 「人がゆく道は、良いことばかりがあるわけではありません。また、悪いことばかりがあるのでもありません。時には、良きことが人を悪しくし、悪きことが人を良くもいたします。このようなことを言っても、今のおまえには、何もわからぬでしょう。それでも言うておきます。おまえは、これから先多くの苦しみに出会うでしょう。わたくしの心残りは、その時、おまえの傍《そば》にいてやれぬことです。強く生きるのですよ。強く生きるのですよ。それが、この母の望みじゃ……」  ああ、これか。  これだったのだ。  あの夢は、いつも何か足りなかった。自分は、あの夢の中で、ずっとその足りぬものを捜していたのだ。  それは、これだったのだ。  わかった。  これだったのだ。  四郎は微笑した。 (九) 「いっ……」 �一本�  と、右手をあげかけて、久富鉄太郎がそれをやめたのは、倒れたはずの東恩納寛量が、むくり、と身を起こしたからであった。  場内が、どよめいた。 「もうよい」 「やめさせよ」  そういう叫び声があがっている。  久富鉄太郎は、救いを求めるように、最前席に座している三島通庸に視線を送った。 �まだだ�  その眼が言っていた。  久富鉄太郎が迷っているうちに、寛量が起きあがり、立ちあがった。  その眼は、すでに裏返っていて、何も見てはいなかった。  意識は、その肉体の中にいない。  それでも、寛量は、一歩、二歩と、四郎に近づいてゆく。  四郎は、動かない。  ただ、両手をだらりと下げて、どこか遠くへその視線を向けている。  東恩納寛量が、正面に立った時にも、四郎は動かなかった。  四郎は、微笑していた。  その前に立ち、寛量は、左拳を脇に構えた。  四郎は、まったく無防備だ。  赤ん坊のように無垢な表情をしていた。  寛量が、浅く腰を落とす。  まさに、その拳が放たれようとしたその時、ふっ、と寛量の中に張りつめていたものが緩んだ。拳は、放たれなかった。  一歩——  二歩——  退がって、東恩納寛量は、そこに膝を突き、正座をした。  両手を畳につき、 「………」  四郎に向かって、無言で頭を下げた。 「それまでっ!」  久富鉄太郎が叫んだ。 「それまで、それまで!!」  久富鉄太郎が、その言葉を繰り返した。  一本——とは言わなかった。どちらが勝者で、どちらが敗者かも口にしなかった。 「それまでじゃ」  しかし、四郎は動かない。  動かぬまま、そこに突っ立っている。  東恩納寛量も、畳に突いた両手の上に額を乗せたまま動かない。  その時、観客席から立ちあがった者がいた。  講道館流、嘉納治五郎であった。  治五郎は、ゆっくり歩いてくると、黙って寛量の前に正座をし、畳に両手を突いて、深々と寛量に向かって頭を下げていた。  東恩納寛量は、それでも、動かなかった。  寛量は、頭を下げたまま、気を失っていたのである。 「保科君——」  久富鉄太郎は、四郎の前に立って、声をかけた。 「よい試合じゃった……」  そう言って、久富鉄太郎が四郎の肩に手で触れたその瞬間——  その手を、いきなり四郎によってとられていた。 「ちえええええええっ!!」  四郎が、久富鉄太郎を、山嵐でおもいきり投げたのである。 「む……」  それまで、黙って頭を下げていた治五郎が動いたのは、まだ、久富鉄太郎の身体が宙にある時であった。  落ちてくる久富の身体と畳との間に、治五郎は自らの身体を投げ出して、畳に叩きつけられてくる久富の身体を支えたのであった。 「きえええええええっ!!」  四郎は、治五郎の上に落ちた久富鉄太郎を、真上から踏みにいった。  治五郎は、下から久富の身体を抱え、二人一緒に横に転がった。  だん!  と、四郎の足が、畳を踏んでいた。それまでふたりの頭があった場所だ。  治五郎は立ちあがり、さらに久富を踏みつけようとした四郎の身体を、手で制した。 「待て、待て、保科——」  しかし、四郎は動くのをやめなかった。  今度は、治五郎に、肘を当てようとしてきた。  それを、治五郎は、よけなかった。  頬で受けた。  がつん、  という、凄まじい音がした。  それで、四郎の動きが止まった。  四郎の双眸に、光がもどってきた。  そこで、四郎はようやく、眼の前に立つ人間に気づいたようであった。 「せ、先生……」  四郎はつぶやいた。 「よい試合であった……」  治五郎は言った。 「あの方のおかげだ。あの方に礼を言いなさい」  治五郎が視線で示した先に、東恩納寛量が座し、畳に両手を突いて頭を下げたままの姿で動かないでいる。  四郎は、その前に座し、同様に畳に両手を突いて、深々と頭を下げていた。 [#改ページ]  二十一章 祭 (一)  勝負には、様々の、ほとんど無限と言っていい機微がある。  その機微によってもたらされる勝敗にも、様々な結着がある。野試合や、喧嘩、あるいは戦場での闘いは、その結着すらない場合もある。  試合という形式によって勝負がなされた場合、ほとんどの闘いには、結着がつく。  何故か。  ルール——試合規則があるからである。  現代の競技の場合、試合の勝敗を決めるのは、人ではなく、審判でもなく、実はルールなのである。しかし、その試合規則がある場合でも、応々にして、納得し難《がた》い結着を生むことがあったりする。  一方が勝ち、一方が負ける。  これに対して、引き分け、という結着もある。  さらに言うならば、勝負無し、ということもある。  勝負無し——というのは、勝者も敗者もいない結着である。引き分けとも明らかに違う。引き分けというのは、ひとつの結着であり、結論でもある。  勝負無し、というのは、今日の感覚ではノーコンテストというものに近いであろうか。  しかし、ノーコンテストというものと勝負無しというのは、少し違っている。ノーコンテストというのは、試合自体が成立しなかった時に、そう言われることが多いからだ。  しかし、保科四郎と東恩納寛量の試合は、試合そのものは成立しているのだ。  厳密に言えば、ふたりの試合は、勝負無し、というのともどこか違っている。  立っているだけの四郎に対し、退がって座し、頭を下げた東恩納寛量の勝ちではないかと、試合後、言った者がいた。  それに対し、いや、あれは東恩納寛量が、あれ以上保科四郎を攻めることができず、自分の負けを認めて頭を下げたものだと、言った者もいた。 「いや、そうではない」 「何故、そうでないとわかる?」  そもそも、東恩納寛量は、あの時、攻めれば勝てたのだ。保科は突っ立っているだけで、何もできなかった。その時、東恩納寛量が打っていれば保科は死んでいたかもしれない。それで、東恩納寛量は打つのをやめたのじゃ——  いやいや、保科は、まだいくらでも反撃できた。それが証拠に、肩に手を掛けてきた久富鉄太郎師範を投げ飛ばしていたではないか。東恩納寛量が攻めていれば、久富師範と同じ目に合っていたろう——  頭を下げた時、東恩納寛量は、何か言うたのではないか。あの時、まいりました、とそう言うていたのではないか——  それならば、近くにいた久富先生にお訊ねすればよいではないか——  そうじゃ、訊ねればわかる。  訊ねたが、それは何も言わなんだ。  何と言うた。 「それぞれが、見た通りのものじゃ」  久富鉄太郎はそう言った。  結着名は、久富が思わず叫んだ、 �それまで——�  ということになった。  当事者である保科四郎も、東恩納寛量も、そして嘉納治五郎も、勝敗に関しては、一切自分からは発言せず、無言を守った。  そして、次の試合——横山作次郎対中村半助の闘いが始まったのである。 (二)  試合開始——  山が、そびえていた。  裾が、広びろとひろがる巨大な山であった。  頂は、突兀《とっこつ》たる岩陵に囲まれた岩である。  横山作次郎は、その山の前に立っている。  風が吹いている。  いい風景だ。  横山の唇に笑みが浮いている。そこに、白い歯が覗いている。  山の名は、中村半助といった。  悠然として、半助は立っている。  なんという、みごとな立ち姿であろうか。  ただ立つ、それだけのことで、周囲の風景を自然に従えてしまう。  惚れぼれとするようなたたずまいであった。  頸《くび》太く、眼も、視線も太い。  山がただ野の風に吹かれているように、半助は畳という地平の向こうにそびえている。  その姿を眺めているだけで、横山の体内にむりむりと力が膨れあがってくる。力が膨らんで、肉まで膨らみ、気魂までが膨らんでくる。 「よい眺めじゃ……」  嬉しそうに、横山はつぶやいた。  唇の端が、さらに吊りあがる。  試合開始一日前——  半助は、警視庁の三島通庸を訪ねている。 「明日は、試合じゃというのに、どうしたのじゃ——」  総監室の、大きな机の向こうに座って、三島は言った。 「試合が終ってからと思うておりましたが、今日の方がよかろうと思いまして、お時間ばとらせていただきました」  紋付に袴、正装姿で半助は言った。 「今日?」 「御礼ば、言いに来たとです」 「礼?」 「俺《おい》のような者ば、ここまでお引きたていただいたこと、言葉にならぬほど感謝しております」 「何のことじゃ」 「俺《おい》は——」  そう言ってから、半助はあわてたように言葉を切り、 「失礼いたしました。私は——」  言いなおした。 「おいでよか。ふたりきりじゃ。何でん気にせんで言えばよか——」 「私は、今年で、四十三歳になりました——」 「ほう」 「九州では、何をやっても身を立てることができず、妻まで、私の我儘《わがまま》で死なせてしまいました。あのまま、九州の地で朽ち果てる身と覚悟もしておりました……」 「———」 「それを、このような名誉ある役につけていただき、今度《こたび》は、昨年に続いて警視庁武術試合の出場ということまでおおせつかりました……」 「おんしの力じゃ。おんしの持っとる徳《とく》あってのことじゃ。おんしの精進があったからぞ——」 「いえ。わたしの持っているものなど、たかが知れております。わたしをここまで導いてくれた、下坂才蔵先生、上原庄吾師範、死んだ妻のおふじ、佐村正明師範、その他多くの方々のお力あっての私と承知しております」 「それで?」 「明日の試合が、勝っても負けても、私の最後の試合になるであろうと思っております」 「何を言う、半助。まだまだやれるわい」 「総監、実を言えば、昨年の佐村師範との闘いで、私はもう自分の身体が絞り尽くされたかと思いました。正直に言えば、あの後、もう、試合は二度とできぬと思うておりました」 「———」 「今度《こたび》、再び試合の場に出させていただけたのは、ひとえに、相手があの横山作次郎であったからです」 「ほう」 「昨年の、照島との闘いを見て、これほどの漢がいたのかと思いました。あのような人物を育てることのできる、嘉納流に驚嘆いたしました」 「うむ」  三島も、半助の言うことは、よくわかっている。  三島自身もまた、嘉納流と、そして嘉納治五郎という人物に興味を持っている。さらに言えば、それは自分だけではない。前学習院院長の谷干城《たにたてき》も、現在の院長大鳥圭介も、そして、あの勝安芳も、治五郎に興味を抱いている。 「いずれ、柔術は、嘉納流にとってかわられる日が来ると、私は思っております」  三島はうなずかなかった。  三島自身も、同じ考えを抱いていたが、だからといって、今、ここでうなずくわけにはいかない。 「その嘉納流と、あの横山という漢の身体に、この中村半助という人間と、良移心頭流ば刻みつけておかねばと思うたのです——」  三島は、この時、あやうくその眼から涙を溢れさせそうになった。  中村半助の考えていることが、わかったからである。  半助は、滅ぶと言っているのだ。  良移心頭流という古流柔術が。  良移心頭流——すでに、あらたにこれを学ぼうとする若者は少ない。柔術であれ、何であれ、それは人が人に伝えてゆくものだ。その伝えてゆくべき人間がいなくなっては、それは伝えられない。  半助は、自分の生命にかけて、明日、それを伝えようとしているのである。 「俺《おい》は、無学にして、世界のことも、政治のことも、ようわからんとです。ただひとつわかるのは、柔術のことだけです。明日、あの漢と闘う——それだけを支えに精進して、ここまでやってまいりました。これまでの、どの時よりも、今、身体も心もできあがっております」 「———」 「ただ、明日の試合の後のことは、何もわからんとです。生きているか、死んでいるか。勝って、生きていたとしても、口がきけるかどうか。腸《はらわた》から何から、根こそぎみんな、明日ひり出すつもりでおるとです。だけん、今、三島先生に、御礼ば言うておかねばと思い、こうしてやってきたとです……」  試合開始一分十二秒——  山が、動いた。  地平線の向こうから、ゆっくりと、静かに山が近づいてくる。  ほとんど音もたてていないはずなのに、その一歩ずつに、低い地響きが聴こえてくるようであった。  長い時間、互いに自分から見える風景を見合ってしまった。  緊張のあまり動けなかったのではない。  風景を楽しんでいたのである。  横山は、近づいてくる山の動きを、うっとりと眺めている。  美しい。  大きい。  あやうく、自分が動くのを忘れてしまうところであった。本当は、もっと、眺めていたかった。いつまで見ていても、見飽きるということはないだろう。  これは、何かに似ているな。  そうだ。  ずっと前に、どこかで見た古信楽《こしがらき》の壺だ。  あの、古い土の地肌に灰釉《はいゆう》の色が流れたどうというかたちでないかたちの壺。あれを眺めて見飽きなかった。それと似ているのだ。しかも、この壺は動いている。  戦略は、ない。  何も考えてはいない。  ただ、己れの肉体を最上の状態にしておくこと——考えたのはそれだけだ。それは、なされた。  その肉体の中に入って、今、おれは待っている。  山が近づいてくるのを。  間合に入っていた。  そこで、半助は足を止めた。 「組もう、横山くん」  山が言った。 「組もう」  横山が右手を伸ばし、半助の左の襟を掴んだ。  半助の右手が伸びてきて、横山の左の襟を掴んだ。  互いに、相手の右袖を左手で掴む。  充分なかたちになった。  ただ、そのかたちになっただけなのに、互いが右手に握った襟が、  みりっ、  みりっ、  と音をたてた。  いくらも力を入れたようには見えなかった。  無造作に手を伸ばし、無造作に握った。  ただそれだけのことで、分厚い襟の繊維がちぎれたのである。 「む……」 「む……」  一方が力を込めると、一方が力を込める。  一方がさらに力を込めると、一方がさらに力を込める。  その力の入れ合いが、徐々に強くなってゆく。 「むん……」 「むん……」  みりり、  みりり、  襟がひきちぎられてゆく音が高くなる。 「ぐむ——」 「ぐむ——」  山は動かない。  どれだけ力を加えてゆけば、この山は動くのか。  凄まじい力が、横山を引き寄せようとしていた。それに負けまいと横山が引くと、さらに強い力が加わってくる。互いに引き合っているのに、互いの身体はびくともしない。  講道館流では、こんなに力を込めては引き合わない。こんなに力を入れたら、押されて、足を掛けられて仰向けに倒されてしまう。動きながら、押したり引いたりをして、相手の重心を崩し、投げる。その掛け引きを精妙にしたのが講道館流であった。  そんなことは、百も承知だ。  むこうだって、百も承知で、力の勝負を挑んできているのである。この力の勝負に負けた方が先に、その押したり引いたりの勝負にもってゆくことになる。  だから、横山は負けられない。  これは、意地の張り合いであった。  だが、この力に自分はついてゆけるのか。いや、ゆくもゆけぬもない。自分の方から先に、これを、この場所からより高い場所へあげてゆくのだ。ついてくるのは、むこうの方だ。 「くむう……」 「むむう……」  ついてくる。  追いこされた。 「くわあ」 「ぬわわ」  どうじゃ。  こちらから追い越してやった。  ここまでくるか。  横山が歯を喰い縛った時、さらに大きな力が、半助の内部から膨れあがってくる。半助の肉体は、無尽蔵の力を持っているようであった。  めりめりと、襟の繊維が音をたてていた。 「凄いのう、横山くん……」  歯の間から、半助が言った。  さらに力の場があがった。 「まだまだじゃ」  横山の唇に、喜悦の笑みが浮いている。 「これは、講道館流かね」 「横山流じゃ」  横山の歯が、きりっ、と音をたてた。 「———」 「———」  声が、出なくなった。  ただ、力の場はあがり続けてゆく。  声のかわりに、歯の軋《きし》る音が響いた。  と——  ぴいっ、  ぴいいっ、  笛のような音をたてて、ふたりの稽古衣の左襟が、稽古衣の地の布地から離れていた。襟そのものは、まだちぎれてはいなかったが、地の布との境目が裂けていたのである。  離れた。  もう、両者の額には汗の玉が浮いている。 「楽しいなあ、横山くん」 「おれもさ」 「相手がきみだから、こんなに楽しいのだろうね」 「さあね」  横山は、太い呼吸をひとつした。 「この後、どうする?」 「おもしろかったが、遊ぶのは、これで終《しま》いだな」 「うん」  太い顎を引いて、半助がうなずいた。 「おれを殺してもいいぜ」 「もとよりそのつもりだよ」 「安心した」  横山が言うと、 「ゆくよ……」  ぼそり、と半助が囁いた。  試合開始十一分二十七秒——  横山と半助は、離れて向かい合っている。  ふたりの息が荒い。  横山の左眼が、腫れて塞がっている。  紫色に膨らんだ瞼《まぶた》が、血袋のように膨らんでいた。  試合開始十三分十一秒——  仰向けになった横山の上に、横から半助が被さって、横山の左腕を、腕がらみに取ろうとしていた。  試合開始十九分四十三秒——  ようやく立ちあがって、ふたりは今向きあったところだった。  横山の鼻が左に曲がって、鼻の穴から血が流れ出ている。  半助の唇の内側に見える歯が一本欠けていて、そこだけ黒い穴が空いているように見える。  試合開始二十四分五十四秒——  ふたりは、火を噴くような呼吸を繰り返している。  火照った身体から炎を吐き出し、さらに火力をあげるため、新しい息を吸い込む。吸っても吸っても足りなかった。吐きながら吸い込み、吸い込みながら吐きたいくらいだった。  中村半助は、柔術界の重鎮である。  実力も飛び抜けている。  一方の横山は、まだ無名に近い。しかも、新興勢力の講道館流の人間である。年齢は二十四歳。半助との年齢差は二〇歳近くもある。 「えい」  半助が声をあげる。  声をあげ、消耗してゆく精神を上に押しあげ、まだ燃やしてない燃料を、肉の中から掘り出すためである。 「おう」  横山が声をあげる。  半助があげた声に応えるためだ。  試合開始一日前—— 「八重さん——」  後ろから声をかけてきたのは、横山だった。  ちょうど、洗濯が終ろうとしている時だった。  昼前だ。  八重は、後ろを振り向くと、上半身裸の横山が立っていて、汗で重くなった稽古衣を両手で持っていた。 「すみません、こいつを頼みます」  稽古衣を差し出してきた。 「もう、お稽古は終りなんですか」  八重が手を伸ばす。 「はい」 「明日は、試合なんでしょう」 「じゃから、稽古は、もうやめです。身体を休めねばならんですから。今日も、軽く身体を動かしただけで——」  八重が受け取った稽古衣は、汗を吸ってずっしりと重かった。 「稽古をしちょると、不安になってついつい稽古をしすぎてしまう。このくらいでやめておかんと、立てなくなるまでやってしまいそうで——」 「立てなくなるまで?」 「不安で、それをまぎらわすために稽古に逃げるちゅうのは、心の弱い者のすることです。自分は、心が弱いので、稽古をやりすぎてしまう……」 「まさか、横山さんが心が弱いなんてこと——」 「弱いです」 「でも、それがわかっていて、それを口にできるっていうことは、本人が思ってるより、ずっと心が強いってことですよ——」 「嘘でもそう言っていただけると、ほっとします」 「嘘ではないわ」 「ありがとうございます」  横山は、頭を下げた。 「明日は、その稽古衣で試合をします」 「じゃあ、いつもより念入りに洗っておかないといけませんね」  八重が手を動かし始めた。  横山は、立ったまま、八重の手が動くのを上から眺めている。  八重が、手を止めずに顔をあげる。 「もう、休んで、明日のために備えておかなくていいんですか」 「しばらく、見させて下さい。八重さんが、洗濯するのを眺めていると、心がなごみます——」 「まあ——」  八重は、照れたように、小さく首をすくめてみせた。  別に、横山が自分をくどこうとしているのでないことは、八重もよくわかっている。それでも、悪い気分ではないらしい。  八重は、今年で四十四歳になる。  八重の手の動きが、少し速くなっている。 「八重さん……」  横山が言った。 「何です」  顔を向けずに、八重が答える。 「以前、何で闘うのかと、訊かれたことがありましたが……」 「ええ、訊きましたよ」 「あのことなんですが——」 「わかったの?」 「わかりません」  横山は、以前と同じように頭を掻き、 「たぶん、一生わからんじゃろうと思ってます……」  少し、声を低くした。 「それで?」 「でも、わかったこともあります」 「それはなあに?」 「今、自分は、とても充実しております。夜半になると眼が覚め、試合のことを考えると吐き気がするほど不安になったりしますが、それも含めて、充実しております。うまく言えませんが、生きているという実感があるというか、生きている時間がとても濃い。この時間のことを思えば、酒も嫌いじゃありませんが、酒は二番目です……」  横山は、照れたように頭を掻いた。 「端《はた》から見ると試合のために、稽古をしているように見えますが、実はそうではないんだということが、この頃、なんとなくわかってきました」 「それは、どういうこと?」 「試合のために稽古をするのではなくて、こういう日々の稽古のために、生きている普段の時間を充実させるために、試合があるんじゃなかろうかと、この頃は思うようになりました——」  八重の手が止まった。 「そうですよねえ……」  八重がつぶやいた。 「これまで、ぜんぜん気がつかなかったけれど、本当にそう。あなたが、嘘なんか言ってないってこと、よくわかるわ。いつも見てるから……」  八重は、濡れた指先を持ちあげ、目頭にこぼれてきたものを押さえた。 「ありがとう。少し、救われたわ……」  八重の唐突な涙に、横山は驚いている。 「ごめんなさい。色々と思い出したことがあって——」  それで、横山は、八重が四郎と同じ会津の出身であったことに、あらためて気がついた。 「戦争は、嫌い。戦争じゃなくても、柔術の試合でも、人が人と闘うのは好きになれなかった。でも、それでも、人は闘うものでしょう。人がいる限り、どうしても、それは避けられないものでしょう?」 「———」 「でも、今、あなたに教えられて、気がついた。試合のために稽古があるんじゃなくて、稽古のために試合があるんだって……」 「はい」 「何か、今、新しいことが始まろうとしてるのよね」 「———」 「ねえ。嘉納先生のやろうとなさっていることが、そういうことならば、わたし、ここへ来て本当によかったわ。嘉納先生は、まだ、御自分では気づいていらっしゃらないのかもしれないけれど、そういう大きなお役目を果たすために、生まれていらっしゃったのでしょう……」  試合開始三十三分五十二秒  技を、使い果たした。  良移心頭流の技はもちろん、警視庁流として整えられた形も試した。  柄取《つかどり》。  柄止《つかどめ》。  柄搦《つかがらみ》。  見合取《みあいどり》。  片手胸取《かたてむなどり》。  腕止《うでどめ》。  襟投《えりなげ》。  摺込《すりこみ》。  敵之先《てきのせん》。  帯取《おびとり》。  上頭《うわがしら》。  それだけ仕掛けて、横山はそれを凌ぎきってしまった。  試合開始三十六分十九秒——  前に出して構えている半助の左手の薬指が、折れ曲がってあらぬ方を向いている。  横山の肋は、二本、折れていた。  試合開始三十九分二十一秒——  半助の、上の前歯がさらにもう一本、折れていた。  横山の左腕が、だらりと下がって、ほとんど機能していないように見えた。  試合開始四十一分九秒——  動く時に、半助は左足を引きずるようになっている。  ふたりとも、汗で、前髪がべったりと額に張りついていた。  今、ふたりは、額をごりごりと押しつけ合い、相手の身体で自分の身体を支えていた。  試合開始四十三分二秒  すでに、あの場所を越えていた。  横山にとっては、照島と闘った時に通った場所を——  半助にとっては、佐村と闘った時に潜《くぐ》った場所を——  ふたつの肉体は、すでに未知の場所に立っている。  横山の肋は、三本折れている。  肘を受けた時に、折れた奥歯を一本、血と共に吐き出している。  左肘の靭帯をちぎられていた。  頬骨には、罅が入っているだろう。  鼻の軟骨が折れて曲がり、鼻血が止まらない。  左眼が、紫色に膨らんだ瞼で塞がれて見えない。  打ち身と打撲傷は、ない場所を捜さねばならないほどだ。  半助は、肋を二本、折られていた。  左手の薬指一本が、折れて向こうを向いているのを、ちぎり捨ててしまいたいが、その時間がない。  歯は、二本、無い。  左足首の靭帯が、壊されている。  右眼は、ほとんど見えてない。  赤い簾《すだれ》が視界にかかっているようだ。網膜が、剥離しているらしい。  左の鎖骨は、折れている。  ふたりとも、満身創痍である。  骨も折れているが、どちらも折れていないものがあった。  それは、心であった。  試合開始四十九分八秒——  久富鉄太郎は、途方にくれていた。  このふたりの闘いを、いつ止《や》めさせたらよいのか。  何度か、止めさせる機会はあった。  横山が、左腕を腕拉《うでひし》ぎに極められて、明らかに靭帯の破壊される音が聴こえた時だ。  しかし、横山は、自分の腕をちぎり捨てるようにして、蜥蜴《トカゲ》の如くそこから脱出してしまった。  あるいは、横山の左肘が、半助の右の|顳※[#「需+頁」、第3水準1-94-6]《こめかみ》に突き刺さった時——半助がふらりとよろけ、仰向けに倒れた時だ。  しかし、横山の勝ちを告げる前に、横山が半助の上に被さっていったのだ。  あの時、被さらずに顔を踏みつけにいったら——踏み抜く前に試合を止めて、横山の勝ちにしてもよかったところだ。  ところが、横山がそこで半助の頸をねらいにいったため、逆に半助は蘇生してしまった。  そういう状況が、何度もあった。  何故、この漢たちは立ちあがるのか。  何度も、何度も、何度も、何度も、何度も、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、繰り返し、この漢たちは立ちあがってくるのか。  何故、止めようとしないのか。  これはもう、ふたりとも生命《いのち》を削りあっている。  なんとしても、ふたりを死なせるわけにはいかない。  しかし、どこで止《と》めればいいのか。  闘いを検分している自分の方が、闘っているものより先に精神を摺り減らしてしまいそうであった。  もしも、そうなったら、判断を誤って、どちらかを、あるいは両方を、死なせてしまうことになるかもしれない。  その恐怖が、久富鉄太郎の背に張りついている。その恐怖が、久富鉄太郎を、今、支えているのである。  試合開始五〇分十一秒——  もう、何も残っていなかった。  すっからかんだ。  細胞のひとつずつに残っているものまで捜し尽くした。  無い。  肉体は、からっぽだ。  どこからも、力を絞り出しようがない。  乾いた石だ。  石をどれだけ絞ったって、汁など一滴も出てこないように、身体の中にどれだけの力も残っていない。  ただ、丸裸になった自分だけが立っている。  横山作次郎という人間が、丸ごとそこに立っているだけだ。  その自分がすがっているのは、相手の中村半助という肉体である。半助の肉体にすがっていなければ、立っていることだって、できそうにない。  中村半助に、今、横山作次郎は支えられているのである。 「おい、横山……」  声が聴こえた。  半助が、消えそうな声で、話しかけてきたのだとわかった。 「おんし、凄か漢じゃなあ……」 「あんたこそ……」  横山は言った。 「俺《おい》は、嬉しか。おんしのような漢と巡りあえて、よかった」 「おれもじゃ……」 「今日の、この試合があった、このことのために、俺の一生はあったんじゃと思うちょる……」  半助の声が響く。  自分は今、本当に半助の声を聴いているのかと思う。  自分は今、本当に半助と会話をしているのか。 「この、今日のことを思うだけで、俺《おい》は、残りの一生を生きてゆけるじゃろう……」  半助の声が、細くなってゆく。 「なあ、横山、俺《おい》を投げよ。投げてくれ。そうすれば、もう、俺《おい》は起きあがれん。ぬしの勝ちじゃ……」 「何を言う」 「おんしが今離れれば、そのまま俺《おい》はここにへたり込んで、やはり動けぬ。投げてくれ。おんしに投げられて、これで終《しま》いじゃ……」 「投げられん……」  横山は言った。 「投げられんのじゃ。中村先生——」  横山の眼から、涙がこぼれ、畳の上にぽたぽたと落ちた。  何故、投げることができないのか。  もう、力が残っていないからか。  もう、気力が萎えているからか。 「ふふん……」  半助がつぶやいた。 「ならば、俺《おい》からゆくしかないではないか……」  半助がつぶやいた時、信じられぬことが起こった。  横山の腕の中で、ふいに、あの山の量感が膨れあがってきたのである。  化物のような肉体であった。 「かあああああっ!!」  半助が、横山を背負いにきた。 「ぬわっ」  反応したのは、横山ではなかった。  横山の肉体であった。  腰を落とし、半助の肉体の下に入り、山を担ぎあげていた。 「おりゃああっ!!」  裂帛の気合と共に、半助を、脳天から畳の上に投げ落としていた。  天狗投げ——  畳に、半助の頭がめり込んだ。  逆さになったまま、半助は、しばらく畳の上に頭で立っていた。  次に、ゆっくりと、半助が畳の上に仰向けに倒れた。  地響きのような音があがった。  やや遅れて、 「いっぽ……」  久富鉄太郎が、そう宣言しようとして、声を止めていた。  半助が、むくり、むくりと起きあがってきたからである。  膝が、がくがくとしている。  身体中が痙攣していた。  痙攣しながら、半助が起きあがってきたのである。  首が、肩の間にめり込んで、短くなっている。 「よ、横山、く、ん……」  半助は笑みを浮かべていた。 「よ、よか漢じゃ、な……」  半助が、組もうとしながら倒れかかってくるのを、 「中村先生——」  横山が、泣きながら抱き止めた。  この時—— 「あずかり!」  叫んで、立ちあがった男がいた。  最前列で、座ってこれを観ていた、三島通庸であった。 「あずかり、あずかりっ!!」  三島は、涙を噴きこぼしながら叫んでいた。  試合開始五十五分三十一秒で、横山作次郎対中村半助の闘いは、三島の�あずかり�で、終ったのである。 (三) �あずかり�  という、まことに日本的と言えば日本的な試合の収め方が、この国にはある。  天の声といってよい。  試合の結着を、あずかってしまうのである。  今日言うドクターストップでは、むろん、ない。  無効試合というのでもない。  ルールブックに記載されていない、試合の結着方法である。  ここで敢て書くのもどうかと考えたのだが、書いておきたい。  横山作次郎と中村半助が、明治二〇年、あるいは明治十九年に警視庁の主催する武術試合で闘ったというのは、幾つかの資料を見渡してみるに、どうやら事実であるらしい。  その試合が、結着がつかず、五十五分闘って三島の�あずかり�となったのも、事実であろうと著者は考えている。  いずれにしても、明治のこの頃、講道館柔道と闘って、一度も敗北しなかった中村半助という、古流柔術家がいたというのは、確かなことであろう。  中村半助は、小説『姿三四郎』においては、姿に負ける村井半助のモデルとなったことから、講道館に負けたという印象が強いが、筆者の調べた限りでは、そういった事実はなかったとするのが正確なところなのではないか。  本編にもどれば、この三島の�あずかり�に対して、異議を唱える者は、ひとりも出なかった。 (四)  東恩納寛量は、この試合の後、治療を終えてからしばらく東京に残り、半年ほど、治五郎に請われて講道館で、手《ティー》を教えていった。  後に、治五郎は、空手家船越義珍と出会い、同様に教えを請うたりしているが、その基礎は、この時にできたのではないか。 (五)  明治十九年から(十八年という説もある)始まった、この警視庁武術試合における講道館と古流柔術との闘いは、明治二十一年まで、三年間続いたと言われている。  これを、実質的に主催したのは、時の警視総監三島通庸であった。  三島通庸が、病に倒れたのは、第三回の警視庁武術試合が終った、明治二十一年(一八八八)の夏のことであった。  亡くなったのは、同じ年の十月二十三日である。  現職のまま世を去ったこの時代の逸物《いつぶつ》は、青山墓地に葬られた。  その葬儀には、一万二千人が参列したと言われ、その墓は、今も青山墓地にある。 [#改ページ]  二十二章 四郎出奔 (一)  嘉納治五郎が、宮内省|御用掛《ごようがかり》として、欧州に向かってカレドニアン号で横浜を出帆したのは、明治二十二年(一八八九)九月十三日のことであった。  この外遊を治五郎に決心させたのは、もちろん欧州への興味というものがその背景にあったのだが、もうひとつには、学習院院長三浦梧楼との軋轢《あつれき》があったのである。  第三代学習院院長であった大鳥圭介に代って、明治二一年(一八八八)に第四代学習院院長の座に就いたのは、前記した三浦梧楼である。  三浦は、弘化三年(一八四六)、現在の山口県萩市に生まれ、明倫館に学び、奇兵隊に入隊した。  後《のち》、明治二十八年(一八九五)には、李氏朝鮮第二十六代の王、高宗《こうそう》の妃である閔妃《びんひ》の暗殺事件で、その指揮をとったとされている人物である。  第二次長州征伐、戊辰戦争にも従軍して戦っており、西南戦争のおりには、第三旅団司令長官として、西郷軍との戦に臨んでいる。  学習院院長に就任した時、三浦は、四十三歳であり、治五郎は、この時、二十八歳であった。  治五郎は、この三浦と、ことあるごとに対立をした。  ちなみに、後の大正天皇である明宮嘉仁《はるのみやよしひと》親王が、明治二〇年に学習院に入学しており、この時治五郎は教頭をしていたので、当然、親王にも会い、教師として親王を教えたこともあったであろう。  教師——教頭として治五郎がやろうとしていたのは、平等なる教育である。その教育現場において、華族、士族、平民を差別せずにあつかった。優秀な生徒がいれば、たとえ平民であっても海外に留学できるよう骨を折ったが、三浦はそれを肯《よし》としなかったのである。  士族の中に、優秀な者がひとりいて、この人物は、すでに宮内大臣の内意も受け、治五郎も海外に留学させようとしていた男であったのだが、三浦がこれに反対をした。 「留学生は、華族の中から出すべきである」  留学の内定していた士族の生徒を押しのけて、無理やり華族の生徒を海外留学させてしまったのである。  国粋主義者三浦梧楼と、進歩主義者の嘉納治五郎とは、事あるごとに学習院内で対立していたのである。  こういう時期に、三浦から 「欧州に遊学する気はないか」  治五郎に声がかかったのである。  治五郎は、行きたかった。  欧州であれ、どこであれ、海外へ出て、向こうの文化に直接触れてみたかった。  しかし、その期間は、一年余りにもなる。その間日本を留守にするということは、当然ながら、学習院の教頭という職から退かねばならなくなる。帰ってきたら、ただの教授となってしまう。  体《てい》のいい厄介払いであった。  それに乗ってしまっては、これまで自分がやってきた教育はどうなってしまうのか。  講道館は、すでに門弟一五〇〇人を超えている。  明治十五年、講道館と一緒に始めた弘文館のこともある。  行くとなると、弘文館は閉鎖せねばならない。  嘉納塾弘文館——講道館が武であるなら、この弘文館は文だ。講道館と弘文館ふたつそろってこその嘉納塾ではないか。  三浦の策にはまって、欧州へ出かけてしまってよいのか。 「行ってくりゃあ、いいじゃあねえか」  そう言ったのは、勝安芳であった。 「この機会を逃がしちゃあ、いけねえよ、嘉納先生——」 「———」 「今持っている荷を捨てなきゃあ、もっとでけえ荷は持つこたあできねえぜ——」  勝は、ぽん、治五郎の肩を叩いてそう言った。 「このくれえで潰されるほど、嘉納治五郎は小せえ人間じゃあねえよ。安心しな」 (二)  保科四郎が、西郷四郎|悳武《のりたけ》となったのは、明治二十一年(一八八八)一月二十三日のことであった。  西郷姓と共に、新たに悳武の名を、近悳よりつけられている。  これは、四郎の養父である保科近悳の要請であった。  この間のいきさつについては、煩雑になるため細かくは記さないが、そもそも保科姓は藩主松平家の元の姓であり、これを守るため、近悳は西郷姓を保科姓にかえたのだ。それで、自分の元の姓である西郷を四郎に継がせたのである。  西郷四郎が、嘉納治五郎が洋行中の明治二十三年(一八九〇)の六月二十一日、二十五歳で講道館を去ったことは、多くの文献に書かれているのだが、その理由となると、いずれも推測の域を出ていない。  治五郎が、外遊にあたって、西郷四郎、岩波静弥、本田増次郎の三人に、講道館のことを託している。  治五郎のいない間に、彼らがおおいに羽根をのばし、自由にやりすぎてしまったのが、四郎出奔の原因であると伝える人もいる。 [#ここから1字下げ]  俗に言う�鬼のいぬ間の洗濯�というやつで、講道館へ通ってくる連中と一緒になって○の中へ一の字を入れた五つ紋の揃いを着て�番町連�と称し、九段から神田にかけて大道せましとばかりに闊歩《かっぽ》した。  この紋つきが当時の学生の間で大流行した。紋に使った○に一の字は、一に鉄心を真綿に包んだ意味で、外柔内剛の精神を表徴したものだった。ああ、喧嘩もずいぶんやったようだ。九段界隈の鶏や犬が一匹もいなくなったという噂も聞いた。みんな食ってしまったのである。 [#ここで字下げ終わり] [#地から1字上げ]—————工藤雷介『秘録日本柔道』  つまり、このようなことをやっていたので、帰国した治五郎に叱られるのをおそれて逃げてしまったというのである。  しかし、治五郎の帰朝は、四郎が出奔したおよそ七カ月後であり、もしそのような悪さをしていたのだとしても、四郎の出奔は少し早すぎる気がする。  同著によれば、他にも、浅草の奥山で、四郎を含む四人の柔術家たちが、荒海という力士をはじめとする七人の相撲取りたちと大立ち回わりをして、それが四郎出奔の原因であると杉浦某が書いているらしいが、このエピソードを丸くおさめたのが、すでに死んでいる警視庁の三島通庸総監であったりすることから、そのまま全てを信ずるというのも、少し危険なことかもしれない。  ともあれ——  真相は、いまだにわかってはいないが、ただ、四郎が、この当時、大陸にあこがれていたということだけは、確かなようである。 �イクグン大将�になる——と言って会津から東京へ出てきたことと、この大陸への憧れは、同根のものであり、その背景には�会津�があったことは想像に難《かた》くない。  日本は、激動の時代であり、国の関心は、朝鮮、支那、露西亜《ロシア》に向いていた。 「陸軍大将たらずんば、満州の大馬賊たらん」  四郎が、このように壮語したという風聞については、『史伝 西郷四郎』(牧野登)にも書かれている。  出奔するにあたって、四郎は上二番町の治五郎の留守宅に、一書を置いていっている。  同書に紹介された、四郎の嗣子《しし》、孝之氏の手記に [#ここから1字下げ] 『……(略)其の書面には、既に十年に垂《なんな》んとする師範の深高なる恩顧に對する不義を詫びてゐるが、已《や》むに止まれぬ胸懐を陳述してゐた。そしてその書面には更に「支那渡航意見書」の長文を添へてゐる。  その書面は「別紙意見書にて私一片の赤心を御推察の上御海容被下候はゞ云々」と結んで、渡航意見書には露西亜が朝鮮併合の野心あるを患へてゐる。』 [#ここで字下げ終わり]  とある。  これを読む限りにおいて、四郎が大陸への夢を抱き続けており、国への憂えがその根にあったことは確かなことであろう。  治五郎の帰るまで待てなかったほど、それは、四郎にとっては切羽詰まったものであったのであろうと考える他はない。  もし、四郎が、始めから出奔のことを考えていたとしたら、治五郎が、自分の留守中の間、 �講道館のことはおまえにまかせたい�  そう言い出した時、おおいに困ったことであろう。  この無口な男は、ただ黙ったまま、無言で畳の目を見つめていたのではないか。 「どうした、西郷——」  治五郎は、その時そう問うたであろうか。  治五郎はこの時三〇歳、四郎はこの時二十四歳——この若き柔道の創始者は、自分の海外行きのことで頭がいっぱいで、自分の弟子が、いったい何を考え、何に悩んでいたか、そこまで思い至ることができなかったと考えるべきなのであろうか。  いや、しかし——  この時、もし、四郎が出奔のことまで思いつめていたとしたら、治五郎はきっとそのことに気づいていたろう。気づいていたら、四郎に後のことを託したかどうか。  このことを思うと、治五郎が海外へ出かける前後に関する限りは、四郎の心の中に大陸へ行きたいという思いはあったものの、まだそれは、出奔という決心に至るようなものではなかったと考えたい。  では、いつ、四郎の心の中に、講道館を去ってまでもという思いが芽生えたのか。  それは、治五郎が海外へ旅立った翌年——明治二十三年(一八九〇)の春のことであったとするのが、一番自然であるかもしれない。 (三)  西郷四郎、二十五歳——  明治二十三年の三月、講道館にいる四郎のもとに、長崎からひとつの郵便小包みが届いた。  差し出し人は、井深彦三郎で、会津若松の生まれで四郎とは同郷であった。生まれた年も四郎と同じ慶応二年(一八六六)である。  四郎の竹馬《ちくば》の友であった。  さらに書いておけば、四郎の義父である近悳の妹八代子の三男であり、四郎とは義理の従兄弟関係にあった。  小包みの中に入っていたのは『新々長崎土産』という一冊の本で、著者は長崎市に寄留している「福島県士族鈴木力」という人物であった。  牧野登氏の『史伝 西郷四郎』によれば、四郎は、その本よりも、本に同封されていた井深彦三郎の手紙と、井深彦三郎が書いたその本の�あとがき�に、強く心を動かされたようであったという。  鈴木力——天眼鈴木力、あるいは鈴木天眼とも呼ばれた人物で、彦三郎の�あとがき�によれば、 [#ここから1字下げ] 「日本の一書生|天眼子《てんがんし》なる者、曾て『独尊子』『護国の鉄壁』等の諸書を著《あらわ》す」 と、ある。 「天眼子吾党と志を同ふす。吾との交情、一掬《いっきく》の相秘《あいひ》する者あり。吾の去て清の中央に遊ぶや、風に訴へ雨に託し、旅愁を吟咏に附する毎に、思天眼の身に及はざるなし。一別|怱々《そうそう》五星霜、端《はし》なく其入獄の報に遇ふ。悁々《えんえん》の情何ぞ堪へん。日に石川島辺の惨雲を念頭に画き、東天を瞻望《せんぼう》して悵然《ちょうぜん》為す所を知らず——」 [#ここで字下げ終わり]  これによって、四郎は、鈴木天眼という人物に強い興味を抱くようになっていったのではないか。  四郎にとって、井深彦三郎も鈴木天眼も、自分を大陸へと繋げてくれた人物であり、このふたりの人間、特に鈴木天眼を知ることによって、単なる憧れの対象であった大陸が、具体的な手触わりを持ったものに変貌していったのではないか。  井深彦三郎は、会津戦争のおり、まだ三歳であったが(満で数えれば二歳)、家人と共に若松城に籠城している。  長じて、荒尾精《あらおせい》の門下に入り、明治十九年(一八八六)荒尾が漢口に楽善堂を開いたおりには、大陸に渡っている。  そこで、彦三郎は売薬行商人として、辮髪《べんぱつ》となり、支那服を着て、大陸の方々《ほうぼう》を見て回わった。平たく言えば、荒尾のもとで軍事スパイをやっていたわけだが、大陸に憧れていた四郎にとっては、こういった彦三郎の活躍は、おおいに刺激となったことであろう。 �大陸の革命勢力と軍事同盟を結んで西欧侵略勢力を中国から駆逐すること�  が、荒尾と、その部下である彦三郎の目的であった。  一方の鈴木天眼は、四郎よりもひとつ歳下の、慶応三年(一八六七)の生まれで、戊辰戦争の際、最後まで戦った藩のひとつ二本松藩士の子としてこの世に生を受けた——。 『史伝 西郷四郎』によれば、天眼は明治十三年(一八八〇)、十四歳で上京し、当時浅草警察署長であった会津出身の赤羽友春の家に厄介になりながら、浅草署の給仕をした。やがて、赤羽とは同郷の——つまり、会津出身の日下義雄が英国から帰ってくると、赤羽の紹介で日下の書生となった。  この日下は、旧会津藩出身者の中では例外的な出世をした人物である。井上馨とは知人の間柄であり、その縁もあって、当時には政府官吏となっていた。この日下の下に、旧会津藩出身の者たちが何人も集まることとなったのである。その中に井深彦三郎もいて、天眼と知りあい、その縁で、四郎もまた鈴木天眼と知遇を得ていったのである。  明治二〇年、天眼は、最初の本『独尊子』を書き、これが『朝野新聞』の眼にとまって、自由党の機関誌『公論新報』の主筆となったのである。  この後、天眼は、自らが著わした『護国之鉄壁』が、当局の怒りを買い、石川島監獄署に投獄され、およそ八カ月間の牢獄生活を送った。この時、結核を病み、出獄後、当時長崎県令の職にあった日下を頼って、長崎に滞在することになるのである。  四郎に井深彦三郎が贈った『新々長崎土産』は、この時期に書かれたものである。  四郎は、およそ八年間、講道館でほとんど柔術漬けの日々を送っていた。そういう時期に、同年代の若者たちが、自分とはまったく違う世界で生きていることを知って、大きく心が揺り動かされたのであろう。  その四郎のゆらぎの向こうに広がっていたのが、大陸であったのであろう。  会津戦争を経た後、会津出身の若者が、この時代の日本の社会でどのような夢を描けたのであろうか。  強くなる。  何のために強くなるのか。  強くなってどうするのか。  強くなるだけでは意味がないのではないか。  その問いの答えもまた、大陸の広大な大地の向こうの風景の中に、ほのかに見えていたのかもしれない。 (四)  本編にもどりたい。  井深彦三郎が、講道館へ直接四郎を訪ねてきたのは、包みが届いてから一カ月余りが過ぎた、四月のことであった。  この時期、講道館四天王の人間で、講道館に常時顔があったのは、西郷四郎のみである。  富田常次郎は、自分の郷里に近い伊豆|韮山《にらやま》にいて、韮山中学校の英語教師をしながら、講道館韮山分場の責任者という立場にあった。  山下義韶は、佐藤法賢と共に、江田島で海軍兵学校の柔道指導にあたっていた。  横山作次郎は、中村半助との死闘の後、請われて警視庁の柔術世話係の職にあった。  四天王とは呼ばれてはいなかったものの、宗像逸郎《むなかたいつろう》は、講道館の開設されたばかりの京都分場で、これまた柔道の指導にあたっており、考え方にもよるが、ひとり四郎のみが、変らず講道館にあって、まだ何者でもなかったのである。  しかし、別の見方によれば、講道館の要《かなめ》とも言える東京の本部道場をまかされていた四郎こそが、四天王の中の出世頭ということもできるのだが、四郎の心の中にあったのは、 �自分は治五郎がもどるまでの代理である�  との思いであったのではないか。 「おれは、まだ何者でもない——」  この思いは、激しく四郎の胸を焼いていた。  その思いが、四郎の大陸への夢を育てる肥しとなっていたのではないか。  そういう時期に、井深彦三郎からの小包みが届き、さらには本人である彦三郎自身が、長崎から直接四郎を訪ねてきたのである。  講道館では、彦三郎は茶を飲んだだけであった。  ちょうど昼が近かったので、 「飯にでもゆかんか」  彦三郎が四郎に声をかけて、ふたりは外へ出た。 「知っているところがある」  と、彦三郎が、講道館から少し離れた、神田の�小鈴《こすず》�という蕎麦屋を選んだのには、理由があった。  これから彦三郎が四郎にする話は、講道館ではできなかったからであり、道場生が出入りするかもしれない近くの飯屋でも、この話はできなかった。  それは、結果として四郎の出奔をうながすことにもなる話であったからである。  まだ蕎麦が出てくる前、出汁巻《だしま》き卵で一杯やりながら、 「四郎よ、清国へ渡る気はないか」  彦三郎は、いきなりそう切り出したのである。 「清国じゃと?」 「そうじゃ」 「また、何で急にそんなことを?」 「荒尾先生がな、この四月に、事務所を京橋木挽町に設立される」 「何の事務所じゃ」 「日清《にっしん》貿易研究所の事務所だ」 「ほう」 「まだ、日程は決まってないが、この九月の頭には、学生たちから選抜して、一五〇名くらいを連れて長崎から船で清国へ渡るお考えじゃ」  四年前、すでに荒尾精との関係で、清国へ渡って�仕事�をしている彦三郎の言葉は、自信に溢れている。 「おまえは、前から大陸に興味があったではないか。これは大きな機会じゃ。荒尾先生と共に清国へ渡る気はないか——」  この言葉に、四郎の心臓は激しく脈打った。  彦三郎は、雄弁にその計画について語った。  行きたい——  大陸へ渡りたい。  四郎は、火のようにそう思った。  しかし、 「ゆく」  とは言えない。  治五郎から、講道館をまかされている身でありながら、治五郎の留守中に、そんな勝手なまねはできなかった。  しかし、 「ゆかぬ」  とも四郎は言わなかった。  ただ、黙った。  頭の中に、好地円太郎の顔が浮かんだ。  その円太郎に、 �行ってもいいか——�  四郎は問うた。  円太郎は答えなかった。  円太郎は、ただ笑いながら四郎を見ていた。  ひとしきり話をして、 「四郎よ、おまえの事情は承知じゃ。すぐに返事のできることではない。よく考えて決心すればよい。ただ、長崎出港は、九月の初めと決まっている。覚悟が決まったら、七月中に長崎へ来ればいい——」  彦三郎はそう言った。 「決めるのは、四郎、おまえじゃ」  蕎麦が来た。  蕎麦を食いながら、彦三郎は言った。 「しかし、おれもおまえも、戊辰の戦をよく生き残ったものじゃ。ぬしにしろ、おれにしろ、もう少し歳がいっておれば白虎隊に入隊していたろう」 「うむ」 「戦のあと、吉十郎さんが死んだ直後の明治十二年に、まず、近悳さまとの養子の話が持ちあがって、結局それが成ったのは、五年後だったがな。今では、ぬしが西郷の名を継いでいるのも、もとからの縁であろう」  吉十郎というのは、近悳の実子で、西郷家の中では近悳と共にただふたり生きのびたのだが、病を得て明治十二年に死去している。 「どうじゃ、母上の墓参りには行ったか——」  何げない口調であったが、四郎の顔色が変ったのを見て、今度は彦三郎の方がうろたえた。 「何のことじゃ」  思わず、四郎は声を大きくした。  四郎の母さたは、今年五十三歳になるが、新潟県の津川(明治十九年、津川は福島県から新潟県に編入されている)でまだ元気に暮らしている。  それは、彦三郎も知っているはずであった。  彦三郎は、何か言いわけをしようとして口を開きかけたが、言葉を発するのをやめて、覚悟を決めたように、深く息を吸い込んだ。 「それでは、おまえ、まだ知らなかったのか——」 「だから、何のことじゃと訊いている」 「梅さんのことだ」 「梅?」 「おまえの、本当の母親のことだ」 「何!?」 「おれは、おまえが西郷の名になったおり、てっきり知らされたものと思い込んでいた。西郷になってからは、おまえと会うのは初めてだったからな——」 「———」 「おまえの今の名前の悳武《のりたけ》だが、それがそもそももとからのおまえの名じゃ……」 「本当か!?」 「嘘ではない。この場でおれが嘘を言うものか。疑うなら、近悳様に直接訊ねるがよい。ここから先はおれが言うことではない——」  彦三郎の言葉を耳にした時、四郎は、四年前、会津の泉岳寺で聞いた武田惣角の言葉であった。 �近悳先生は、本当は君の方に大東流を継がせたいのさ� �そうじゃ。近悳先生は、どうして君を養子にしたのかということさ� �近悳先生に訊ねてみることだ。ここから先は、わたしの言うことではない�  あの惣角も、今の彦三郎と同じ言葉を口にしたのではなかったか。  あの時は、気にはなったものの、まぎれて近悳に訊ねそこなっている。  しかし、今は—— 「訊ねてみよう」  四郎は、低い、静かな声でつぶやいていた。 (五)  西郷四郎の出自について、これまでずっと根強く語られてきたことの中に、近悳の実子説がある。  その理由として、牧野登氏は『史伝 西郷四郎』の中で、次の十項目を挙げている。 [#ここから2字下げ] 一、単なる養子縁組にしては西郷家と志田家の家格の差が大きすぎて傍目から見ていかにも釣り合いがとれず不自然である。 二、四郎が柔道界の天才児と称せられるに至ったのも、四郎に近悳の血が流れているからではないか。これに反して、志田家から特に目立った武道家が出ている事実を聞かない。 三、保科家側の戸籍に、四郎が�明治十二年八月十九日�に入籍したと記されたものがある。この日付は近悳の実子吉十郎有鄰が病没してわずか十日後のことであり、赤の他人を養子に入れるにしてはあまりにも早すぎはしまいか。 四、近悳は四郎をもって西郷家を再興させている。西郷家は会津藩中で藩主松平家に次ぐ名門中の名門の家柄である。四郎が近悳の実子だからこそ近悳は名門西郷家の廃家を惜んで四郎に再興させたのではあるまいか。 五、四郎に「悳武」の名を与えていること。 六、日光東照宮在任中の近悳が、初めて四郎に差出した手紙を読むと、四郎に対する近悳の愛情はまことにこまやかで、他人とは思えないところがある。 七、後年、四郎が朝鮮へ渡ろうとした時、近悳はわざわざ霊山《りょうぜん》まで使いをやって直垂《ひたたれ》を取り寄せ、四郎に形見分けをしている。 八、戊辰戦時下、近悳の妻千重子が一家自刃の前日に用人を津川に差向けている事実があるが、これはかねて近悳の意を汲んでいた千重子が、四郎の養育先の津川の志田家に伝える何事かがあったのではないか。 九、二人の容貌骨格がよく似ていて、とても�他人の空似�とは思えない。 十、外見ばかりか、性格や気質にも共通するものが少なくなく、生涯の雰囲気にもどことなく似た趣が感じられる。 [#ここで字下げ終わり]  今日に残るふたりの写真などを見れば、なるほど、ふたりの体形や風貌はそっくりであり、実子説さもありなんとも思えてくる。  しかし、実質的な証拠となると、それはどこにもなく、真相というのは謎のままだ。  また、どのような歴史にしろ、完全という資料はなく、また、謎があるからこそ、歴史という過去が、我々にとって豊穣な泉として存在するのではないか。  以下、物語としての本編にもどりたい。 (六)  明治二十三年のこの時、保科近悳は、すでに日光東照宮の禰宜《ねぎ》職を辞し、福島県伊達郡の霊山《りょうぜん》神社|宮司《ぐうじ》の職にあった。  四郎が、そこを訪ねたのは、五月二日のことであった。  近悳は、青葉の映る窓を背にして、自室で四郎と対面した。 「許せ……」  四郎に問われた近悳は、まず、そう言った。 「わたしは、悳武よ、おまえの実の父じゃ——」  近悳は、頭を下げた。 「幼ないおまえには、まだ黙っておく方がよかろうと思い、これを言わなかった。そのうちに言いそびれて、伝えぬまま、おまえを養子としてむかえることとなった。養子としてからも、おまえに言わなかった。いずれも、この父の弱さからのことじゃ。それでよいとも思っていたが、おまえから訊ねられた以上は、隠すのは悪《あく》じゃ。それで今、真実《ほんとう》のところをおまえに告げた——」  近悳は、過去を思い出そうとするように、眼を閉じた。 「おまえの母、梅は、志田家の遠縁の者で、その母も父も病死してゆく所がなかったことから、わが屋敷で働くことになった女であった……」  近悳は、眼を開いた。  四郎と眼が合ったが、視線をそらさなかった。 「心根の優しい、決して泣き事を口にせぬ女であったよ。そこに惚れて、情を交すようになり、四郎よ、おまえを身籠ったのだ——」  近悳は、お梅に小さな家を買い与え、そこに住まわせた。 「悳武は、その時に、おまえにわしが付けた名じゃ——」  悳武——四郎が生まれて二年目に、戊辰戦争があった。  近悳、吉十郎は闘うことを決めたが、残った家族は自害することに覚悟を決めていた。 「お梅にはな、生きていてほしかった。西郷姓も保科姓も、お梅には名のらせていなかったのでな……」  津川へゆけ——  志田家の面々が逃げてゆく先の津川へ、悳武と共にゆけと、近悳はお梅に言った。  それを、お梅は聞かなかった。 「わたくしも、皆様と御一緒に西郷家の者として死なせて下さいまし」 「ならぬ」 「何故でござりますか」  お梅は泣いた。 「悳武をどうするのじゃ。いったい悳武を誰が育てるのじゃ——」  その最後の日、近悳に言い含められていた志田貞二郎が、屋敷にいるお梅のもとにやってきて、お梅を連れてゆこうとした。 「死なせて下さい」  お梅は、一緒に行かなかった。 「悳武を、この子を頼みます」  お梅は、悳武だけを、貞二郎の腕に預けたのである。  後になって、西郷家の者がそれぞれ座敷で自害して果てている中で、ひとりだけ、庭で喉を突いて死んでいる女がいた。  使用人には、暇を出して、皆帰している。  いったいどこの女かと思う者もあったが、それが誰であるかを詮索していられるほど時代はゆるやかではなかった。  この女が、お梅であった。  これを聴いて、これまで時おり見る夢の正体に、ようやく四郎は気がついたのであった。  温かい腕や、誰かの涙が頬に落ちる感触。  悳武……と呼ぶ女の声。  嗚咽。  自分が、悳武の名を近悳からもらった時、妙になつかしい気がした理由がこれだったのだ。  これまでの疑問が氷解した。 「大東流御式内のことで、わたしが迷っていたのは、まさにこのことであったのだ——」  本来であれば、そもそも大東流は、武田家が継ぐべきものであった。その血をひく武田惣角にはその天分がある。しかし、近悳は、もうひとり、同じ天分を持った者を発見してしまった。  それが、自分の実子である悳武——四郎であったのである。 「それとなく津川を訪ね、おまえに、こより投げを教えるのは楽しかった。これだけの天分を持った者がいるのかと思った。我が子ながら、恐ろしかったよ、いったいどれほどの武術家に育つのかとね——」  どちらに大東流を継がせるべきか、近悳は迷った。 「実を言えば、今も迷っているのだ」  近悳は言い終えて口をつぐみ、四郎の言葉を待った。 「もうしわけありませんでした……」  四郎は言った。 「謝まることはない。もうしわけないことをしたのはわたしの方だ。今日は、それを言う機会を、おまえの方から作ってもらった。感謝している」 「ありがとうございます——」  四郎は頭を下げ、顔をあげて、 「ありがとうございます——」  もう一度頭を下げた。 「お梅の墓ならば、津川にある。仁香寺《にんこうじ》の裏庭に、�うめ�と刻まれた小さな石がある。それがお梅の墓じゃ。髪だけを切って、そこへわたしが埋めた——」 (七)  明治二十三年五月九日の日付が記された、一枚の「誓書」がある。  四郎の郷里である津川で書かれたもので、義兄弟の約束を交したものと思われる「誓書」である。署名がされ、そこに血判が押されている。  その「誓書」の宛名は、佐藤与四郎になっている。  佐藤与四郎は、四郎と共に津川を後にし、東京に出てきた四郎の幼馴染みである。    誓書   謹而結兄弟之義也矣     明治二十三年五月九日 [#地から1字上げ]宮城 利吉 [#地から1字上げ]杉崎清次郎 [#地から1字上げ]西郷 四郎   佐藤与四郎殿 (八)  四郎が、津川から講道館へ帰ってきたのは、五月十四日であった。  声をかけられたのは、もう五分も歩けば講道館というところまで来た時である。 「西郷君——」  後ろからであった。  振り返ると、そこに立っていたのは、あの中村半助であった。 「中村先生——」  四郎が言うと、  ごとり、  ごとり、  と下駄を鳴らしながら、半助が近づいてきた。  山が、悠々と動いてくるが如き趣きがある。  横山作次郎と、肉の軋み音が聞こえてきそうな試合をしたのは、三年前であったか。あの時より、肉が少しついたかもしれない。  今年、四十六歳になるはずであった。 「お久しぶりです」  四郎が頭を下げると、 「久しぶりじゃ」  半助はうなずいた。  半助は笑みを浮かべ、 「ちょうどよかった。これから講道館までゆくところだったのだ」  半歩近づいて、また足を止めた。 「講道館へ?」 「君に会うためだよ、西郷君」 「わたしに?」 「渡したいものがあったのだ」  そう言う半助の肉体からは、以前にあったぎりぎりと破裂しそうなほど張りつめていたものが、もう感じられなかった。  その肉体は、岩というよりは、おだやかな丸みを帯びた自然石である。 「なんでしょう」  四郎が言うと、半助は懐に手を入れ、 「これだよ」  分厚い冊誌を取り出した。 「これを渡したかったのだ。本来であれば、嘉納先生に渡すところなのだが、彼が外遊中なのは聴いている。留守を預かっているのは君だと聴いた。だから、これを君に渡したいのだ。いや、君にというよりは、講道館にね——」  半助の差し出したそれを四郎は受け取った。  表紙に『柔術覚書』とあって、中村半助と名が記してあった。  四郎がその冊誌を開くと、表紙と同じ手で、文が書かれていて、その文に絵までが添えられていた。いずれも、柔術の技に関するもので、その技への入り方、あるいは逃げ方が、文章と図で示されている。 「わたしが、これまで見聞した柔術の手を書かせてもらった。良移心頭流のものもあるし、他流派のものもある。わたし自身が工夫したものも入っている——」  しっかりと文字と絵が描かれている。  一度書いて、きちんと清書しなおしたものなのであろう。 「ちょうど、二年前に思いついてね。何かこのわたしが、柔術の役に立てることはないかと、ずっと考えていたのだよ。すでに嘉納さんなら、承知していることばかりだろうが、中には知らぬことも幾つかあるかもしれない。もしも邪魔になるようであれば、焼き捨ててもらってもかまわないものだ——」 「ありがとうございます」  四郎は、それを押しいただいた。  あの中村半助が、二年の歳月をかけて記した柔術の書だ。どのような宝にも勝るものである。 「文と図だけでは、所詮伝わるところは半分だ。わからぬことがあったら、いつでも、どこでも、誰でも、この半助を訪ねてきてくれれば、手でも足でも取って、知る限りのところは教えるつもりだ——」 「ありがとうございます。たいへん貴重なものを——」  四郎は、素直にそれを受けることにした。  治五郎なら、悦んでそうするであろうとわかっていたからだ。 「ただし、来てもらっても、もう、わたしは試合はできぬよ」  半助は微笑した。 「三年前の横山君との試合で、きれいにわたしは空っぽになってしまった。誰かに勝ちたい、負けたくないという気持が、どこかへ行ってしまった。今は、赤ん坊とやっても、たやすく負けてしまいそうだよ——」 「あれは、素晴しい試合でした」 「ありがとう。君からそう言ってもらえるのは、何よりも嬉しいよ」  また、半助は微笑した。 「不思議だねえ。負けたくない。勝ちたい勝ちたいと、そういう思いで身体中があんなに膨れあがっていたのに、あれはどこに行ってしまったのだろうかねえ」  半助は、空を見あげた。  五月晴れの青い空に、雲が動いている。  半助は、四郎に視線をもどし、 「今はね、子供になったような気分で柔術をやっている。弱くなったが、わたしはようやく柔術が楽しいと言えるようになった。これも横山君のおかげだろう」  そう言った。 「今度、横山君に会ったら、この中村が、酒でも一緒にどうかと言っていたと伝えてくれたまえ」 「はい」 「警視庁では、時おり彼とも顔を合わせるのだが、自分の口から言うのも、何だか妙に照れ臭くてねえ——」  半助は、少年のように、初々しくはにかんでみせた。 「横山も、悦ぶと思います」 「本当かね」 「本当です。横山は、本当に悦びます。本当です!」  四郎は、声を大きくした。 「そいつは嬉しいねえ」  半助はうなずき、 「では、失礼するよ」  背中を向けた。  その背が見えなくなるまで、冊誌を手にしたまま、四郎はずっと半助の後ろ姿を見つめていた。 (九)  六月十七日——  四郎は、喧噪の中を歩いていた。  どちらを向いても、ぞろりぞろりと人が歩いている。  呼び込みの声も聴こえているし、鰻を焼く匂いまでも空気の中に漂っていた。  浅草の奥山——  例年通りであれば、すでに梅雨に入っているはずなのだが、雨はほとんど降らない、今年はカラ梅雨であった。  午後の陽差しは、もう夏のそれと同じであった。  あちらこちらに小屋掛けしてあり、見せ物小屋が並んでいる。  蕎麦を食わせる店もあれば、酒を飲ませる店もあった。  そこら中に、大道|香具師《やし》が集まっている。  四郎が、ここへ来たのには、理由がある。 「市川先生が、どうも、浅草に出ているようです」  四郎にそう言ってきたのは、有馬純臣であった。 「浅草?」  と、四郎は訊いた。 「見せ物です。奥山の見せ物小屋で、時々柔術興行をやっているようです」 「市川先生が!?」  四郎は驚いた。  道場の経営が立ち行かなくなった武術家が、見せ物小屋で、自分の技を見せて金を稼ぐことがあるというのは、すでに周知の事実であり、四郎もそのことは知っていた。  柔術、相撲、槍、薙刀、棒術、撃剣——なんでも御座れと看板に書かれていて、飛び入りの相手をしたりする。飛び入りが勝てば金をもらうことができる。  しかし、それをやるのは、食えなくなった柔術家ではないか。  有馬の言っている市川とは、市川大八のことだ。天神真楊流の看板を掲げて、そこそこ道場生もいたはずであった。有馬も、時おり、市川の道場へは出稽古に出かけている。 「ここしばらく顔を出していなかったのですが、最近は門下生も減って、今では加倉新八先生、今岡一平先生、内村力也の三人しかいないようです」  まさか!?  言われて四郎はそう思った。  市川大八と言えば、そこそこ名の通った柔術家であり、治五郎の話では、グラント将軍がアメリカからやってきた時、その前で柔術の形《かた》を演じたことさえある人物である。  その市川が柔術で食えないというのか。  門人が、たった三人であると—— 「どうも、うちが原因のようで……」  有馬が声を小さくした。  うち、というのは、もちろん講道館のことである。  四郎には、覚えがあった。  明治十九年の警視庁武術試合の前、市川が、大竹森吉、奥田松五郎らと共に、講道館へやってきたことがある。  市川は、その時、横山と闘って敗れている。そういう噂は、どんなに広がるのを防ごうとしても無理である。  市川、講道館に敗れる——これは、多くの関係者の知るところとなり、結局世間にも広まった。  さらに、その年明治十九年、明治二〇年、明治二十一年と、警視庁武術試合において、講道館は多くの古流武術家と闘い、勝利を収めてきた。  自然に、古流への入門者は減り、講道館への入門者が増えることとなった。もともと、柔術を学ぶ者の数が減っていたことに加えて、それに、さらに講道館が拍車をかけたことになる。市川の場合は、それに、横山と闘って敗れたという事実が加算されて、門下生がいなくなるという現象が加速されたのであろう。  それにしても、市川大八の道場までが、そういう状態であったとは。  市川は、直情的なところはあるものの、根は真面目な柔術家である。横山に敗《ま》けた後、市川がどれだけ精進していたかを、四郎は有馬から聴いて知っている。  有馬が、市川の道場で、照島と試合って腕を折られた時も、わざわざ自ら講道館に出向いてきて、治五郎に詫びを入れている。その折の市川の態度は堂々としていて立派であった。  この、古流柔術衰退には、自分自身も多かれ少なかれ関わっているのだ。  中村半助のような人物もいれば、市川大八のような人物もいる。 「市川先生は、真面目な方でした。見せ物小屋に出ているという話が本当ならば、自分はちょっと複雑です……」  有馬純臣は言った。  それが、三日前のことであった。  今日は、四郎は、有馬の口にしたことが本当かどうか、それを確かめに来たのである。  歩いているうちに、四郎はようやくそれを見つけた。  葉桜となった桜の老木の横に、柱を立て、梁《はり》に筵《むしろ》を掛けて造った小屋があって、そこに、 「柔術興行 飛び入り歓迎」  と看板が掛かっている。  入口の横には、 「本日 天神真楊流市川大八先生お目見え」  と書かれた板が下がっている。  そこで、四郎は中を覗こうかどうか、ためらった。  どんなことをやっているのか、市川が、どのようにして柔術を見せ物として見せているのか、そこに興味はあった。しかし、自分は講道館の人間である。市川大八をこのような真似をせねば喰えないように追い込んだ側の人間である。  入って、もしも、客席に自分の姿があるのを市川が知れば、彼はどう思うであろうか。  やはり見るのはやめようと決心しかけた時—— 「よう、保科じゃあねえか——」  横手から声がかかった。 「いや、今は保科じゃあなかったなあ——そうじゃ、西郷じゃ——」  声の方を見れば、そこに、大竹森吉と、奥田松五郎の姿があった。ふたりは、並んで立ち、四郎を見つめている。  声をかけてきたのは、大竹であった。 「お久しぶりです、大竹先生、奥田先生——」 「どうしたい、西郷。おまえさんもこういうところへ足を運ぶのかい。その面《つら》じゃあ、まさか櫛巻《くしまき》の姐《ねえ》さん目当ってえわけじゃなさそうだねえ」  言いながら、大竹が近づいてくる。 「そうかい、市川大八の柔術興行を観に来たってえわけだね。なら、銭はいらねえよ。中に入るといい——」  大竹が、四郎の前に立ち止まった。 「ですが……」 「いいさ。ここまで来たんだ。気にするこたあねえ。気を使われる方が、かえって迷惑なこたあ、いっぺえある。ここで会っちまったんだ。今さら逃げ出せねえよ——」 「———」 「ややこしく考えるなあ、おまえさんの悪い癖だ。いいから入《へえ》んな——」  大竹は四郎をうながし、 「よう」  入口に立っていた者に、軽く片手をあげて、小屋の中に入っていった。  奥田に背を押され、四郎も中に入っていった。 「おいらと奥田さんは、市川の用心棒だよ。妙なやつが挑戦してこねえとも限らねえからな。時々、こうやって、助っ人がてら顔を出してるんだよう」  大竹が、四郎を振り返りながら言った。  客席は、半分も埋まっていなかった。百人ほどは入れそうなところに、二〇人余りの客が座している。客席は、地面に筵が敷いてあるだけで、客は、各自好きなところに、履物を脱いで座る。  奥が、舞台とは名ばかりの場所で、筵を敷いた上に、十二枚の古畳が敷いてあった。  見物人たちの中に、浴衣を着た大柄な男たちが七人ほどいる。頭に髷を結っているところを見ると、どうやら相撲取りの一団らしい。  大竹、奥田、そして四郎の三人は、御座の上には座さずに、一番後方に並んで立った。大竹が、座らずに、立って見物しようという胆《はら》らしいので、自然に四郎も奥田も同じように座らずに立っての観戦となった。  舞台——畳の上には、四人の男が立っていた。  三人の男——加倉新八、今岡一平、内村力也が、掛け手と受け手を順に交代しながら、技を見せている。  市川が、技の名を言うたびに、その技が畳の上で掛けられる。  掛けた時に、市川がその後技の簡単な解説をする。どこにどう力を入れ、どう腰を入れれば技が掛かるかを、熱心に市川が語るのである。技によっては、何度かそれを繰り返させ、その決まりどころを細かく解説しているのである。  それを見ていて、思わず四郎は、 �あっ�  と声をあげるところだった。  市川たち四人の考えていることが、自然に理解できたからであった。  市川は、この小屋で、柔術の客を、つまり道場の客を、集めようとしているのである。  この小屋に出れば、とりあえず収入はあるし、仕事をしながら道場生を増やすことも可能である。彼らの必死の思いが、四郎にはわかった。この小屋に入る時に、彼らの落ちぶれた姿をこの自分が見てしまってもよいのかと、しばらく躊躇してしまったことを、四郎は恥じた。それは自分の驕《おご》りだった。  四郎は、眼をぬぐった。 「どうしたい?」  横にいた大竹が、声をかけてきた。 「すみません」  四郎は、拳で頬のあたりをもう一度ぬぐって、 「ありがとうございます。声を掛けていただかなかったら、ぼくは、これを見ずに帰って、頭の中では見たつもりになっていたことでしょう。見てよかったです」  そう言った。  大竹と奥田は、そういう覚悟を決めた市川を応援しているのであろう。  大竹は、しばらく横から四郎の顔を眺め、 「ふうん……」  何事か理解したようにうなずいた。  大竹の太い、分厚い手が、ぽん、と四郎の背を叩いた。 「西郷さん、あんたが何を悩んでいるんだか、おいらにゃわからねえけどね、人にゃあね、最後のどんづまりのところで、ひとつだけ持っている権利がある……」  舞台に眼をやりながら、大竹は、横にいる四郎につぶやいた。 「権利……?」 「なんてえのかね、馬鹿なこととわかっていて、それをやる権利ってえのかね。それとも、好きなことをする権利ってえのかね。自分の身を滅ぼす権利ってえのかね……」 「———」 「好きな道を選んで、その道の先で死ぬ権利だよ。なんだかんだと迷ったら、自分の選んだ道の先でくたばりゃあいいんだよ」  人情の機微に敏《さと》いこの漢は、四郎の胸の裡で揺れ動いているものに気づいたらしい。 「ありがとうございます」  四郎が頭を下げた時、飛び入りの参加を求める口上が始まった。 「どなたでもかまいません。勝ったら一〇銭、おしはらいいたします」  内村力也が言った。  こういう時、腕自慢や力自慢が手を挙げ、舞台にあがってくるが、所詮は素人である。玄人はまず、あがってこない。たやすくあつかえる者が挑戦してくるだけだ。  ひとり、ふたりと舞台にあがってきたが、ふたりとも内村にたやすく投げられてしまった。  ひとつには、飛び入りの人間は、舞台で稽古衣を着せられることもある。着衣で闘う時、その技術を持っている者といない者とでは、大人と子供以上の差が出る。 「他におりませんか」  内村が言った時、 「おれだ——」  手を挙げて立ちあがった者がいた。  浴衣を着て、髷を結った、身体の大きな男七人の見物客のうちのひとりだ。ひと目で相撲取りとわかる。  村相撲の力自慢ではない。  本物である。  柔術家ではないが、玄人である。  これを見ていた興行側の人間が、あわてて何か言おうとしたが、その時にはもう、その相撲取りは、舞台にあがってしまった。 「中ノ里、やれ」 「柔術に負けるなよ」  仲間の力士たちから声がかかる。  かなり酒が入っているらしい声であった。  中ノ里と呼ばれたその男は、浴衣の上から稽古衣を着せられて、立った。大きな稽古衣を選んだらしいが、大きく前に突き出た腹を、布地が包みきれず、やっと帯で格好をつけた。  中ノ里と、内村の対戦となった。 「始め」  と、声をかけたのは、市川道場の師範代である加倉新八であった。  試合が始まった途端、中ノ里は正面から内村にぶつかっていた。相手は、巨大な肉の塊である。とてもこらえきれずに、内村は後方に飛ばされ、たちまち畳の外に押し出された。  力士たちが、わっとどよめいた。 「勝った」 「中ノ里の勝ちじゃ」 「相撲が柔術に勝った」  しかし、 「場外!」  加倉の声が響いた。 「なんじゃ」 「中ノ里の勝ちではないのか」  力士たちから、不満の声があがった。  確かに、相撲では、試合場の外——土俵の外まで押し出されたら負けだ。だから、畳の外まで押し出された内村の負けであると、力士たちは思ったらしい。  それを否定するように、 「場外!」  加倉がそう叫んだ。  再び向かいあって、内村と中ノ里が対戦したが、結果は同じであった。内村が、畳の外へ押し出されてしまう。  これが三度繰り返された時、 「わしが代ろう」  内村に代って、加倉が中ノ里の前に立った。  中ノ里が、さっきと同様にぶちかましてくると、内村は相手の袖を取り、そのまま自ら仰向けになって、中ノ里の腹に右足を当てて、自分の頭の向こうへ投げた。  講道館柔道でいう巴投げである。  中ノ里の巨体が、大きく飛んで、畳の外に転がって、小屋の柱にぶつかった。 「一本」  これを立ち合い人として捌《さば》いていた市川が、加倉の勝ちを宣言した時、力士たちが立ちあがった。 「何を言うか、あいつの背が中ノ里より先に畳についたではないか」 「相撲なら中ノ里の勝ちじゃ」 「それに何じゃ。最初の相手と何でその男が代ったのじゃ。ふたりも相手にさせて、何が勝ちじゃ」  力士たちは、口々に言った。 「これは、柔《やわら》の勝負である。勝敗は、柔の方法で決めるのが筋ではないか」  今岡一平が叫んだ。 「わしらは相撲の人間じゃ。勝手に柔の決め事を押しつけられて負けにされたんじゃあ納得がいかねえ」  言いあっているうちに、 「次はおれが相手じゃ」  ぬうっと前に出てきたのは、七人の中でもひと際身体の大きな男であった。  いつの間にか、客席には、五〇人近くの人間が入っていて、その中から、 「荒海《あらうみ》だ……」 「荒海関じゃ」  そういう声があがった。  前に出てきたのは、現役の幕ノ内力士、荒海であった。  調子のあがっている時は、ぶつかりざまに大関をそのまま土俵の外まで押し出してしまう怪力の持ち主であり、角界でもその身体の大きさは、一番か二番である。 「こりゃあ、えれえのが出てきやがったなあ……」  そう言った大竹森吉も、柔術家としては巨躯の持ち主だが、その大竹よりもさらに上背《うわぜい》があり、身体回りはふた回りも三《み》回りも大きい。  荒海は、前に出てきて、 「誰が一番|強《つえ》えのだね」  そう言った。  一瞬、今岡、加倉の顔が、市川に向けられた。 「あんたかね」  荒海は言った。  市川の顔を覗き込み、 「決めた。あんたとやろう」  市川を指差した。  場内がわあっと沸いた。 「わかった」  すぐに覚悟を決めた様子で、市川は前に出てきた。 「わたしが——」  加倉が、市川の前に立ち塞がったが、 「自分がやる」  加倉を右手で横へのけるようにして、市川は荒海の前に立った。  市川は、今年で幾つになるか——おそらくは、四〇代の半ばか後半くらいではないか。  日々の精進を怠らなくとも、年齢的な衰えは防ぎようがない。  逆に、荒海は、やっと三〇代の初めだ。  相撲取りとして、脂がのりきったところである。  市川の顔からは、血の気が引いて、顔が青白く光っているように見える。 「ありゃあ、やる気だぜえ」  大竹がつぶやいた。 「いきなり、きんたまを蹴りあげるか、目ん中に指入れるか、それとも喉を突くか……」  市川を止めようとした加倉が、結局身を引いたのも、市川の覚悟を、その眸《め》の色の中に読み取ったからであろう。 「奥田さん、止《と》めようか?」  大竹が言った。 「止められんだろう」  奥田は、腕を組んでつぶやいた。 「ありゃあ、いけねえ。止《や》めさせた方が……」 「無理だ」  奥田が言った時、 「始め!」  加倉が叫んでいた。  荒海は、すぐに突っ込んではいかなかった。  じわり、じわりと、前に出ていった。  しかし、市川は退がらない。  浅く腰を落としているだけだ。荒海の巨体が前に出てくるのを見ながら退がらずにいるのは、よほどの胆力《たんりき》が必要であろう。  つううっ、  と、市川が、荒海の右に回わり込むように前に出た時、  ばあん、  と、市川の左頬が鳴った。  いきなり、巨大な掌《て》で、荒海が市川の頬を張ったのである。張り手であった。  それを、首を振ってかわそうとしたが、間に合わず、張り手を市川は受けていた。  市川は、大きく横へふっ飛んでいた。  気絶をしなかったのは、顔を横へ振って張り手の力を逃がしていたからだ。  それでも、市川はふらついた。  そこへ、荒海がぶちかましにゆく。  かろうじて、市川は荒海の袖を取って、自ら仰向けになり、巴投げにゆこうとした。  しかし、荒海は、突進しては来なかった。  袖を取られた瞬間に、前に出るのをやめて、市川に、自分の体重の全部を浴びせかけていったのである。  荒海の巨体の下に、市川の身体は完全に隠れて見えなくなった。外にはみ出している市川の両手と両足がもがいている。 「ばかやろう。引っかかりやがって。てめえの面を見りゃあ、わかるんだよ。おれのきんたまを蹴ろうとしやがったろう」  荒海の右手が、身体の下に潜り込んだ。  ほどなく、 「おぎゃああああっ!!」  おそろしい悲鳴が、荒海の腹の下から聴こえてきた。 「やろう、市川の吊り鐘(睾丸)を握り潰しやがった!!」  大竹が言った。  大竹が、さっき言った�止めようか�と言ったのはこのことだったのだと四郎は思った。  市川の覚悟が見えてしまい、荒海がそれに気づいて、先に仕掛けられてしまったのである。  荒海は、起きあがり、市川の胸倉を掴んで引き起こした。 「もう、柔術は流行《はや》らねえ。講道館で負けやがった上、てめえ、こんなところでまだ生き恥さらしてやがるのか——」  市川は、口から泡を吹いていた。  その頬を、荒海が叩く。 「やめい、やめい」  加倉と今岡、内村が、後方から荒海に跳びかかる。  それを見ていた力士たちが、全員立ちあがって前に出てきた。 「奥田さん、胆アくくったかい?」  大竹が問うた。 「もちろんじゃ」  奥田が言った。 「ぼくも行きます」  四郎は言った。  身体が震えていた。  怒りなのか、武者震いなのか、他の何かであるのか、四郎にはもうわからない。 「馬鹿ア言うんじゃあねえよ、おまえさんにそんなことをさせたんじゃ、嘉納さんに申しわけが立たねえ」  もう、大竹と奥田は前に歩を進めている。 「行きます」  きっぱりと、四郎は言った。  行くしかない。  行くしかなかった。後のことはもう後のことだ。  行ったら、もう、もどれない。  これは、そういう道への一歩だとわかっていた。治五郎の留守を預かっている人間が、現役の相撲取りと、見世物小屋で問題を起こしたらどうなるか。  それはわかっている。  その一歩を、踏み出してしまえば、もう何も迷うことはない。それを置いても、今、ここで高みの見物をしていられるわけもない。 「行きます」  もう一度言った。 「馬鹿」  大竹が言った。 「馬鹿です!」  四郎は、眼をらんらんと光らせて、叫んでいた。  大立ち回りとなった。  柔取り七人と、相撲取り七人が、浅草で乱闘したのである。  たちまち警官の駆けつけるところとなり、大騒ぎとなった。  現役幕内力士荒海、警視庁の柔術世話係の奥田松五郎、警視庁武術試合に出場したことのある大竹森吉、講道館の西郷四郎が、入り乱れて闘ったのである。  四郎に山嵐で投げられた荒海と、市川はそのまま病院へ連れてゆかれ、残った者は全員が警察へ連れてゆかれた。  警視庁の柔術世話係をやっていた横山も駆けつけた。  結局、その日のうちに全員が帰ることができたのは、死人が出なかったこと、一般の客に怪我がなかったこと、興行主からも双方の怪我人からも、いずれからも訴えが起こされなかったことに加えて、喧嘩に関わった多くの者が警視庁に関わりを持っていたからだ。  この乱闘で、誰も処罰者を生まなかったのである。 (十)  夜——  小雨が降っていた。  ようやく、梅雨の雨が降り始めたのである。  針のように、細く、冷たい雨であった。  本郷真砂町にある講道館の裏手の木戸から、小柄な男が、雨の中に出てきた。  傘を持っているわけではない。右手に風呂敷包みを提げているだけだ。  細い雨は、音もたてない。  男は、木戸を出てから振り帰り、講道館の建物をしばらく見あげ、無言で頭を下げ、歩き出した。  そこへ—— 「待て——」  低く声がかかった。 「どこへ行く気じゃ、四郎……」  闇の中から現われたのは、横山であった。  その横山の横に立っているのは、八重であった。 「おまえの様子がどうも変じゃと八重さんが言うんでな、心配になってやってきたところじゃ……」  横山は言った。  小柄な男——四郎は無言であった。 「ゆく気か、四郎」 「ゆく……」  とだけ、四郎は言った。  横山は、小雨の中で、深く息を吸い込み、そして吐いた。  沈黙があった。  何もかも、わかっている——そういう沈黙だ。  四郎を止めたい。  止めたいがしかし、止められないとわかっている。  何故、おれに相談せんかったのじゃ——そう言いたい。  しかし、相談できなかった四郎の気持も痛いほどわかる。  ここで、言う言葉はない。  どういう言葉もない。 「いつか、こういう日があるであろうと、おれは、思うていた……」  ようやく、横山は言った。  横山は、四郎の心の中の、何もかもを呑み込んでいる。  治五郎先生にどう申し開きをするのじゃ。  先生が帰ってからでよいではないか。  そういう言葉では、もはや四郎を引きとめられぬとわかっている。 「男ちゅうもんは、そういうもんじゃ……」  横山は、つぶやいた。 「八重さん……」  横山は、涙声で、八重に言った。 「こいつは、止められません……しかし、おれは止めたい。じゃが、止められんのはわかってる……」  横山は、四郎に顔をもどした。 「おまえは、前も、おれを投げて、勝手に講道館へ行った。今夜も、勝手にゆこうとしている——」 「———」 「この前と違うのは、おれが今、おまえの眼の前にいるということだ」  がらん、  ごろん、  と、横山は、履いていた下駄を、後方へ蹴り捨てた。 「おれは、おまえを止めん……」  横山は言った。 「おれと、試合うてからゆけ」  低い、底にこもった声であった。  四郎が、退がった。  四郎に、考える間を与えぬ速度で、横山が前に出てゆく。  四郎の手から、風呂敷包みが落ちた。  組んでいた。 「ていしゃあっ!!」  横山の気合が、雨を振り飛ばした。  四郎の下駄が飛んだ。  四郎の身体が、くるりと裏返され、四郎は背から地面の上に落とされていた。 「ぐはっ」  と、四郎は、呻いた。  肺の中にあった空気を、いっきに吐き出させられたのだ。  四郎が、背を押さえながら、顔をあげた。 「さすが、鬼横山の腰車じゃ。受け身を取っても応える……」  四郎が、起きあがってくる。  横山は、もう、四郎に向かってはいかなかった。 「四郎よ……」  横山は言った。 「今後、多くの者が、おまえを悪しく言うやもしれぬ。おまえをののしるやもしれぬ。しかし、これだけは覚えておけ。この横山だけは、この横山作次郎だけは……」  その後を、横山は言わなかった。 「おまえは、これから、どういう泣き事も言うことを許されぬ道に向かうのじゃ……」 「わかっている」  四郎はうなずいた。  落ちていた下駄を拾って、四郎はそれに足をのせた。 「八重さん、お世話になりました」  四郎は、頭を下げた。 「四郎さん、おちついたら、手紙を下さいね」 「必ず」  四郎は言った。  横山は、睨むように四郎を見続けている。四郎はその視線を黙って受けている。 「楽しかったなあ、四郎よ……」  横山は、笑みを浮かべて言った。  その眼に、涙がこみあげている。 「ああ、楽しかったな」  四郎は、地に落ちていた風呂敷包みを拾いあげた。  四郎の眼にも涙が浮かんでいる。 「もう、ゆけ——」  横山の方から言った。 「ゆく……」  四郎は、両手に風呂敷包みを抱えてふたりに背を向けた。  小雨の中を、走り出した。  四郎の姿は、すぐに闇と雨にまぎれて見えなくなった。  下駄の音がしばらく聞こえていたが、やがて、それも聴こえなくなった。 [#改ページ]  転章 西郷四郎・武田惣角・前田光世 (一)  祭りの太鼓が、賑やかに鳴っている。  青森県|船沢《ふなざわ》村——この村が、弘前市に編入されるのは、まだずっと後の、昭和三〇年になってからである。  明治二十三年(一八九〇)のこの時、船沢村は、まだ富栄《とみさかえ》村から名前が変わって一年しかたっていない。  神社の屋根と、銀杏の樹の向こうに、まだ頂き近くに雪を残した岩木山がそびえている。津軽富士と呼ばれる姿の美しい山だ。   名山名士を出だす   此語久しく相伝う   試みに問う巌城の下   誰人か天下の賢  弘前出身の陸羯南《くがかつなん》の作った詩である。  岩木山は、このあたりのどこからでも望むことができる。  梅雨の晴れ間の青い空に、笛と太鼓の音が響いている。  その音を耳にしながら歩いていた四郎は、足を止めていた。  すぐ向こうに、人だかりがあって、盛んに声援があがっていたからである。  近づいていって見ると、相撲であった。神社の境内に土俵が設置され、そこで今まさに相撲の取り組みが行われているのである。宮相撲だ。  見れば、六尺に近い大きな男と、小さな男が、土俵上で見合っているところであった。  大きな方の男は、三〇歳くらいであろうか。 「ほう……」  と四郎が声をあげたのは、小さな方の男がまだ少年の顔をしていたからである。  十三歳か、十四歳くらいに見えた。  小さい方とは言っても、その大男と比べるからであり、丈は五尺四寸(一六三センチ)ほどもあるであろうか。この時代の男子の平均身長よりはずっと大きく、もちろん四郎よりも大きい。  さらに言うなら、少年とは思えぬほど、筋骨が発達して、肩や腕、尻の筋肉が、ぷりぷりと、はちきれそうなほど張りつめて膨らんでいる。  これだけの身体、そう簡単にできるものではない。  なお、驚いたことに、少年は、仕切りながら、その顔に満面の笑みを浮かべているのである。  相手の大人の方が、少年を睨むように見ている。  その大人の方も、身体はきちんとできあがっている。大相撲の力士のようなでっぷりした身体ではないが、みごとに筋肉ができあがっていて、脹脛《ふくらはぎ》も丸く筋肉が詰まって膨らんでいる。  なかなか経験を積んでいそうなたたずまいがある。 「岩木海、栄世《ひでよ》サ負げんなじゃ」 「おめえで十人目だじゃ。ガキさ十人抜がれんだば話サなんねぞ」 「十人抜いたっきゃ、米二俵じゃ」  どうやら、少年の名は栄世といって、すでに九人を抜き、今、十人目と対戦しようというところらしい。  大男の方も、村相撲ではあろうが、岩木海としこ名で呼ばれているくらいだから、そこそこ覚えがあるのであろう。  立ち合いは、激しかった。  がつん、  と音をたててぶつかった。  肉のぶつかるような音ではない。  もっと硬い岩がぶつかるような音だ。  岩木海が、少しも手を抜いていないのがわかる。  これだけ本気でぶつかり合うと、悪くすれば首の骨をくじいたりする。そんなことは、岩木海もわかっているであろう。それを承知でぶつかっていったのだ。  このぶちかましを、栄世という少年は正面から受けて、動かなかった。  見物人がどよめいた。  それは、岩木海の身体が、ずいっと後方に退がったからである。  栄世と呼ばれた少年が、岩木海を土俵際に向かって押してゆくのである。 「くわっ」  岩木海は、横へ動いて、栄世をうっちゃろうとしたが、その動きにすかさず栄世が合わせて押してきたので、かえって土俵際に追いつめられることになってしまった。  俵に足が掛かって止まった。  こらえた。  こらえたその身体を天に向かって抜きあげられた。 「よいしゃ」  栄世が、岩木海を土俵下に投げ落としていた。  岩木海は、下に転げ落ちて一回転し、仰向けに転がった。  歓声があがった。 「また、今年も栄世のやつだじゃ」 「もう、誰も栄世にゃかのわね」  四郎の横で、そういう声があがる。  四郎が驚いたのは、勝ち名のりを受けた栄世が、また仕切り線の前にしゃがんで、 「次は誰じゃ」  嬉しそうにそう言ったことであった。  青い空が、そのままその顔に映っているように、天真爛漫な笑みが浮いている。 「もう終《しめ》じゃ」  行司をしていた男が言った。  栄世は、ふいに哀しそうな顔をした。 「いやじゃ、次は誰だじゃ」  栄世は、子供のようにだだをこねた。 「もう、十人抜いた。賞品はぐれてやはんで、家サ帰《けえ》れ」 「いやじゃ、まだ取るんじゃ」  栄世は、むずかるように、首を左右に振った。  そこへ、ふたりの大人が、一俵の米俵を一緒に抱えてやってくると、蹲踞《そんきょ》している栄世の肩にその米俵をのせた。 「さあ、賞品じゃ」 「ちぇ」  栄世は、つぶやいて、ひょいと立ちあがった。  それを見て、また、四郎は驚いた。  米俵一俵で、重さはおよそ十六貫ある。現代の尺度では六〇キログラムである。大人がふたりがかりで持ちあげる重さだ。それを肩に乗せたまま、少年は無造作に立ちあがってしまったのである。  さらに四郎が驚いたのは、米俵を左肩に担いだまま、さっきのふたりが持ちあげようとしているもうひとつの米俵を、しゃがんで右肩に乗せ、また立ちあがったことであった。  米俵二俵で、三十二貫——およそ一二〇キログラム。その重さを両肩にのせて、立ちあがることのできる少年がいるのか。  それを眺めていた見物人の間から、どよめきがあがり、 「さすが前田了のせがれだじゃ。できが違うんだいな」 「東京サやって、大相撲に入れたらどうだじゃ」  そういう声があがった。  確かにその通りだ。  力が強いだけではない。  足腰が強く、米俵を二俵担いでバランスを崩さない。相手の動きにすぐ反応できる感覚と素早さは、天性の才能であろう。  それよりも何よりも、あの満面に浮かべていた笑みが、脳裏を離れない。  もう終いじゃ——と言われた時の、おもちゃを取りあげられた時の子供のような淋しげな顔はどうだ。  四郎は、人混みの頭の上を、悠々と遠ざかってゆく二俵の米俵を見送りながら、久しぶりに微笑した。  これが、後に前田光世と改名し、ブラジルに渡ってカルロス・グラッシェに柔術を教えることになる人物と、西郷四郎との最初の出会いであった。 (二)  翌日——  まだ、晴れ間は続いていた。  四郎は、青葉を透《とお》して落ちてくる木洩れ陽の中を、苔生《こけむ》した石を踏みながら、ゆっくりと石段を登っていた。  風で、青葉の梢が揺れるたびに、足元の光の斑模様《まだらもよう》が揺れる。その光と影を、四郎の下駄が踏んでゆく。  鳥の声が聴こえている。  登りきったところに門があって、その扁額に、聖林寺《しょうりんじ》とある。  門をくぐると、そこは石畳になっていた。  すぐ先に、本堂が見えている。  石畳の左右は、杉林であった。  歩いてゆくと、門と本堂の中間あたりの左側に、大きな自然石が地中から顔を出しているところがあり、その岩に、ひとりの少年が仰向けになって、白い雲が動く天を見あげていた。  四郎の足音に気がついて、少年が顔をあげた。  あの少年であった。  昨日、宮相撲で、十人抜きをした、栄世という名の少年である。 「こんにずは」  栄世が、ぺこりと頭を下げて笑った。  曇りのない笑みであった。  つられて四郎も、 「こんにちは」  挨拶を返していた。  知らず足を止めていたのは、この栄世という少年に興味を覚えたからだ。 「強いなあ、きみは——」  四郎は言った。 「我《わい》のこと?」  少年は、嬉しそうに、岩の上から降りてきた。 「昨日の相撲を見たんだ。十人抜いたんだろう」 「抜いたし」 「凄いことだ」 「したばって、つまらん」 「何がつまらないんだい?」 「十人抜いたっきゃ、それで終りでねか」 「もっとやりたかったのかい」 「んだ」  素直に、少年はうなずいた。  正面に立つと、四郎より上背がある。 「ずっど、相撲ば取っていでのにの……」 「ずっと?」 「ずっど」  少年は、迷わずに答えた。  四郎は、また微笑した。 「世の中サ、強いやつって、どのくらいいるんだべ」  少年は、訊いた。 「たくさんいるよ」 「どれくらい?」 「わからないが、たくさんいる」 「その全部の人ど闘ってみてんだけどのう——」  それは無理だよ——  そう言おうとした言葉を四郎は呑み込んだ。 「のう、おじさん、強いんだべ?」  ふいに、少年は言った。 「弱いよ」 「嘘言ったって駄目《まね》し。我《わい》にゃわかるんだはんで——」 「何が?」 「おじさんが、強いってこどがさ」 「ふうん」 「こごにもね、今、強い人|居《お》るらしいよ——」 「ここ?」 「このお寺サきゃ」 「誰だい?」 「まさか、おじさんが、武田惣角って人だばねしきゃ」 「違うよ」  四郎は言った。 「その武田惣角がどうしたんだい?」 「こごで、ヤマト流っていうのば教えでるんだって。相当強いっていう噂だし。だはんで、今日、その武田惣角って人サ会いに来たのし」 「会ってどうするの」 「試合ば申し込むんだし」 「本気で?」 「本気だし」  少年は、くったくがない。 「で、その武田惣角には会ったのかい」 「まだだし」 「まだ?」 「今、出かけていて留守だど言われたんだし。だはんで、こごで待っていらのさ」 「ふうん」  四郎はうなずいた。  そうか、今、惣角はいないのか。  この時期には、もう、惣角は諸国を放浪しながら、ヤマト流を教えはじめている。  同じ年に生まれた治五郎が、道場を作り、そこに人を集めて柔道を広めていったのとは対照的であった。惣角の場合は、自身が旅をしながら、その先々に滞在して、人にヤマト流を教えたのである。  明治二〇年に、警視庁武術試合への出場を断ってから、急に、惣角の名は斯界に広まるようになった。  すでに、明治二〇年のヤマト流の英名録の中には、侯爵にして陸軍大臣、海軍元帥までいった西郷|従道《つぐみち》の名があった。西郷従道——西郷隆盛の弟である。 「のう、おじさん」  少年は言った。 「やろうか?」 「やる?」 「相撲だよ、相撲ば取《ど》ろう」  考えてから、 「いいよ」  四郎は言った。 「本当《ほんどう》かい」 「本当だ」 「手ば抜いたら駄目《まね》し」 「抜かないよ。だけど、取るのは別の相撲だ」 「別の?」 「草相撲だよ」 「草相撲?」 「ちょっと待ってくれるかい」  四郎は、数歩歩いて、石畳の端に生えていた、草を一本ちぎってきた。  一方の端を握り、 「そっちの端を握ってごらん」  草を少年に差し出した。 「こいでいい?」  そっちの端を少年が握った。  握った途端に、ころん、と少年が石畳の上に転がった。 「あれ!?」  頭を掻きながら、少年は起きあがってきた。 「説明するより早いから、いきなりきみを投げたけど、今みたいな相撲だよ。投げられたり、ほら、今、きみは草から手を放しているだろう、そうなったら負けという相撲なんだ」 「わがった、やろう」  また、少年が草の端を握ってきた。  それを、四郎が投げる。  少年が起きあがる。 「凄えや。これ、おもしれえ」 「そうか、おもしろいか」 「何ばされたかわがんねし」 「わたしも、始めはそうだったよ」 「おじさんもかい」 「ああ——」  四郎がうなずいた時、少年——栄世の眼が、四郎の背後に向かって動いた。  四郎が振り向くと、門の下に武田惣角が立って、こちらを見ていた。 「草相撲は、これで終りだ」  四郎は言った。 「ほんどに?」  栄世は、がっかりしたようにつぶやいた。 「ああ、おれは、あの人と少し話があるんだ」 「あの人?」 「武田惣角とね——」  四郎は言った。 (三)  四郎と惣角は、ゆっくりと並んで歩いている。  寺の裏手の、山へ登ってゆく径《みち》だ。  どちらが先でも後でもない。  石が転がり、木の根が顔を出している径であった。  足元には、木洩れ陽の影がしきりと揺れ、頭上に鳥の声が聴こえている。時おり、どこかで鳴く鶯《うぐいす》の声も聴こえてきた。 「珍らしいな……」  歩きながら、惣角がつぶやく。 「君の方から闘いたいと言ってくるなんて——」 「御迷惑でしたか」 「いや、迷惑ではない。ちょっと驚いただけだ」 「今日でなくてもいいんです。明日でも、十日後でも、待ちますから」 「待つ必要はないよ」  惣角の声は、低く落ち着いている。 「いつ、どこで、どう闘いが始まってもいいように、わたしは鍛練しているし、覚悟もある。寝ている時に仕掛けてきたっていいし、今、いきなりここで襲ってきてもいいんだよ——」  惣角の声は、淡々としていて、気負いも何もない。心に思うことを、そのまま口にしているようであった。 「いいえ、今、ここではやめましょう」  以前の四郎であったら、惣角のこの言葉を耳にしただけで、背に電流が疾り抜けたように、気を全身に張りつめさせていたところだが、四郎は自然体であった。  あの時、梟と闘っている最中にたどりついた境地に、今は自然に立っているようであった。  鳥の声が聴こえている。  その数も数えられる。 「そうだな、もう少し、話をしよう」  ふたりは、山径を登ってゆく。 「君は、少し、変ったな」  惣角が言った。 「そうでしょうか」 「変った。以前より強くなったようだ」 「弱くなったような気がしてるんですが——」  本音だった。  少しも強くなったような気がしていない。  以前より自分は弱くなったのではないか。 「武田さん……」  四郎は言った。 「何だね」 「大東流を、よろしくお願いします」 「大東流を?」 「はい」 「前にも言ったが、近悳先生は、きみに継がせたいと思っているのではないかね——」 「わたしより、武田さんの方が、大東流を継ぐにふさわしいと思います」 「きみの言葉にどういう裏もないということがわたしにはわかるが、しかし、ここで、うんというわけにはいかない——」 「だと思います」 「きみと闘って、もしもわたしが勝ったら、それは考えよう」 「そう言われると思ってました」 「君は、わざとわたしに負けようと考えているのではないだろうね」 「まさか」  四郎は、笑った。 「本気でゆきます」 「殺しあいになるよ」 「はい」  四郎はうなずいた。  それで、ふたりに、交す言葉はなくなった。  ふたりは、沈黙した。  あとは、鳥の声と、ふたりの下駄の音が響くばかりである。  森が、開けた。  野原に出た。  草に覆われた、ゆるい、斜面とは言えないほどの斜面だ。  草の中に、分け入った。  いつの間にか、四郎も惣角も、下駄を脱ぎ捨てている。いつ脱いだのかはわからない。  野原の中ほどまで来て、ふたりは立ち止まった。  自然に、ほどよい距離が生まれている。  向き合った。  ふたりの頭上に、青い天が広い。  雲が動いている。  風が吹いている。  鳥が啼《な》いている。 (四)  眠いような、青い空だった。  頬に吹きつけてくる風がなければ、本当に眠ってしまいそうだった。  何もかもが、新鮮で心地よい。  草の先が、頬にさらさらと触れている。 �うめ�  そう書かれた墓石の前に立った時も、こんな空だったなと思う。  あの時、自分は少し泣いた。  おい、円太郎、元気か……  死んだ人間に、元気かと訊くのもおかしいが、元気か、円太郎。  自分は、ここまで来た。  このあたりでよいか。  横山よ、いい風だ。  蟻が、足の上を這っているのもわかる。  一匹、  二匹、  三匹、  一匹が降りて、また一匹が這い登ってきた。  天と地が溶けて、その境に自分は浮いている。  その両方に、自分という存在がある。 �森とひとつになればよい�  近悳に言われたのは、このことだったのかもしれない。  楽しい時間だった。  闘っている間中、天地が、ずっと鳴り響いていたようであった。  横山よ、いい風だ。  空が青い。  雲がゆくのが見える。  額の上に顔をのぞかせているのは、竜胆《りんどう》に似た紫の花だ。  名前はわからない。  これまで、花の名を覚える間もなかったな。  嘉納先生、先生なら、この花の名前、知ってますか。  少し、眠い。  もう眠っていいか、横山よ。  八重さん。  着ているものが、血と泥で、こんなに汚れてしまいました。  おれは、好きでしたよ。  八重さんが洗濯しているのを見ているのが。  凄いなあ。  ほんとうに凄い。  あんなに凄い男と、よく戦えたもんだ。  武田惣角——  この天地も凄い。  答えは、わかりませんでしたよ。  八重さん。  何で闘うのか、ぼくはとうとうわかりませんでした。  答えなんて、ないのかもしれませんよ。  あるのは、その答えを捜しに行くための、道だけなのかもしれません。  道だけがある。他にない。  その道を歩くという覚悟、その覚悟があるかないか。  それだけのことなのかもしれませんよ。  こんなに空が広かったなんて、おれは知りませんでしたよ。  この空は、大陸まで広がっているんでしょう。  行きたかったなあ。  もう、この身体じゃあ、行けないのだろうな。  七月には間に合わない。  ひどく眠かった。  気持ちがいい。  ゆっくりと眼を閉じかけようとした時、草を踏んでくる足音が聴こえた。  その足音が近づいてきた。  問いの、道の先にある答えが近づいてくるように、その足音はやってきて、止まった。 「生きてるかい、おじさん」  少年の顔が、のぞき込んできた。  あの、前田栄世という少年だった。 「さっき、途中で武田惣角どいう人サ会っだし」  少年は言った。 「何《あんつ》か気にサなって、後ば追いかけてきたら、道の途中で武田惣角どいう人ば倒れてた。血だらけできゃ、眼《まなぐ》閉じてた。死んでらと思で声をかけたら、眼開いて起きあがったばってきゃ——」 「そうかい」 「それで、上に様子ば見に行ってこいって言うんだよ。自分はだいじょうぶだから、上サいる西郷四郎の様子を見てこいって……」 「ふうん」 「おじさんも、相当やられたのう」 「ああ、やられた」 「勝ったの、負けたの?」 「負けたよ」 「あっちのおじさんも、負けたって言ってたのう。どっちが本当なんだい」 「どっちも本当なんだろう」 「なら、どっちも勝ったんだ」 「それは、いい考えだな」  四郎は、ゆっくりと上体を起こした。 「ここで、何ばしてたんじゃ」 「空を見てたんだよ」 「ふうん」 「こんな血だらけで、身体中の骨が折れてる。おれを見て、恐くないのかい」 「べつに恐ぐね」  四郎は、起きあがろうとした。  立てなかった。  左足が折れているのだ。  右足で立った。  少年が、自然に、四郎の左脇の下に頭を入れ、四郎を支えた。  ゆっくりと歩き出した。 「おじさん——」  そう言ってから、少年は、 「西郷先生」  そう言いなおした。 「我《わい》サ、教えでぐれ。さっきのやつば——」 「さっきの?」 「草相撲だし」 「ああ、あれか」 「あれ、本当は何ど言うのじゃ。あれは、いったい何なのじゃ。あれを教えでもらいてえのじゃ」  大東流——そう言いかけて、四郎は口をつぐんだ。  何と言おうか。  柔術か? 「柔道だよ」 「柔道?」 「ああ」  四郎はうなずいた。  そうだ、柔道でいい。  柔道の中にみんなあるではないか。 「だば、その柔道ば我《わい》に教えでぐれ」 「おれじゃない方がいい」 「なじょして?」 「そうだな、柔道を教わりたかったら、東京へ行くといい。本郷に講道館というのがあって、そこにいる横山というのに教えてもらえばいい」 「その横山さんて、強いの?」 「ああ、強い」  四郎は、力を込めて言った。  力が入りすぎて、草に足をとられ前に倒れそうになった。 「西郷先生より?」 「もちろんだ」  四郎は、笑みを浮かべて言った。 「とてつもなく強い」 「だば、その横山さんサ勝ったら、世界一サなれら?」 「なれるさ」  四郎は言った。 「だば、その横山さんサ勝つよ」  少年は言った。  もしかしたら——  と四郎は思った。  もしかしたら、この少年は、本当に横山に勝つかもしれない。 「しかしな——」  四郎は、微笑しながら、後にコンデ・コマと呼ばれることになるその少年に向かって言った。 「横山は、本当に強いぞ——」 [#改ページ]  補 章  以下、語らねばならないことは、もう、それほど多くない。  西郷四郎は、この後、鈴木天眼たちと合流し、すぐに大陸へは行けなかったものの、朝鮮、上海にまで天眼が創刊した新聞の記者として足を運び、それを記事にしている。  孫文らとも交流し、大正九年に尾道に転居して、同十一年(一九二二)の十二月二十二日に、尾道にて病没した。  享年、五十七歳。  四郎の養子となった孝之氏によれば、治五郎とは、治五郎帰朝後、明治二十四年九月に、治五郎が五高の校長に赴任するおり、博多駅で涙の再会をはたしたと言われている。  長崎での四郎の武勇伝をひとつ紹介しておこう。  四郎、ある晩大酔して、小方定一という人物と思案橋にさしかかった。  すると、橋の上に人だかりがある。見れば人力車夫が、七、八人の外人から殴られたり蹴られたり、ふくろだたきに合っているところであった。 「まてまて」  四郎はその中に割って入り、車夫を助け出してきたのだが、今度は外人たちは四郎に向かって襲いかかってきた。  小方は、いそいで鈴木天眼たちに助けを呼びに行き、皆でもどってみれば、外人たちはどこにもおらず、ひとり、四郎のみが橋の上で、袴の裾をはらっている。  外人たちは、皆、四郎が、橋の上から川の中へ投げ込んでしまっていたのである。  死後、四郎は講道館から六段を追贈されている。  横山作次郎は、講道館四天王の中では、一番先にこの世を去った。  大正元年(一九一二)、九月二十三日、乃木将軍夫妻殉死後、十日目のことである。  享年、四九歳。  胃癌であったという。  その死んだ日、横山は講道館より講道館最初の八段を贈られた。  中村半助は、おふじの死後、東京へ出てから、おふじによく似たおれんという女性と再婚している。  明治三〇年(一八九七)、東京の養老院において、痛風のため、死亡。  享年、五十三歳。  大竹森吉については、すでに書いているが、ここであらためて記しておく。  大竹はよくもてた。女性関係は、晩年まで華やかだった。  門下生は六千人を数えたこともある。  晩年、歩くのがままならぬ身体であったが、門弟四人に四肢を抑えさせて、 「エイッ」  掛け声と共に門弟を跳ね飛ばして起ちあがった。  安田財閥の初代善次郎、二代善衛の用心棒を務め、明治の末に引退。安田家が主催した披露宴には、柔道関係者を含む一万人が列席したと言われている。  大酒がたたり、中風を患い、昭和五年六月六日に大往生した。  享年、七十八歳。  墓は、師であった戸塚彦介の墓に近い、千葉県日蓮宗本敬寺にある。  嘉納治五郎は、西郷四郎よりも、横山作次郎よりも、長く生きた。  昭和十三年(一九三八)五月四日、太平洋上の氷川丸の船中で、肺炎のため、永眠した。  享年、七十九歳。  その死後——昭和三十九年(一九六四)の東京オリンピックで、柔道は正式種目として加えられている。  最も長く生きたのは、武田惣角である。  明治三十一年五月十二日に、惣角は近悳から正式に大東流を伝授された。  後年は北海道が、生活の中心であった。  亡くなったのは、昭和十八年(一九四三)である。 「武道家は出た先がわからない。帰って来ると思うな。もうこれで終りと思え」  が口癖であった。  その言葉通り、函館から本州に渡って倒れ、その旅先で死んだ。  享年、八十四歳。  治五郎が死んだ五年後のことである。  保科近悳が死んだのは、明治三十六年(一九〇三)四月二十八日のことである。  毎朝一杯の葡萄酒を飲むことが近悳の習慣であったが、その杯を手にしたままの大往生であったという。  享年、七十四歳。  晩年に作った近悳の歌—— [#ここから3字下げ] 若盛り見し世の事は五十年の むかしにかゝる夢の浮橋 [#ここで字下げ終わり]  辞世の歌は、次のようなものであった。 [#ここから3字下げ] あいつねの遠近《おちこち》人に知らせてよ 保科近悳今日死ぬるなり [#ここで字下げ終わり] [#地から3字上げ]『東天の獅子』天の巻 [#地付き]嘉納流柔術 完 [#地から5字上げ]二〇〇八年十一月十一日 [#地から4字上げ]神楽坂にて—— [#改ページ]   あとがき    聖なるかな聖なるかな       1  とりとめなく書いてゆくことを、許していただきたい。  六日前に本書を書きあげたばかりであり、ぼく自身が、まだ精神的な脱力感の中にいるからである。  そもそも、この『東天の獅子』は、雑誌連載時には「柔聖前田光世伝」というサブタイトルがついていた。今回、本にするにあたってそれをとってしまったのは、本編において前田光世はほとんど登場していないからである。ようやく最終巻で、少年時代の前田が出てくるのだが、これは書きはじめてから十一年目、二〇〇〇枚余りを書いてからであった。  何故、こうなってしまったのか。  当初、ぼくの頭の中には次のような四っつの小説の構想があった。 [#ここから2字下げ] ㈰講道館創成期の物語。 ㈪明治大正における、日本にやってきた外国人格闘家との異種格闘技戦の物語。 ㈫コンデ・コマこと、前田光世の物語(『東天の獅子』)。 ㈬コンデ・コマ以外の、海外へ渡った日本人格闘家の物語。 [#ここで字下げ終わり]  つまり、もともと本書は㈫を書くつもりではじめられたのだが、前田光世前史を書いているうちにおもしろくなって、それがそのまま㈰になってしまったというわけなのである。  木村政彦対エリオ・グレイシーの闘いで始まり、木村政彦対力道山で終えるつもりであったのだが、書いているうちに、たいへんなことに気がついてしまったのである。ぼくの残り時間の計算をしたら、㈰、㈪、㈫、㈬をそれぞれ別に書いていたら、百歳まで書いても書き終らぬであろうということがわかってしまったのである。  同じ双葉社でやっている『餓狼伝』も書かねばならず、今現在全部で十四本の小説連載を抱えており、とてもとても、なんとかできるものではない。ならばいっそ、『東天の獅子』の中で、㈰、㈪、㈫、㈬を全部やってしまえばいい——途中でそう覚悟を決めたのである。  そんなわけで、木村政彦対力道山の試合は㈪、㈫、㈬を合わせた地の巻の最終巻になる予定である。       2  この取材で、ブラジルへ行ったのは一九九三年であったか、一九九四年であったか。  ベレンで、前田光世の遺族の方に会い、話を聴くためであり、前田から直接柔術(道)を学んだカルロス・グレイシー(エリオの兄)に会うためである。  書き出す前に、ブラジルの空気を吸っておきたかったのだ。  一緒に行ったのは、担当の編集者・米田さんである。  この取材でわかったのだが、前田光世の死は、どうやら腎臓病であったらしい。死ぬ間際には、血の小便も出ていたようである。  一九四一年にブラジルで死んだ時、前田は六十三歳であった。  死の間際の言葉は、ものの本によれば、 「おれの柔道衣をとってくれ」  であったらしいが、遺族の話では、 「痛い、痛い……」  というものであったらしい。  しかし、小説では、 「おい、おれの柔道衣をとってくれんか——」  この方がずっと前田らしい——よし、小説ではこっちでいこう。  しかし、この、 「痛い……」  というのもなんか妙に生なましくて迫力があるなあ——などと、ブラジルからの帰りに考えたことを覚えている。  カルロス・グレイシーとは、リオで会った。  お宅におじゃまして、応接室で待っていると、カルロス・グレイシー・ジュニアに手をひかれて現われ、抱きかかえられるようにして、カルロスはソファーに腰を下ろした。  高齢であり、すでに九〇歳を過ぎていたはずだ。  やっと、意味のある会話ができて、ようやく聴けたひと言は、 「覚えているとも、コンデ・コマのことは……」  それだけであった。  しかし、このたったひと言に、涙した。  長い小説を書く時に書き手を支えてくれるのは、文字資料ではなく、実は関係者のこのような言葉なのである。文字資料は、なんとか手に入り、記録することもできるが、この時ブラジルで吸った空気、耳にしたカルロスの言葉、こういうものの方が、実は大切なのである。  こういう言葉が、まるで道標《みちしるべ》の如くに、長編を書くという長い道程の先に、ともしびのようにぽつんと点って、十一年の苦しい道程を耐えさせてくれるのである。  ぼくが会った数ヵ月後に、カルロスは亡くなった。       3  ブラジル取材から帰って四年、その頃ぼくは『餓狼伝』を書き続けていて、『東天の獅子』に手をつけられないでいた。  すでにUFCも、パンクラスも、シューティングも始まっていて、前田光世の出てくる漫画も物語も出ていた。  たくさんの取材費を使ったあげくに、四年もたつのに作家が書かないのでは、担当者も会社に対して立ち場がないのではないかと思い、さすがに不安になって、 「そろそろ書き出さないと、たいへんなんじゃありませんか」  古いおつきあいの米田さんに訊ねたのである。 「そうなんです。たいへんなんですよ」  と米田さんは笑いながら言った。 『餓狼伝』が終ったら——と思っていたのだが、これが終るのを待っていたら、とても『東天の獅子』は始められないだろう。 「では、来年から始めましょう」  こうして、一九九八年の四月号から『東天の獅子』を書きはじめたのである。 『餓狼伝』と、おおむね交互に連載をした。 『餓狼伝』のペースが半分になってしまったのはこのためである。  で、二年前—— 「米田さん、定年はいつ頃ですか」  何げなくそう訊ねたら、 「あと二年後です」  ええ!?  これはたいへんである。  今のペースでは、とても、米田さんの定年までに『東天の獅子』は間に合わないではないか。  実は、米田さんとは、ぼくが『魔獣狩り』や、『間狩り師』、『キマイラ』シリーズなどを出す前からのおつきあいであり、できればせめて、米田さんの定年までにこの『東天の獅子』は、なんとかかたちにしておきたかったのである。  そんなわけで、毎月交互に連載していた『餓狼伝』と『東天の獅子』を、『東天の獅子』一本に絞って連載することとなったのである。  それでも、間にあいそうにない。  それで、ついに、他の仕事を少し休んで、七月、八月でいっきに書きあげてしまおうと考えたのである。  ついでに十四本の連載も、毎月少しずつではなく、まとめて書けるような態勢にもってゆき、六〇歳になるまでには、今連載中のものの多くにけりをつけようと考えた。そうすれば、六〇歳の時に、『餓狼伝』と『キマイラ』をのぞいては、全て終っているはずであった。そうでないと——つまりこのペースで仕事をしてゆくと、ぼくの死んだ時に、十四本の未完の物語が残ってしまう。  幾つかの出版社にお願いをして、そういう態勢をとらせていただいた。  ところが、八月に、『東天の獅子』は終らなかった。  仕事をさぼったわけではなく、書いても書いても話が終らずに、全三巻の予定が全四巻になってしまったのである。  九月、十月、十一月と、この三カ月でおよそ四百枚を書き、十月、十一月にはカンヅメとなって、ようやく完成をみたのが、十一月の十一日だったのである。  十月、新宿のホテルで書いている時、ふいに感情が激してきて、深夜、激しく落涙した。  十一月は、神楽坂の旅館に入って、ただひたすらに、書きに書いた。  週刊誌や月刊誌の連載も幾本かは残っており、それをやりながら、一日に、五〇枚、七〇枚書いてしまったこともあり、何だか久しぶりに、大仕事をしているという充実感もあった。  一日五〇枚、七〇枚を書く——じきに六〇歳になるというのに、こんなんでいいのかいなと思いながら、のってくると手は飛ぶように動いてしまうのである。  脳内麻薬が、さぞやたくさん出ていたことであろう。  こういう快感があるから、長編を書けるのではないか。  ともあれ——  五十七歳——自分の残り時間と、仕事のことを考えねばならない年齢に、いつの間にかなってしまったということだ。       4  いずれ、『東天の獅子』地の巻を始めるつもりだが、まず、長く中断していた『餓狼伝』に決まりをつけてからのことになるだろうと思っている。       5  これは、格闘小説と呼ぶしかないものであろうし、また、そう呼ばれることへの自負もあるが、実は、この『東天の獅子』は、物語としてまっとうなる時代小説の剣豪ものであろうと、ぼくは思っている。       6  さて——  本書においては、実にたくさんの資料のお世話になった。  そのうちの、ひとつ『yawara 知られざる日本柔術の世界』の著者である山田實さんには、実際にお会いさせていただき、貴重なアドバイスもいただいた。  山田さんもおっしゃっておられたことだが、警視庁武術試合に関する資料のほとんどは、関東大震災のおりの火事で焼けてしまい、今残っている資料は、二〇年三〇年経ってから、当時を思い出して関係者がしゃべったり書いたりしていることがほとんどである。  だから、試合のあった年の記述もまちまちであり、誰と誰が対戦したかも、記憶のばらつきがあって、時にはまるで違うということが多い。  どれがどうとはここでは記さないが、当然ながら、ぼくとしては、一番おもしろい�記憶�を�資料�として利用することとなり、時には、史実としてなかったかもしれないことまで書いている。  このことで、もしもどなたかに御迷惑のおよぶようなことがあったとしたら、それは、全て、著者たるぼくの責任であり、これについて何かお気づきのことがあれば、ぜひ、双葉社宛に御連絡をいただければ、誠実に対応してゆきたいと考えている。  巻末に、その資料を、参考文献として載せた。  全てを記すと、あまりに膨大な量となるため、載せたのはほんの一部である。       7  最後に記しておきたいのは、柔道のことである。  このところ柔道はJUDOとなって、嘉納治五郎が始めた頃、頭に思い描いたものとは大きくかけ離れたものになっている。  治五郎自身が、生前、その頃の柔道を見て、 「これは私の柔道ではない」  と発言している。  柔道には、歴史の中に消えていった、あるいはゆこうとしている多くの古流柔術に対する責任があると思うのである。  柔道が、世界に広まるためにJUDOとなってゆくのはしかたがないとしても、それとは別に、一年に一度か、二年に一度くらい、当時の柔術に近い柔道のルールを作って、講道館で大会を開催していただきたいと思っているのである。誰でも、どの競技の人間でもこれに参加できるものになればいいと思っている。当然、ぼくにとっては、こちらの大会の方がオリンピックよりも上位概念となる。  そうでないと、日本柔術の多くの技や形、精神までが滅んでしまうのではないか。  試合で使わない技術は、結局稽古することがなくなってしまうからである。  その意味でも、高専柔道(七帝柔道)の大会が、二〇〇九年に講道館で開かれるのは、たいへんに意義のあることと思う。  できれば、これを機に、柔道としての新しいルール作りに着手してもらいたいと思っている。  明治の頃、柔道は総合格闘技であり、柔道で一番強い者が、世界で一番強い——こう言ってもそれがそのまま通用した。  しかし今は、柔道で一番強い者が、世界で一番強い者であるわけではなくなっている。  あえて、世界一を決める必要がどこにあるのかと問われればそれまでなのだが、柔道がそのような幻想や夢を含んだものであって欲しいとは、真実、心から願っているのである。  格闘シーンを書くと、心がすりきれてきて、もう、新しい表現はできないのではないか、もう書けないのではないかと何度も不安になった。もう駄目かと思いながら、考えに考えて、脳が煮えたようになって、そこへ、ほろりと新しい言葉が落ちてくる。それを拾いながらの作業であった。  おそらくぼくは、世界で一番多く格闘シーンを文字で書いた人間ではないか。  とりあえず、天の巻を書きあげることができて、本当に嬉しい。  書きあげた時には、大きな充実感を味わった。  いや、がんばってよかった。  生きていてよかった。  多くの人にお世話になった。  心からの感謝を、全ての人に—— [#地から5字上げ]二〇〇八年十一月十七日 [#地から3字上げ]青山にて—— [#地から1字上げ]夢枕 獏 [#改ページ] 〈東天の獅子 参考文献〉 『前田光世 世界柔道武者修業』  丸島隆雄・著  島津書房 『実録 柔道三国志』  原康史・著  東京スポーツ新聞社 『幻の神技 大東流合気柔術』  岡本正剛・監修 高木一行・編  学習研究社 『山嵐 西郷四郎』 赤木源三郎 牧野登・監修  会津武家屋敷 『帰る雁がね 黒帯三国志』  尾崎秀樹・著  サンケイ出版 『武田惣角と大東流合気柔術』  佐川幸義他  合気ニュース 『空手名人列伝』  佐久田繁・著  月刊沖縄社 『yawara 知られざる日本柔術の世界』  山田實・著  BABジャパン 『史伝 西郷四郎』  牧野登・著 島津書房 『嘉納治五郎』  講道館 『姿三四郎の手帖』  富田常雄・著  春歩堂版 『ライオンの夢 前田光世伝』  神山典士・著  小学館 『嘉納治五郎 私の生涯と柔道』  日本図書センター 『鬼の冠』  津本陽・著  実業之日本社 『世界柔道史』  丸山密造編  恒友社版 『切絵図・現代図で歩く 江戸東京散歩』 人文社 『鬼の柔道 猛烈修行の記録』  木村政彦・著  講談社 [#地から1字上げ]以上17冊 本書の十五章〜二十一章は「小説推理」'08年8月号〜'09年1月号で連載された同名作品に加筆、訂正を加えたものです。 二十二章以降は単行本刊行に際し、書き下ろしました。 なお、作中には実在の人物、団体が登場します。 執筆にあたり、各種資料を参考にしておりますが、その解釈は著者独自によるもので、作品はフィクションです。 夢枕 貘●ゆめまくらばく 1951年神奈川県生まれ。77年、SF文芸誌『奇想天外』にて「カエルの死」でデビュー。89年『上弦の月を喰べる獅子』で第10回日本SF大賞、98年『神々の山嶺』で第11回柴田錬三郎賞を受賞。『餓狼伝』『魔獣狩り』『キマイラ』『陰陽師』シリーズなどで人気を博す。他に『沙門空海唐の国にて鬼と宴す』『シナン』などの歴史長編や、趣味である格闘技、釣り、写真に関連した著作も数多い。近著に『毎日釣り日和』。 [#改ページ] 底本 双葉社 単行本  東天の獅子 第四巻 天の巻・嘉納流柔術  著 者——夢枕 獏  2008年12月21日  第1刷発行  発行者——赤坂了生  発行所——株式会社 双葉社 [#地付き]2009年1月1日作成 hj [#改ページ] 底本のまま ・回わし蹴り ・誰《たれ》 ・試合開始三十三分五十二秒(——なし) ・試合開始四十三分二秒(——なし) ・ヵ月 ・カ月